2008-09-24

以仁王と競の相違

平家物語では、以仁王の謀反の計画がバレて、女装して三井寺に逃げるとき、信連は一人御所に残って、見苦しいものはないかと見まわしていたが、宮の秘蔵していた小枝という笛が忘れてあるのを見つけ、先に行った宮に追いついて笛を渡し、また御所に戻ったとある。

しかし源平盛衰記では、信連も一緒に逃げていたが、ふと宮が笛を忘れたと言い出したので、取りに戻った。追いついて笛を渡し、その後でまた、御所に戻ったとある。

微妙に話が異なっている。

競の話も、実際の言動には差異はないが、記述がだいぶ異なっている。

というのも、平家物語では、競の方から馬を所望したとあるが、源平盛衰記では、宗盛が競が自分に仕えるたいと聞いて喜び、馬に加えて鎧甲まで与えたとある。また、馬の名前が異なっている。平家物語は煖廷(なんれう)という名前だが、源平盛衰記では、単に小糟毛となっている。まあ、どちらも馬の毛並みから取った名前に過ぎない。煖廷というのは、純良の銀という意味である。糟毛は、灰毛に少し白毛が混じったものだ。

また、競が入るかどうかの確認も、平家物語では、かなりそっけないが、源平盛衰記では、不安になって訊ねたとか、「人を遣て」とか、分かりやすく書いてある。平家物語のこの部分の記述は、とても分かりにくいのだ。

さぶらひには、「競はあるか」。「候」。「競はあるか」。「候」とて、あしたより夕に及まで祗候す。

競家に歸ても、さすが覺束なくて早晩人を遣わして、競は有か候と、又人を遣て、競は有か候と隙なくこそ問ひ答えけれ。

源平盛衰記はかなり分かりやすい。

さて、平家物語では、この後、館に火をかけて三井寺に向かったとあるのだが、源平盛衰記では、館に火をかけたことは書いていない。ただし、宗盛の館の前を通るときに、下馬もせずに、やっぱり三井寺に向かうと云い捨てて打ち過ぎたとある。

平家物語では、宗盛は怒って、追っかけて討てというのだが、皆、競の弓の腕を恐れて追いかけなかったとある。源平盛衰記では逆に、侍達は、無礼者を追いかけて討つべしというのだが、宗盛が留めている。というのも、小糟毛は速いから追いつけないし、競は弓が強いから、小勢にて過ちすなよということらしい。

馬の焼印も、平家物語では、「昔は煖廷、今は平の宗盛入道」だが、源平盛衰記では、「平宗盛入道」だけになっている。また、平家物語では、馬は夜のうちに六波羅に引張っていき、門のうちに追い入れたとあるが、源平盛衰記では、京に向かって追い放ったところ、馬は自分で六波羅に帰っていったとある。

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