張僧繇、呉中人也。武帝崇飾仏寺、多命僧繇画之。金陵安楽寺四白龍、不點眼睛。毎云、點睛即飛去。人以爲妄誕、固請點之。須臾雷電破壁、両龍乗雲、騰去上天。二龍未點眼者見在。
張僧繇は、呉中の人なり。武帝、仏寺を崇飾するに、多く僧繇に命じて之を画かしむ。金陵の安楽寺の四白竜は、眼睛を点ぜず。毎に云う、睛を点ぜば即ち飛び去らん、と。 人、以て妄誕と為し、固く請いて之を点ぜしむ。須臾にして雷電壁を破り、両竜雲に乗り、騰去して天に上る。二竜未だ眼を点ぜざる者は、見に在り。
――歴代名画記
梁の武帝の朝に、張僧繇というは、自他共に認める天下第一の画の名人であった。僧繇の画は微に入り細を穿ち、その山水画を画く時は、見る人あたかも身を桃源郷に置くが如く、岩窟の虎を画く時は、幼子は泣き出し、大人は命からがら逃げ出すというほどであった。この如く僧繇の画は、実に神仙の域にまで達していたのである。
さて、梁の武帝は仏法の信仰篤き人で、仏寺へ喜捨すること不斜、たびたび僧繇に命じて、仏寺の壁に見事な画を画かせていたが、ある時、僧繇をして金陵の安楽寺の壁に四白龍を画かせた事があった。しかしどうしたことか、僧繇の画いた龍には睛が欠けている。金陵の人々はこれを怪しみ、ついには武帝も不審を為すに至ったが、僧繇はただ、「睛を点ぜば、画龍が飛び去ってしまうんでな」と云うばかりであった。いや、それでは理屈が通らぬ。是非とも睛を画いてもらいたいという人々の声を受け、僧繇はしぶしぶ絵筆を取り、四龍のうちの二龍の睛を入れた。睛を入れた龍は命を吹き込まれたようで、まさに画から飛び出さんばかり、僧繇を取り囲んで見守っていた人は、見事な龍の画に感心していた。とそこへ、俄に黒雲一叢立来たり、安楽寺の上に引渡った。雷鳴人々の肝を消し、黒雲日の光を遮って、前後も分からず暗くなった。その中で、一人僧繇のみが、平然と画の前に立っていた。黒雲は渦を巻いて、安楽寺の壁に引き降る。見ると、瞳を点じた二龍が動きだし、画を抜けて虚空に浮かび上がった。龍はしばし、己の作者である僧繇を睨んでいたが、やがて一礼すると、黒雲に取り巻かれて、天に昇っていった。
黒雲晴れて周り明るく、人々は我白昼夢を見たるかと怪訝な顔をする所に、見よ、先ほどまで四白龍だった壁の画の、二龍が消え、未だ睛を点ぜざる二龍のみ残っているではないか。人々様々罵りあう所に、僧繇は絵筆をしまい、平然と帰って行ったという。
どうも私が書くと、漢文崩れではなくて、平家物語になってしまうな。つい「四白龍を画かせけるに、何とかはしたりけん、眼睛を点じ給はず」などと書きそうになった。中島敦のようには行かないものだ。
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