徒然草を読んでいると、兼好法師の人間性に疑問を感じる。いったいどういう人間だったのだろう。
仏教と老子の思想に感化されていることは理解できる。世捨て人だし、老子も読んでいたのだろう。それはいい。それはいいとして、それらの思想と相容れぬことをも書いているのだ。
例えば、第百十七段だ。
友とするにわろき者七つあり。ひとつには高くやんごとなき人、二つには若き人、三つには病なく身つよき人、四つには酒を好む人、五つには武く勇める兵、六つには虚言する人、七つには欲深き人。
よき友三つあり。一つには物くるる友、二つにはくすし、三つには智恵ある友。
友とするにわろき者はよいとして、よき友の例は、一体なんだろう。まず一番に、気前のいい友を上げている。次に医者だ。最後に仏教とは、お前本当に仏教信じていたのかと言いたくなる。
ほかにも、有名な第百三十七段、「花はさかりに」で有名なあの文章だ。「春が来たことも気づかないほど引きこもっているのも、いいよね」お前単に、人とは違ったことを言い、注目を浴びたかったんじゃないかと。ある程度抽象的なことを書いておけば、人はいいように、勝手に解釈してくれるものだ。
第百五十二段も、他人の話の伝聞ではあるのだが、実に皮肉的だ。
西大寺静然上人、腰かがまり、眉白く、誠に徳たけたる有様にて、内裏へ参られたりけるを、西園寺の内大臣殿、「あな、たふとのけしきや」とて信仰の気色有ければ、資朝卿これを見て、「年のよりたるに候」と申されけり。
後日に、むく犬のあさましく老いさらぼひて、毛はげたるを引かせて「この気色たふとく見えて候」とて、内府へ参らせられたりけるとぞ。
兼好法師がこの話を入れた理由としては、やはり何かしら、共感するところがあったのだろう。やはり皮肉好きなんじゃないか。
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