2009-10-22

時代祭

時代祭を見てきた。河原町あたりで待っていると、行列がやってきた。無料で配っていたパンフレットをみて、目当ての行列はどの辺にいるのかを確かめていると、列の中より、一人近寄ってきて、「ほんまもんのプログラム」とやらをくれた。みると、「本書により御苑内講社観覧席にて御観覧できます」などと書いてある。なぜこの私にくれたのか分からないが、行列の次第が、細かく書いてあったので、大変便利であった。

さて、時代物語の感想を羅列してみようと思う。

まず目に付いたのは、出雲阿國の歩き方が、非常に美しかったということだ。

牛車がやってきた。みると、狩衣姿の男が三人、牛車の後ろから、大儀そうに押していた。最近、牛車を引っ張れるほどの力のある牛がいないと聞く。仕方のないことなのだろう。ちなみに、中には秀吉が乗っているということが、「ほんまもんのプログラム」に書いてあった。

今回、信長の行列があった。ただし、信長役の人は、どうも信長らしくなかった。小兵で、顔も精悍ではない。また、信長の行列にも、秀吉がいた。つまり、行列中に秀吉は二人いることになる。

戦国時代になると、武将はおのおの、実に奇抜な兜をかぶっていた。これは、戦場において、自己主張をするためのものである。京都博物館には、南無阿弥陀仏という六字名号を書いた鉄板を取り付けた、実にマヌケな兜がある。

室町に入ると、小姓は、従者ではなく、雑色という呼び名になる。「ほんまもんのパンフレット」にも、そう書いてある。室町時代のある人が、烏帽子を取って汗をぬぐっていた。おいおい。

吉野時代では、ホラ貝を吹く人がいた。だいぶストレスのたまっていそうな馬もいた。

さて、中世婦人列である。ここに静御前がでてくるのだが、なぜここで出てくるのか、私には分からない。淀君や藤原為家の室とは、ずいぶん時代が離れていると思うのだが、どうしてだろう。何故この後の、平安時代婦人列にいないのだろうか。静御前は、やはりというか、鼓を持っていた。打つに打てぬ鼓といったところか。

中略。有名な人物がでてこない。

さて、一番の見所の、平安時代婦人列である。これは、先斗町から人がでる所だ。まず巴御前。やたらと勇ましい女が馬に乗っていた。プロレスがうまそうであった。まあ、平家物語に書いてあるような事を考えたら、そういう女になるのは当然といえば当然である。次に横笛。高山樗牛の滝口入道は、優れた小説だ。その次に常磐御前だが、私は常磐御前が誰か、すっかり忘れていた。常磐御前は義経の母である。

清少納言と、紫式部が、同じ畳に座っていた。はて、あいつらは仲が悪かったのではなかったか。いかにも女らしいしみったれた根暗な悪口が、文章として残っているぐらいなのだから。「清少納言こそ したり顔にいみじうはべりける人 さばかりさかしだち 真名書き散らしてはべるほども よく見れば、まだいと足らぬこと多かり かく 人に異ならむと思ひ好める人は かならず見劣りし 行末うたてのみはべれ」云々

後の時代は、私にはよく分からなかった。

ところで、あまり人が注目しないだろうところに、履き物がある。下駄の良し悪しは分かりづらいが、雪駄の良し悪しは、すぐに分かる。コルクやスポンジを使った雪駄は、安物である。見ていると、何人かは、良い雪駄を履いているようであった。中でも不思議だったのは、右足がスポンジで、左足がコルクという雪駄を履いた人がいたことだ。何だったんだろうか、あれは。

あとタバコ吸ってるヤツはカエレ。

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