2008-10-18

お寺観光

仕事も見つからず、焦燥感で源平盛衰記の読書が進まなかったので、寺を見てくることにした。考えてみれば、京都にいるのに、まったく観光していないというのも、もったいない話だ。

さて、どこに行くか。もちろん、平家物語ゆかりの場所に決まっている。そこで、祇王寺と滝口寺に行くことにした。

まずJR京都駅から山陰本線で嵯峨嵐山駅まで向かう。ちなみに、山陰本線の京都‐園部間を、嵯峨野線とも言う。嵯峨嵐山の駅までは、230円である。

さて、嵯峨嵐山駅を降りて、目当ての二つの寺に向かう。といっても、祇王寺と滝口寺は同じ場所にある。事前にGoogle Mapで確認しただけで、直感に頼って向かったところ、場所がよく分からない。この辺だろうと北西に向かっていたところ、清涼寺についた。せっかくなので入ってみることにした。南の門から入って右手側に、法輪というのがある。なんでも、この法輪を一回転させると、一切経を一回読むのと同じ功徳が得られるらしい。だいぶズボラな世の中になったものだ。一切経は五千巻以上からなる経典で、真読には一体何十年掛かるのか分かったものではない。とりあえず法輪を見てみようと、お堂に行ってみると、一回百円との看板が出ている。ちょうど三人組の若者がいて、法輪を回すところであった。法輪をまわすと、箱の中に隠してあるスピーカーから、雑音交じりの読経が聞こえてくる。実にマヌケな図だ。私は笑いをこらえて法輪を後にした。しかし、やたらと修学旅行生が多い。まあ、あのような法輪があるから、修学旅行生が寄ってくるのだろう。

さて、清涼時を西に行くと、目当ての祇王寺、滝口寺の看板が見えた。坂を上っていくと、檀林寺という寺がある。寺の由来を書いてある立て札に何気なく目を通したところ、嵯峨天皇の御宇に建てられたらしい。しかも、唐から義空という禅僧が渡ってきて、この寺で指導したらしい。はて、禅宗が渡来したのは、鎌倉時代ではなかったか。嵯峨天皇の時代に禅宗など入ってきていたのだろうか。もちろん、禅の思想が貴族社会に定着しなかっただけで、入ってきたことは入ってきていたのかもしれない。禅は武士の間で流行ったのだから。しかし、本当に嵯峨天皇の時代、すなわち八世紀に入ってきていたのだろうか。疑問だ。

檀林寺に入るかどうかは後から考えることにして、とにかく祇王寺に行った。拝観料は三百円である。祇王寺とは、その名前の通り、祇王、祇女、その母の閉、仏御前の庵があった場所だ。祇王と祇女は白拍子の上手で、かの清盛公に寵愛された。ところが、仏御前が推参してくると、祇王祇女は捨てられてしまう。祇王は無常の世の理を知り、出家して後世を頼むようになったという話だ。入ってみると、拝観コースを示すのか、矢印やロープが張られている。見苦しいことだ。ロープにしたがって進んでいくと、クマガイソウとアツモリソウが栽培されていた。意味が分からない。何故こんなところでわざわざ栽培してあるのか。まあ、どうせ観光用なのだろう。この寺と熊谷次郎直実や、無官大夫平敦盛とは、何の関係もないではないか。気がついて見れば、周りはオバハンだらけ。だからこそ、こんな観光用の草が植えてあるのだろう。本当に見苦しい。お堂の中には、なぜか清盛公の仏像まである。どう考えても場違いだ。何を考えて浄海入道を配置してあるのか。何のために祇王は世を捨てたというのか。来るべきではなかったのかもしれない。帰りがけに、祇王寺と大覚寺に両方入れる割引があると書いてあった。大覚寺は行く予定ではなかったが、せっかくだから行くことにしようと、割引券を買った。

さて、滝口寺である。ここも拝観料は300円。ここには、滝口入道がいた。滝口入道というのは、在俗のときは、滝口武士の斉藤時頼といういい身分の将来ある武士だったが、賤女の横笛という女に惚れてしまった。身分違いの恋であり、父親から咎められたので、出家して滝口入道と呼ばれた。ここは印象の薄い寺であった。滝口と横笛をかたどった人形があるだけだ。観光客への媚ぐあいは、祇王寺よりはマシかもしれない。

さて、寺を出てきて、檀林寺の前に来た。どうするか。入るべきか。禅寺というのがどうしても怪しい。本当なのだろうか。禅はどう考えても鎌倉時代だろう。看板によると、寺自体は、どうも最近になって再建されたらしい。寺の前でしばし考えていると、外人が近寄ってきて、この寺の名前は「ぎぃぃぃじ」でいいのかどうかと訊ねてきた。祇王寺と言いたいのだろうか。「だんりんじ」と答えると、当てが外れたような顔をしている。祇王寺の方を指差して、「ぎおうじ、たきぐちでら」と言ってやると、納得して祇王寺に向かっていった。要するに、この寺は観光ガイドブックには載っていない寺なのだろう。

やはり気になったので、入ってみることにした。拝観料は400円であった。高い。気になったのは、拝観料を払うところで待機しているオバハンの言動だ。祇王寺や滝口寺とは違い、近づいただけで、何も言わないのに親しげに挨拶をしてきた。まるで商売人だ。これこれの宝物が全部ありますなどと、宝物のリストを指差す。変わった寺だ。お堂に入るとすぐ仏像があり、おじいさんが解説を始めた。このおじいさんが曲者であった。この音声は一字一句よどみなく流れ、まるであらかじめ録音されているようであった。もしここで「実はアレはシリコンでできた精巧なロボットなんだよ」と言われたとしても、その時の私は何の疑いもなく信じたであろう。おじいさんはひとしきり解説し終わると、仏像に向けて手を合わせた。しかしあいにくと、私は仏神を信じてはいない。お堂には博物館さながらの宝物が展示されてた。実際、なぜ寺にあるのか分からないものもたくさんあった。何しろ、縄文時代の土器とか、鎌倉、室町時代の鬼瓦などがあったのだから。祝詞があり、楷書で書かれているので、私でも読むことができた。何しろ源平盛衰記では、訓読になっていない祝詞が頻出するものだから、意外とすんなり読むことができた。しかし、読むことができるのは、冒頭と末尾だけで、大部分は別の紙で隠されていた。不思議に思ってよくみると、隠されている部分の、かろうじて上に載せた紙からはみ出している部分に、朱で返り点が認められていた。不思議なことだ。また、文覚の像があったのだが、その解説が噴飯物であった。なんでも文覚は、この檀林寺で祈っていたところ、天啓を得て出家したらしい。私が博物館もといお堂から出ようとすると、さっきの解説用ロボットはまだいた。私は何も言わずに通り過ぎたが、そのときの私の顔は、相当に怪訝だったはずだ。多くの違和感と疑問を感じながら、私は檀林寺を後にした。

さて、割引券を買ったので、大覚寺に行ったのだが、大覚寺について記すことはあまりない。強いて言えば、受付が寺とは思えないほど事務的だったり、受付嬢が二部式の着物を着ていたり、入ってすぐに源氏物語の人形が置いてあったり、お土産を売る売店があったり、建物の中にプラズマディスプレイが置いてあって映像を流していたり、マネキンが置いてあったり、といったところだろうか。

さて、大覚寺を見ている間に気になった、東側の池に行ってみることにした。大沢池という名前で、なかなか悪くない池であった。しばらく池の周りを散歩し、なこその滝を見て帰った。ここは、白洲正子が著書で述べている。悪くない場所だ。

さて、駅の方へ向かって歩いてると、バス停を発見した。見ると、京都駅まで行くらしい。帰りはバスで帰ることにした。

帰ってから檀林寺について調べると、やはりどうも、ろくな寺ではなさそうだ。

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