中江兆民は、その著書「三酔人経綸問答」の中で、紳士君をして、次のように言わしめている。
嗚呼、民主の制度なる哉、民主の制度なる哉。君相専擅の制は、愚昧にして、自ら其過を覚らざる者なり。立憲の制は、其過を知りて、僅に其半を改むる者なり。民主の制は、磊々落々として、其胸中、半点の塵汚無き者なり。
そして、この、専制政治から立憲君主制に移り、そして民主制へと移っていくのが、政治の必然の進化であると言っている。
さて、ここでネパールを見てみよう。ネパールは戦後、立憲君主制に移って、だいぶ民主主義を認めたものの、依然として実権は国王にあった。2001年6月1日には、ネパール王族が殺害されるという事件があり、黒幕ではないかとの疑念もあるギャネンドラが、結果的に王位につく。アメリカから、民主主義推進と、アカの手先の毛沢東主義者を弾圧したら援助くれてやるよという甘い言葉に騙され、とりあえずアカ狩りをしたが、民主主義にはあまり興味を示さなかったため、アメリカからもハシゴをはずされ、どうしようもなく、王権剥奪される。
何ぞや、彼進化神は進むことを好みて、退くことを好まずして、其進往するに方り、幸いに道路坦直にして清潔なる時は、大に善し。即ち、岩石凸立して、輪を礙へ、荊棘茂生して蹄を没すること有るも、夫の進化神は略ぼ沮喪すること無く、更に益々奮激し、趾を挙げて一蹴し、踏過して顧みずして、頑迷なる人民が、相共に脳を裂き肝を破り、街衢上血を湛へて、所謂革命の活劇を演ずるに至るも、夫の紙は当然の結果なりと看做して、少も忶るゝこと無し。
そもそも君主とは、臣民の持つ権利を、一時的に貸し与えているに過ぎない。だから、時が来れば、臣民に返すべきなのに、自分が持つ権利であると誤解して、強引に所有権を主張すると、このように追放、処刑の憂き目にあい、後世の笑い草となる。
さて、進化の理にしたがって、ネパールに民主政治がもたらされるかというと、どうもそう簡単にはいかないようだ。というのも、一番人気の政党が、毛沢東主義で、早くも言論封殺する旨を発言しているそうだ。
では、タイはどうか。タイもまた複雑で、戦後しばらくして、民主政治に移るのだが、どうも、うまくいっていない。たびたび問題が起こり、国王のお墨付きを得た軍が征圧している。未遂も含めて、過去十六回も行われているのだ。国王による軍を動かしてのクーデーターというと、だいぶ危険な響きがするが、実情はそれほどでもなくて、タイの国内は、案外平和らしい。実際、2006年9月19日のクーデターも、野党が選挙をボイコットして、民主主義が危ういだとか、首相がインサイダー取引疑惑の結果で、無血クーデターと呼ばれている。その後、2008年2月6日には、内閣が発足し、また民主主義に戻っている。
タイには、国王に対する不敬罪などもあるが、どうも実際のところは、国王による恐怖政治の結果の法律ではなく、国民の国王に対する信頼が篤く、その結果らしい。映画上映の前には国王の映像が流され、観客は皆直立しなければならないなどの、不思議な決まりがあるらしい。また、タイのインターネットは、不敬罪にあたるサイトや、ポルノサイトを規制しているようだ。
民主制を目指そうとして、破綻しているネパール。民主制がうまくいっていないが、まあまあまともにやっているタイ。進化神は気まぐれである。
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