平家物語になく、源平盛衰記に出てきている話に、佐奈田與一義貞の話がある。なかなか面白い。佐奈田とは、さなだと読むのだが、苗字としては、真田の方が普通だ。しかし、与一と言えば、那須与一と紛らわしい。もちろん、石橋山の戦いの話なので、場所は、現代で言えば、神奈川県小田原市ということになる。
時は治承四年八月二十三日。源頼朝従五位下右兵衛権佐は謀反を起こし、その初めとして、兼隆判官を討ち取った。しかし味方は遅参続きでなかなか集まらない。わずか三百余騎で石橋山に陣を構えていたところ、平家からは、大場三郎景親を大将軍として、三千余騎が押し寄せてきた。既に辰時を過ぎ、落日西山に傾て、其日も既に暮れなんとす。雨もひどかったが、平家方は源氏の手勢の少ないうちに叩いておこうと、攻めてきた。
影親と時政の名乗りあいも面白いのだけれど省略。
与一は佐殿(頼朝)より先陣をおおせつかって進み出る。既に日も暮れ、雨も酷く、敵味方の区別がつかない。途中、岡部弥次郎というあはぬ敵が向かってきたので、首をかく。さて、俣野五郎景尚と組み合って落馬し、お互いに組んだまま、上になり下になり、ごろごろと転げて、あと一回転で海に入るといったところで止まった。上は与一、下は景尚であった。互いに組み合っていて、どうしようもない。与一は落ち合え落ち合えと叫んだが、あいにくと郎党は押隔てられてやってこれない。そこへ、景尚の郎党の長尾新五という者がやってきた。
しかし、暗くてどちらが主なのか分からない。長尾は「上や敵下や敵」と問う。与一は上に乗りながら機転を利かせて、「角宣ふは長尾殿か、上ぞ景尚、下ぞ与一、謬し給な」と言う。景尚は、「上ぞ与一、下ぞ景尚、誤すな」と言う。頭は一所にあり、くらさはくらし、音は息突て文明に不聞分、上よ下よと論じければ、思侘びてぞ立たりける。
結局、長尾は鎧の毛を探ってどちらが主か確かめる。与一は正体がバレてしまうと観念して、右足で長尾を踏む。長尾は踏まれて、弓長三杖ばかり走って倒れる。その隙に、与一は刀を抜いて景尚の首をかこうとするが、切れない。よく見ると、鞘ごと腰から抜けてしまっている。鞘を外そうとするが、あいにく岡部の首を切ったときの血が固まって抜けない。結局討たれる。無慙と云も疎か也。
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