さて、このたび、幸いにも源平盛衰記を手に入れ、味わいつつ読んでいるのだけれど、その内容の詳細なことに驚いている。
例えば、殿下の乗合の話だが、平家物語では以下の次第になっている。
嘉応二年十月十六日の事、資盛が、狩りの帰りに、御所より御参内途中の基房の車に参り合わせたが、礼儀を知らない若侍ばかりだったので、車より降りて道を譲ることをせず、そのまま無理やり押し通ろうとした。その結果、基房の家来達に、散々に打擲された。資盛はほうほうの体で家に帰り、なぜか親父の重盛ではなく、祖父の清盛に訴えた。重盛の諫めも聞かず、清盛は大いに怒って、田舎侍を召して、主上御元服の会議のときに、資盛の車を待ち受けて襲い、「前驅御随身どもがもとゞりきッて、資盛が恥すゝげ」と命ずる。そして、兵ども、ひた甲三百余騎が、十月二十一日に、基房の車を襲い、もとどりを切ったとある。
しかし、いくつかの旧記によると、史実は違ってくる。まず、乗合が起きたのは、十月ではなく、七月三日であった。しかも資盛は狩りの帰りではなく、女車に乗っていた。基房はその後、狼藉を働いた随身達を、重盛の下へ送って、処分を任せているのだが、重盛は何とも言わずに送り返している。怒っていることは間違いない。基房は自分で処分した。さて、十六日に基房が出かけようとすると、道の途中に武士たちが待ち伏せをしているではないか。そこで基房は、その日に出かけることを取りやめた。そして主上御元服の十月二十一日に襲われた。さらにある書籍によると、直接的な記録は無いけれども、どうも侍をして基房を襲わせたのは、清盛ではなく、実は重盛だったのではないかと推測している。理由は色々述べられているが、だいぶ長いので、引用するのは控える。
さて、源平盛衰記ではどうなっているかと言うと、
同二年七月三日、後白河法王が法勝寺に御行なされるので、基房は参るために、三条京極を過ぎて、三条面に差し掛かった。そこで、女房の車に出会った。車より降りるべきだと言うが聞き入れなかったので、すだれを切り落として、逃ぐるを追い、散々に打擲した。実はこの車に乗っていた人物こそ、資盛で、笛の稽古から帰る途中であった。資盛はまず、父親の重盛に訴えるが、殿下にたいして無礼である。礼儀知らずの報いだと逆に叱られる。後に基房の方でも、清盛の孫であったと知って、随身の者達を重盛の下へ謝りに行かせる。重盛は大いに畏まって、すぐに返したが、基房側で、随身達を処分する。清盛が処分の沙汰を聞いて、理由を尋ねると、初めて資盛は清盛に事の次第を話す。清盛は大いに怒って、重盛の諫めも聞かず、難波妹尾に恥をすゝげと命ずる。そして、日付は書いていないが(二十二日の朝に、重盛宅に皮肉な置物が置いてあったとはあるし、会議は十月二十一日であったのはよく知られていたのかも)、基房は大内の御直蘆(宮中の客室に泊まること、つまり泊まる必要があるほどの、主上御元服の会議)があるので、出かけていくと、「兵具したる者三十騎計走出て」、散々に打ち据えたあげく、随身達のもとどりを切ったとある。この戦いの様子が、かなり詳しく書かれている。
だいぶ史実に近い。まず、乗合の起こったのは、七月三日である。平家物語が十月にしているのは、すばやい展開を演出したかったのだろう。資盛は女車に乗っていて、笛の稽古の帰りであった。つまり、狩りの帰りではなかったのだ。平家物語では、狩りの帰りとすることによって、血気盛んな若者達であることを強調したかったのだろう。家に帰ってまず初めに訴えたのは、父親。当然だ。何しろ、当時資盛は十歳ぐらいなのだ。まず親父に云いつけるに極まっている。基房が随身達を謝りに行かせるのも記述している。そして、襲撃の人数は、三十人ばかり。これも現実的だ。この程度の事で、市内の一所に武士が三百人も集まるのは、非現実的である。京都に住んでいると、これがよく分かる。
しかし、源平盛衰記は漢文が多い。とくに友朋堂文庫なので、最近の軟弱な書籍と違って、訓読に直してはいない。レ点、一二三点、上中下点を読み解かねばならない。就中といった言葉に大しても、書き直さず、レ点を振っているのは、現代の書物ではなかなか見られない。
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