2008-09-25

茨城民国

議会で居眠りの次は、議員に関連する土建屋を締め出す法案に対して脅迫沙汰か。心ある人の住むところにあらず。

まあ、考えてみれば昔からこんな感じだったのだろう。何しろあの徳川光圀の国だ。良政のわけがない。放蕩でホモで大日本史だとかいうオナニーのために水戸藩を傾け、八公二民の年貢を取り立てて民を虐げ、死後も藩を立て直せず、出生をだに嫌われたあげく、将軍の器にあらずとも言われた胤の祖なのだから。

放蕩であることは、光圀自ら能くうどんを打ち、諸国の名物を伝え聞いては、人をやっては調べさせたことから明らかだし、ホモであることは当時の慣習からして疑いようが無いし、大日本史は今の日本に誰も読むものがいない。そんな馬鹿げた史書編纂のためもあって、年貢は重かったし、奴の死後も一揆は立て続け、そもそも密かに産み落とされて、密かに育てられていた身だ。慶喜もその血を受け継いだのか、将軍らしくもなく、あっさりと政権を朝廷に返しているではないか。光圀は隋の煬帝と並ぶ暴君といって差し支えない。

何で現代において、光圀ごとき奴が名君として讃えられているかというと、理由はひとつしかない。奴が日本は天皇の治める国だと主張したからだ。だから明治政府にとって、天皇の威光を上げるために、都合が良かったのだ。

思えばケイキも面白い奴ではある。死後の名声ということを重んじ、賊徒の張本とされることを恐れたため、対して抵抗もせずに自宅に引きこもり、あっさりと政権を返上したのだから。その甲斐あってか、奴は学校の歴史教科書にも、悪人としては書かれていない。急に出てきてあっさり政権を返して、そのあとは知らんといった風にしか紹介されていない。ある意味、望みがかなったというべきか。中江兆民の三酔人経綸問答を地で行く君主ではある。なかなか安泰で悪くない余生を送ったそうだし。

なんだか途中で茨城が関係なくなってしまった。まあ、所詮は光圀の国だ。

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