寒い晩、男が一人、油明かりの元で、上書を認めている。
嗚呼、思えば己は不遇だった。生まれて三歳にして、厳父にそむかれて狐となった。少時より書を好み、読むこと日々に数千百言、能く六経百家に通じ、略古今を知る。進士に及第したのは、貞元八年、二十五歳の時だ。己はもっと早く名を挙げているべきだったのだ。貞元十九年にして、ようやく監察御史となるも、宮市の甚だしきを上疏して、流された。
思えば、己は体も弱かった。まだ三十だというのに、歯が一本抜け落ちた時は、さすがの己も慌てた。己はこのまま死ぬのではなかろうかと、真剣に悩んだ。歯が一本ないだけで、物食らうことを妨げるし、周りの歯もぐらぐらして、うがいも怖い。後を追って、二本、三本と抜けていくごとに、己は言いようのない恐怖を感じた。
クソッ、何故だ。何故、己はいつもこうなのだ。己が一体何をしたというのだ。己はそこらにいる馬鹿どもよりは、よほど気が利いている。己は書を読んでいる。己は老仏に惑わされぬ。己は常に正しいことしか言っておらぬ。その報いがこれでは、あんまりではないか。
就中、今回のことだ。鳳翔にあるとかいう、仏の指の骨を宮中に迎え入れ、士をして地に這いつくばって拝ましめ、甚だしきに至っては、額を焼き指を焼き、衣を脱ぎ銭を散じ、朝より暮に至り・・・・・・。嗚呼、もはやこれは、中国の禮ではない。夷狄に属するものである。とすれば、彼はこれ夷狄か。
ああ、何故こんなにも、老仏思想がもてはやされるのか。己はさすがに堪えられず、直接、上表して訴えた。仏の汚らわしい骨など、水火に投ずべしと。それがどうだ。己は罪、死にあたるだと。クソッ、何だこれは。
幸い、同僚の諫めもあり、死罪一等を減じて、潮州刺史となり、この寒い地に来た。今から、到着の報告を書かねばならん。さて。
臣、狂妄戇愚、禮度を識らざるを以て、上表して佛骨の事を陳べ、言不敬に渉る。
狂妄戇愚だと、禮度を識らざるだと、言不敬だと。我ながらどうしてこんな言葉が出せるのか信じられぬ。一体己の何が悪かったというのだ。
聖恩宏大、地量る莫し。腦を破り心を刳くとも、豈謝を為すに足らんや。臣某誠惶誠恐、頓首頓首。
何だこれは。己の長年の読書は、長年の学は、詩作は、このような空虚な文を書く為のものだったのだろうか。
臣、正月十四日を以て,恩を蒙りて潮州刺史に除せられ、即日奔馳して道に上り、嶺海を經渉す。
嗚呼、拏よ。思えばお前は不幸な子であった。旅立ちに臨んでお前の顔を見るに、今度の旅に堪えられぬ事を恐れた。まさか、その恐れの通りになってしまうとはな。仮に道ばたに葬った。棺も間に合わせのものに過ぎん。埋めてすぐに行かねばならなかった。嗚呼、お前を誰か守り、誰かみるというのか。今もお前の顔が、脳裏に浮かんで離れない。己のせいなのか。だが、己のどこが悪かったというのだ。
参考:論仏骨表、潮州刺史謝上表、落歯、祭女拏女文
祭女拏女文は、日本ではマイナーだと思われるので、ここに引用しておく。
維年月日、阿爹阿八、使汝妳以清酒時果庶羞之奠、祭於第四小娘子挐子之靈。嗚呼、昔汝疾極、值吾南逐。蒼黃分散、使女驚憂。我視汝顏、心知死隔。汝視我面、悲不能啼。我既南行、家亦隨譴。扶汝上輿、走朝至暮。天雪冰寒、傷汝羸肌。撼頓險阻、不得少息。不能食飲、又使渴饑。死於窮山、實非其命。不免水火、父母之罪。使汝至此。豈不緣我。草葬路隅、棺非其棺。既瘞遂行、誰守誰瞻。魂單骨寒、無所托依。人誰不死。於汝即冤。我歸自南、乃臨哭汝。汝目汝面、在吾眼傍。汝心汝意、宛宛可忘。逢歲之吉、致汝先墓。無驚無恐、安以即路。飲食芳甘、棺輿華好。歸於其丘、萬古是保。尚饗。
韓愈の文章の中でも、だいぶ変わっている文章だと思う。この文は韻を踏んでいない。以清酒時果庶羞之奠という所だけは、決まり文句なので、かろうじて韻が入っているが、それだけである。そこにも、普通、以清酒庶羞之奠であるのに、時果が入っていることから、親の愛情を感じる。
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