東国原知事を殴りに行ってもいいですかと書いたところ、反論が多い。私は至極当然の事を言っているだけなのだ。県知事は、教育に暴力を用いるべきだという。私は、県知事が言うところの「教育」を行いたいだけなのだ。あるいはこの条例が、小中学校の教師にのみ適用されるのであって、お前が県知事を殴ることにまで適用されないと反論する人がいるやも知れぬ。それは不思議なことだ。なぜならば、法と言うものは、多くの人が正しいと信じている事を明文化するだけの事だからだ。例えば、我が日本国では、尊属殺や姦通罪というものが、かつて存在した。これは多くの人が、当時の価値観で、正しいと信じていたからこそ、成り立った法なわけだ。教員免許を持った教師が児童に対する時にのみ合法化される暴力と言うのは、とても不思議だ。
あるいは、日本人というのは、この手の回りくどいブラックユーモアを解しない人種なのかもしれない。イギリスでは、今でもモンティパイソンといえば王道だが、日本ではいまいち知名度が高くない。ここはひとつ、かつて存在した、ブラックユーモアを解する日本人の名文を引くとしよう。芥川龍之介の邪宗門である。
現に内裡の梅見の宴からの御帰りに、大殿様の御車の牛がそれて、往来の老人に怪我させた時、その老人が反って手を合せて、権者のような大殿様の御牛にかけられた冥加のほどを、難有がった事がございましたが、その時も若殿様は、大殿様のいらっしゃる前で、牛飼いの童子に御向いなさりながら、「その方はうつけものじゃな。所詮牛をそらすくらいならば、なぜ車の輪にかけて、あの下司を轢き殺さぬ。怪我をしてさえ、手を合せて、随喜するほどの老爺じゃ。轍の下に往生を遂げたら、聖衆の来迎を受けたにも増して、難有く心得たに相違ない。されば父上の御名誉も、一段と挙がろうものを。さりとは心がけの悪い奴じゃ。」と、仰有ったものでございます。その時の大殿様の御機嫌の悪さと申しましたら、今にも御手の扇が上って、御折檻くらいは御加えになろうかと、私ども一同が胆を冷すほどでございましたが、それでも若殿様は晴々と、美しい歯を見せて御笑いになりながら、
「父上、父上、そう御腹立ち遊ばすな。牛飼めもあの通り、恐れ入って居るようでございます。この後とも精々心にかけましたら、今度こそは立派に人一人轢き殺して、父上の御名誉を震旦までも伝える事でございましょう。」と、素知らぬ顔で仰有ったものでございますから、大殿様もとうとう我を御折りになったと見えて、苦い顔をなすったまま、何事もなく御立ちになってしまいました。
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