2009-06-20

芋粥

芋粥といえば、芥川竜之介の芋粥が有名だ。しかし、あれは駄作である。芥川竜之介は、古典を曲解すること甚だしく、全然、別の物語になってしまっている。むしろその解釈の違いが狙いだという肯定的な意見もあるが、それは、芥川竜之介というのが天才だったという世間の評価に影響されての弁護に過ぎない。第一、今昔物語や宇治拾遺物語を見れば分かるように、芥川竜之介は、両書に共通して出てくる、ある重要な事柄を一つ、書き漏らしている。これだけをもって、芥川竜之介は古典を尊重していないと結論するに足る。

ところで、芋粥とは何ぞや。これは、山芋を甘葛のシロップで煮込んだお粥のことらしい。この話を真に理解するため、私は芋粥を作ることにした。

まず材料だが、山芋というのは、手に入りにくい。どうやら、山芋は栽培が難しいらしい。したがって、普通に売っている山芋は、かなり値が張る。そこで、今回は長芋を用いることにした。これなら安い。
山芋は、高いとはいえ、入手はさほど難しくない。問題は甘葛だ。甘葛というのは、当時の甘味料のことだ。値段以前の問題で、まず、売っている場所を見つけるのが難しい。そこでしかたなく、砂糖を使うことにした。当時から考えれば、結晶の状態の糖なんて、夢のような甘味料だったに違いない。それこそ甘葛など比べものにならない、伝説の物質と云ってもいい代物だ。どこのスーパーでも、キロ単位で売っている今となっては、全くありがたみがないのだけれど。

長芋を薄く切り、茶碗一杯分食べ残していたご飯に、砂糖をガバガバ入れて、煮込んだ。

私は、砂糖を入れた粥などというものは、生まれてこの方食べたことがない。果たしてウマいのであろうか。

まずい。いやになるぐらいまずい。確かに、米と砂糖の相性は悪くない。しかし、やはり甘ったるい。これはチョコレートや清涼飲料水の甘さと違い、とても不快な甘ったるさがある。とてもじゃないが、飽きるほど食べたいものではない。さらにひどいことに、長芋は、大量の砂糖で煮込んでも、全く甘くならない。つまり、甘ったるい米の中に、全然甘くない芋が混在しているのだ。これは最悪だ。

五位が一盛りをだにえ喰わずなりける理由が、明らかに実感できる。これはダメだ。体が受け付けない。なるほど、五位は日頃の望みが叶ってしまって幻滅したわけではなかったのだ。単に甘ったるい物にうんざりしただけだろう。当時は今と違い、ハッキリとした甘い物が貴重であったにせよ、味覚は、昔の人も今の人も、変わっていないはずだ。とするならば、当時、この甘い粥を食べても、うんざりしたことであろう。これは「飽きる」という言葉で表されべき感覚ではない。とにかく最悪だ。

今昔物語、第二十六巻第十七話
利仁将軍若き時、京より敦賀に五位を将て行く語

今昔、利仁の将軍と云人有けり。若かりける時は、□□と申ける。その時の一の人の御許に、恪勤になん候ける。越前国に、□の有仁と云ける勢徳の者の聟にてなん有ければ、常に彼国にぞ住ける。

而る間、其主の殿に、正月に大饗被行けるに、当初は大饗畢ぬれば、取食と云者をば追て不入して、大饗の下をば、其殿の侍共なん食ける。それに、其殿に、年来に成て所得たる五位侍有けり。其大饗の下、侍共の食ける中に、此五位、其座にて暑預粥を飲て舌打をして、「哀れ、何かで暑預粥に飽かん」と云ければ、利仁此を聞て、「大夫殿、未だ暑預粥に飽せ不給か」と云へば、五位、「未だ不飽侍」と答ふ。利仁、「いで、飲飽せ奉らばや」といへば、五位「何に喜ふ侍ん」と云て止ぬ。

其後、四五日計有て、此五位は殿の内に曹司住にて有ければ、利仁来て、五位に云く、「去来させ給へ、大夫殿。東山の辺に湯涌して候ふ所に」と。五位、「糸喜く侍る事哉。今夜身の痒かりて、否寝入不侍つるに。但し、乗物こそ侍らね」と云へば、利仁、「此に馬は候ふ」といへば、五位、「穴喜」と云て、薄綿の衣二つ計、青鈍の指貫の裾壊たるに、同色の狩衣の肩少し落たるを着て、下の袴も着ず、鼻高なる者の、鼻崎は赤にて、穴の移り痛く湿ばみたるは、洟を糸も巾ぬなめりと見え、狩衣の後は、帯に被引喎たるを、引も不は、喎乍らあれば、可咲ども、五位を前に立てヽ、共に馬に乗て、川原様に打出て行。五位の共には、賤の小童だに無し。利仁が共にも、調度一人、舎人男一人ぞ有ける。

然て、川原打過て、粟田口に懸るに、五位、「何こぞ」ととへば、利仁、「只此也」とて、山科も過ぬ。五位、「近き所とて、山科も過ぬるは」といへば、利仁、「只彼計也」とて、関山も過て、三井寺に知たりける僧の許に行着ぬ。五位、「然は此に湯涌たりけるか」とて、其をだに、「物狂はしく遠かりける」と思ふに、房主の僧、「不思懸」と云て経営す。然ども、湯有り気も無し。五位、「何ら、湯は」といへば、利仁、「実には、敦賀へ将奉る也」と云ば、五位、「糸物狂はしかりける人哉。京にて此く宣はましかば、下人なども具すべかりける者を。無下に人も無て、然る遠道をば、何かで行んと為ぞ。怖し気に」といへば、利仁疵咲て、「己れ一人が侍るは、千人と思せ」と云ふぞ理なるや。此て物など食つれば、急ぎ出ぬ。利仁、其にてぞ胡録取て負ける。

然て、行程に、三津の浜に狐一つ走り出たり。利仁、此を見て、「吉使出来にたり」と云て、狐を押懸れば、狐、身を棄て逃といへども、只責に被責て、否不逃遁を、利仁、馬の腹に落下て、狐の尻の足を取て引上つ。乗たる馬、糸賢しと不見ども、極き一物にて有ければ、幾も不延さ。五位、狐を捕へたる所に馳着たれば、利仁、狐を提て云く、「汝ぢ狐、今夜の内に、利仁が敦賀の家に罷て云む様は、『俄に客人具し奉て下る也。明日の巳時に、高島の辺に男共迎へに、馬二疋に鞍置て、可詣来』と。此を不云は、汝狐、只試よ。狐は変化有者なれば、必ず今日の内に行着ていへ」とて放てば、五位、「広量の御使哉」といへば、利仁、「今御覧ぜよ。不罷では否有じ」と云に合、狐実に見返前に走て行、と見程に失ぬ。

然て、其夜は道に留ぬ。朝に疾く打出て行程に、実に巳時計に、二三十町計凝て来る者有り。何にか有んと見るに、利仁、「昨日の狐、罷着て告侍にけり。男共詣来にたり」といへば、五位、「不定の事哉」と云程に、只近に近く成て、はらと下るまヽに云く、「此見よ、実御ましたりけり」といへば、利仁、頰咲て、「何事ぞ」と問へば、長しき郎等進来たるに、「馬は有や」と問へば、「二疋候ふ」とて、食物など調へて持来れば、其辺に下居て食ふ。

其時に、有つる長しき郎等の云く、「夜前、希有のことこそ候しか」と。利仁、「何事ぞ」と問へば、郎等の云く、「夜前、戌時計に、御前の、俄に胸を切て病せ給ひしかば、何なる事にかと思ひ候ひし程に、御自ら被仰様、『己は、別の事にも不候此昼三津の浜にて、殿の俄に京より下らせ給けるに、会奉たりつれば、逃候つれども、否不逃得で被捕奉たりつるに、被仰る様、『汝、今日の内に我家に行着て、云ん様は、客人具し奉てなん俄に下るを、明日の巳時に、馬二疋に鞍置て、男共高島の辺りに参り合へ、といへ、若、今日の内に行着て不云は、辛き目見せんずるぞ』と被仰つる也。男共、速に出立て参れ。遅く参ては、我勘当蒙なん』とて、怖じ騒せ給つれば、『事にも候ぬ事也』とて、男共に召仰候つれば、立所に例様に成せ給て、其後、鳥と共に参りつる也」と。利仁、此を聞て頰咲て、五位に見合すれば、五位、奇異と思たり。

物など食畢て、急立て行程に、暗にぞ家に行着たる。「此みよ。実也けり」とて、家の内騒ぎ喤る。五位馬より下て家の様を見に、脺はヽしき事物に不似。本着たりし衣二つが上に、利仁が宿直物を着たれども、身の内し透たりければ、極く寒気なるに長櫃に火多く□□て、畳厚く敷たるに、菓子食物など儲たる様微妙也。「道の程寒く御ますらん」とて、練色の衣の綿厚を、三つ引重て打覆たれば、楽と云ば愚也や。

食喰などして静りて後、舅の有仁出来て、「此は何に、俄には下せ給せて、御使の様物狂はしき。上俄病給ふ、糸不便の事也」といへば、利仁、打咲て、「試むと思給へて申たりつる事を、実に詣来て、告候ひけるにこそ」といへば、舅も咲て、「希有の事也」とて、「抑も、具し奉らせ給ひたなる人とは、此御ます殿の御事か」とヽへば、利仁、「然に候。暑預粥に未不飽と被仰れば、飽せ奉らんとて将奉たる也」といへば、舅、「安き物にも飽せ不給ける哉」とて戯るれば、五位、「東山に湯涌たりとて、人を謀出て、此く宣ふ也」などいへば、戯れて、夜少し深更ぬれば、舅も返入ぬ。

五位も、寝所と思しき所に入て寝むと為るに、其に綿四五寸計有直垂有。本の薄は六借く、亦何の有にや、痒き所出来にたれば、皆脱棄て、練色の衣三が上に、此直垂を引着て臥たる心地、未だ不習に、汗水にて臥したるに、傍に人の入気色有。「誰そ」と問へば、女音にて、「御足参れと候へば、参り候ひつる」と云気ひ不ば、掻寄て、風の入所に臥せたり。

而る間、物高く云音は何ぞと聞ば、男の叫て云様、「此辺の下人承はれ。明旦の卯時に、切口三寸、長さ五尺の暑預、各一筋づヽ持参れ」と云也けり。奇異くも云哉と聞て寝入ぬ。未だ暁に聞ば、庭に筵敷音す。何態為にか有むと聞に、夜暁て蔀上たるに、見れば、長筵をぞ四五枚敷たる。何の料にか有むと思ふ程に、下衆男の、木の様なる物を一筋打置て去ぬ。其後、打次き持来つヽ置を見れば、実に口三四寸計の暑預の長さ五六尺計なるを、持来て置。巳時まで置たれば、居たる屋計に置積つ。夜前叫びしは、早ふ、其辺に有下人の限りに物云ひ聞する。人呼の岳とて有、墓の上にして云也けり。只、其の音の及ぶ限の下人共の持来るだに、然計多かり。何況や、去たる従者共の多さ、可思遣。

奇異と見居たる程に、斛納釜共五つ六ほど掻持来て、俄に杭共を打て居へ渡しつヽ、何の料ぞと見程に、白き布のと云物着て、中帯して、若やかに穢気無き下衆女共の、白く新き桶に水を入て持来て、此釜共に入る。何ぞの湯涌すぞと見れば、此水と見は味煎也けり。亦、若き男共十余人計出来て、袪より手を出して、薄き刀の長やかなるを以て此の暑預を削つヽ撫切に切る。早ふ、暑預粥を煮也けり。見に、可食心地不為、返ては踈しく成ぬ。さらと煮返して、「暑預粥出来にたり」と云へば、「参らせよ」とて、大きなる土器して、銀の提の斗納計なる三つ四つ計に汲入て、持来たるに、一盛だに否不食で、「飽にたり」と云へば、極く咲て集り居て、「客人の御徳に暑預粥食」など云ひ嘲り合へり。

而る間、向ひなる屋の檐、狐指臨き居たるを、利仁見付て、「御覧ぜよ、昨日の狐の見参するを」とて、「彼れに物食せよ」と云へば、食はするを打食て去にけり。

此て、五位、一月計有に、万づ楽き事無限。然て、上けるに、仮・納の装束数下調へて渡しけり。亦、綾・絹・綿など皮子数に入て取せたりけり。前の衣直などは然也。亦、吉馬に鞍置て牜など加へて取せければ、皆得、富て上にけり。

実に、所に付て、年来に成て被免たる者は、此る事なん自然ら有ける、となん語り伝へたるとや。

宇治拾遺集、利仁芋粥事

今は昔、利仁の将軍のわかゝりけるとき、そのときの一の人の御もとに格勤して候けるに、正月に大饗せられけるに、そのかみは、大饗はてゝ、とりばみと云ふものを拂いて入れずして、大饗のおろし米とて、給仕したる格勤の者どもの食けるなり。その所に年比になりて、給仕したる者の中にはところえたる五位ありけり。そのおろし米の座にて、芋粥すゝりて、舌うちをして、「あはれいかで芋粥にあかむ」と云ひければ、利仁、これを聞きて、「太夫殿、いまだ芋粥にあかせ給はずや」と問ふ。五位、「いまだあき侍らず」といへば、「あかせたてまつりてんかし」といへば、「かしこく侍らん」とてやみぬ。

さて四五日ばかりありて、曹司住みにてありける所へ、利仁きていふやう、「いざゝせ給へ、湯あみに、太夫殿」といへば、「いとかしこき事かな。こよひ身のかゆく侍つるに乗物こそは侍らね」といへば、「こゝにあやしの馬ぐして侍り」といへば、「あなうれし〱」といひて、うすわたのきぬ二計に、青鈍の指貫のすそ()れたるに、おなじ色のかり衣の肩すこしおちたるに、したの袴も着ず、鼻だかなるものの、さきはあかみて、あなのあたりぬればみたるは、すゝ鼻をのごはぬなめりと見ゆ。狩衣のうしろは、おびに引ゆがめられたるまゝに、引もつくろはねば、いみじうみぐるし。 をかしけれども、さきにたてゝ、われも人も馬にのりて、河原ざまにうち出ぬ。五位の共には、あやしの童だになし。利仁が共には、調度懸、舎人、雑色ひとりぞありける。河原うち過て、粟田口にかゝるに、「いづくへぞ」と問へば、「たゞこゝぞここぞ」とて、山科もすぎぬ。「こはいかに、こゝぞ\/とて、山しなも過しつるは」といへば、「あしこ〱」とて、関山も過ぬ。「こゝぞ〱」とて、三井寺にしりたる僧のもとにいきたれば、こゝに湯わかすかと思ふだにも、物ぐるおしう遠かりけりと思に、こゝにも、湯ありげもなし。「いづら、湯は」といへば、「まことは敦賀へ()て奉る也」といへば、「物ぐるほしうおはしける。京にて、さとの給はましかば、下人なども具すべかりけるを」といへば、利仁、あざわらひて、「利仁ひとり侍らば、千人とおぼせ」といふ。かくて、物など食ていそぎいでぬ。そこにて利仁やなぐひとりて負ひける。

かくてゆく程に、みつの濱に、狐の一、はしり出たるをみて、「よき使出来たり」とて、利仁、狐をゝしかくれば、狐、身をなげて迯れども、をひせめられて、えにげず。おちかゝりて、狐の尻足を取て引あげつ。乗たる馬、いとかしこしともみえざりつれども、いみじき逸物にてありければ、いくばくものばさずしてとらへたるところに、この五位走らせて行つきたれば、狐を引あげていふやうは、「わ狐、こよひのうちに、利仁が家のつるにまかりていはんやうは、「にはかに客人をぐし奉りてくだる也。明日の巳の時に、高嶋邊に、をのこ共むかへに、馬にくらをきて、二疋ぐしてまうで来」といへ。もしいはぬ物ならば、わ狐、たゞ心みよ。狐は変化あるものなれば、けふのうちに行つきていへ」とてはなてば、「荒凉の使哉」といふ。「よし御覧ぜよ。まからでは世にあらじ」といふに、はやく狐見返し〱て、前に走り行。「よくまかるめり」と云にあはせて、走先立ちてうせぬ。

かくて、その夜は道にとゞまりて、つとめてとく出て行ほどに、誠に巳時ばかりに、卅騎ばかりよりてくるあり。なにゝかあらんとみるに、をのこどもまうできたりといへば、不定のことかなといふほどに、唯近にちかくなりてはら〱とおるゝほどに、「これ見よ。まことにおはしたるは」といへば、利仁うちほゝえみて何ごとぞとゝふ。おとなしき郎等すゝみきて、「希有の事の候つるなり」といふ。まづ、「馬はありや」といへば、 「二疋さぶらふ」といふ。食物などして来ければ、そのほどにおりゐてくふつゐでに、おとなしき郎等のいふやう、「夜べけうのことのさぶらひしなり。戌の時ばかりに臺盤所の、むねをきりにきりてやませ給しかば、いかなることにかとて、にはかに僧めさんなど、さはがせ給しほどに、てづから仰さぶらふやう、「なにかさはがせ給。おのれは狐なり。別のことなし。この五日、みつの濱にて、殿の下らせ給つるにあひたてまつりたりつるに、逃げつれど、え逃げで、とらへられ奉りたりつるに、「けふのうちにわが家にいきつきて、客人ぐし奉りてなんくだる。あす巳時に馬二にくらをきてぐしてをのこども高島の津にまいりあへといへ。もしけふのうちにいきつきていはずば。からきめみせんずるぞ」とおほせられつるなり。をのこどもとくとく出立てまいれ。をそくまいらば。我は勘当かうぶりなん」とおぢさはがせ給つれば、をのこどもにめしおほせさぶらひつれば、例ざまにならせ給にき。その後鳥とともに参さぶらひつるなり」といへば、利仁、うちえみて、五位に見あはすれば、五位あさましと思たり。物などくひはてゝいそぎたちてくら〲に行つきぬ。」これ見よ。まことなりけり」とあざみあひたり。

五位は馬よりおりて家のさまをみるに、にぎはしくめでたきこと物にもにず、もと着たる(きぬ)二がうへに、利仁が宿衣をきせたれども、身の中しすきたるべければ、いみじう寒げに思ひたるに、ながすびつに火をおほふおこしたり。 たゝみあつらかにしきて、くだ物くひ物しまうけて、たのしくおぼゆるに、「道の程さむくおはしつらん」とて、ねり色の(きぬ)の綿あつらかなる、三ひきかさねてもてきて、うちおほひたるに、たのしとはおろかなり。物くひなどして、ことしづまりたるに、しうとの有仁、いできていふやう、「こはいかで、かくはわたらせ給へるに、これにあはせて御使のさま物ぐるおしうて、うへ、にはかにやませたてまつり給ふ。けうの事なり」といへば、利仁うちわらひて、物の心みんとおもひてしたりつる事を、まことにまうできて、つげて侍るにこそあんなれ」といへば、しうともわらひて、「希有のことなり」といふ。「具し奉らせ給つらん人は、このおはします殿の御事ぞ」といへば、「さに侍り、「芋粥にいまだ飽かず」と仰せらるれば、飽かせ奉らんとて、率てたてまつりたる」といへば、「やすき物にも、えあかせ給はざりけるかな」とて、たはぶるれば、五位、「東山に湯わかしたりとて、人をはかりて、かくの給なり」など、いひたはぶれて、夜すこしふけぬれば、しうとも入ぬ。寝所とおぼしきところに、五位入てねんとするに、綿四五寸ばかりあるひたゝれあり。我もとのうすわたはむつかしう、何のあるにか、かゆき所もいでくるきぬなれば、ぬぎをきて、ねり色のきぬ三がうへに、このとのゐ物ひき着ては、臥したる心、いまだならはぬに気もあげつべし。あせ水にて臥したるに、又、かたはらに人のはたらけば、「たぞ」とゝへば、「「御あしたまへ」と候へば、参りつる也」といふ。けはひにくからねば、かきふせて、風のむく所にふせたり。かゝるほどに、物たかくいふこゑす。何事ぞときけば、をのこのさけびていふやう、「このへんの下人、うけたまはれ。あすのうの時に、切口三寸、ながさ五尺の芋、おの〱一すぢづゝもてまいれ」といふ也けり。あさましうおほのかにもいふものかなと、きゝてねいりぬ。あかつき方にきけば、庭に莚しくをとのするを、なにわざするにかあらんときくに、こやたうばんよりはじめて、おきたちてゐたるほどに、蔀あけたるに、みれば、ながむしろをぞ、四五枚しきたる。なにの料にかあらんとみるほどに、げす男の、木のやうなる物をかたにうちかけて来て、一すぢをきていぬ。その後、うちつゞきもてきつゝをくをみれば、まことに口三寸ばかりのいもの、五六尺ばかりなるを、一すぢづゝもてきてをくとすれど、巳のときまでをきければ、ゐたる屋とひとしくをきなしつ。夜べさけびしは、はやうそのへんにある下人の限りに物いひきかすとて、人よびの岡とて、あるつかのうへにていふなりけり。たゞそのこゑの及ぶかぎりのめぐりの下人のかぎりもてくるにだに、さばかりおほかり。ましてたちのきたる従者どものおほさをおもひやるべし。あさましとみたるほどに、五石なはのかまを五六舁もてきて、庭にくゐどもうちて、すへわたしたり。何の料ぞとみるほどに、しぼぎぬのあをといふもの着て、帯して、わかやかにきたなげなき女どもの、しろくあたらしき桶に水を入て、此釜どもにさくさくといる。何ぞ湯わかすかとみれば、この水とみるはみせんなりけり。わかきをのこどもの、袂より手出したる、うすらかなる刀のながやかなるもたるが、十余人ばかりいできて、このいもをむきつゝ、すきゞりにきれば、はやく芋粥煮る也けりとみるに、くふべき心ちもせず、かへりてはうとましく成にけり。さら〱とかへらかして、「芋粥いでまうできにたり」といふ。「まいらせよ」とて、先、大なるかはらけ具して、かねの提の、一斗ばかり入ぬべきに、三四に入て、「かつ」とてもてきたるに、飽きて、一もりをだにえ食はず。あきにたりといへば、いみじうわらひてあつまりてゐて、「客人殿の御とくにいもがゆくひつ」といひあへり。かやうにする程に、向のながやの軒に、狐のさしのぞきてゐたるを、利仁見付て、「かれ御らんぜよ。候し狐の見参するを」とて、「かれに物くはせよ」といひければ、くはするにうちくひてけり。

かくてよろづのこと、たのもしといへばをろかなり。一月ばかりありて、のぼりけるに、けおさめのさうぞくどもあまた具たり。 又、たゞの八丈わたぎぬなど、皮子どもに入てとらせ、はじめの夜の直垂はたさらなり、馬にくらをきながらとらせてこそ送りけれ。

きう者なれども所につけて年比になりてゆるされたる物は。 さるものゝをのづからあるなりけり。

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