源平盛衰記の李陵と蘇武に関する記述が気に食わなかったが、ふと平家物語を見返してみたら、さらにひどかった。
いにしへ漢王胡国を攻られけるに、はじめは李小卿を大将軍にて、三十万騎むけられたりけるが……
次に蘇武を大将軍にて、五十万騎をむけらる。
おいおい。李陵はたったの五千の兵卒だけで向かったんだぜ。しかも馬などはない。蘇武は和平の使節団の一人だったのだ。
蘇武はしなざりけり。かた足なき身となつて、山にのぼつては木の實をひろい、春は澤の野芹を摘、秋は田づらのおち穂ひろひなどしてぞ、露の命を過ごしける。田にいくらもありける雁ども……
蘇武って片足を切られたんだろうか。源平盛衰記も蘇部は片足を切られたと書いてあるが、本当だろうか。それから、何で奴らを匈奴とか狄などと呼ぶかというと、農耕をせず、遊牧と狩猟で暮らしているからだ。田畑があるわけがない。それに、あのモンゴル辺りに芹が自生するような湿地帯ってあるんだろうか。人工的に作らないといけないとおもうのだが。
今度は李廣と云将軍に仰て、百万騎をさしつかはす。
まてまて、李廣は李陵の祖父だが、李陵がまだ子供の頃に自殺したはずだ。紀元前119年のことだ。
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