2009-07-02

幼學綱要はロクなもんじゃない

ひょんなことから、幼學綱要の複製を手に入れた。今読んでいるが、ロクなもんじゃない。明治もたいしたことなかった。

例えば、「京師ノ僧某~」から始まる有名な話がある。この坊さんの母が、たいそうな生魚好きで、それ以外は食欲がわかないという人だった。それゆえ、この坊さんは、毎日、魚を買い求めて、母に食べさせていた。ところがあるとき、「白河上皇屠殺ヲ厳禁ス」ということが起こった。ために魚が手に入らない。魚が食べられないので、母は食欲がなくなり、日に日に弱っていく。坊さんは仕方なく、法を犯して、桂川で魚を捕る。帰る途中に、巡吏の捕縛する所となった。その母を思うために法を犯したということに、皆感激し、ついに白河院も「金帛ヲ賜テ放還ス」ということになった。

これなども、白河院がカルトめいた非論理的且つ非科学的な院宣を出さなければ、僧は毎日、母に魚を食べさせることができたであろうし、その場合、母も栄養失調にはならなかったのである。よって、現代人が普通に考えれば、この話では、坊さんは当然のことをしたまでであり、白河院は思いつきと宗教的盲信により馬鹿げた院宣を下したアホンダラということになるのである。明治の世相と当時の学者の頭ではそうはならない。現代から見ると、じつに馬鹿げたことである。

だいたい、白河院、あのバイセクシャルのジジイは、息子の嫁にまで手を出したことで有名であり、その結果が叔父子と名高い崇徳天皇だというのは、よく知られた話である。清盛だって、白河院が三十三間堂の辺りに住んでいた賤女とファックした結果だという話である。又当然の如く、院政を敷いて権力を手放さなかったので、当時の政は混乱していた。とすれば、そもそも平安時代の終焉、武家社会の勃興を招いた張本人と言ってもいいだろう。

げんなりして次のページを見ると、「平重盛。人ト為リ忠勤溫厚ニシテ。武勇人ニ軼グ」とあって、さらにげんなり。オマエ、重盛といえば殿下の乗合起こした張本人だろうが。忠勤溫厚というのも、どうせ天皇側に与したための評価に過ぎない。武勇人に過ぐというが、平治物語の記述を見る限り、単に蛮勇を衒うアホ勇者でしかない。灯籠でも灯してろマヌケめ。

すぐに気がついたのだが、この幼學綱要の文章は、ほとんどが大日本史を訓読して引用したすぎないのである。冒頭には、「時ノ侍講元田永孚先生ノ編纂セラレタルモノニシテ」とあるが、こんな綱要を現代において提出したならば、コピペ論文の照合を恣にするだけである。したがって、元田永孚とはコピペ先生と呼び捨てて差し支えなかろうと思う。まあ、朱子学者なのだから、何をか期待せんやといったところだ。

大日本史が何故もてはやされたかというと、やはり天皇を正統だとしたから、明治の時代に都合が良かつたのだろう。あの極悪非道でゲイで虚栄心の高い光圀が善人面してテレビで放映されているのも、実はこういうところに端を発しているのである。

ただし、読み物としては、現代の学校教科書より上である。何故ならば、比較にならないほど大量の、本物の文章を引用しているからだ。大日本史は、史書としては下の下だが、読み物としてはなかなか評価できるのである。カネが手には入つたら、大日本史でも買おうかしらん。

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