2009-11-08

神隠しについて

柳田國男の山の人生を読んでいる。

古来より今に至るまで、子供がいなくなるということは、よくある話だ。もちろん、その理由は、道に迷っただとか、家出や自殺、あるいは誘拐にあったなど、何らかの事件事故に巻き込まれたことによる。

ところで、当時の人達は、これは神隠しにあったに違いないと考えた。古くは鬼、後に天狗や山姥によって連れさらわれると考えた。

その対処も面白い。近所の人達で、鉦太鼓を鳴らし、「太郎かやせ、次郎かやせ」と叫びながら、練り歩くらしい。明らかに、何か超自然的な存在から、子供を取り替えそうという意図がみてとれる。また、子供の使っていた茶碗を叩くというのもあるらしい。茶碗と叩くというのは、大抵の農家では忌み嫌われているのだが、それというのも、飯茶碗を叩くというのは、「今から飯をくれてやるぞ」という意思表示であり、そういう神を呼び寄せる効果があるのだとか。だから禁忌をあえてして、そういう神を呼び出しているのだとか。

あるいは、「鯖くった誰それやーい」と呼ぶこともあるのだとか。これは、天狗というものは鯖を嫌うらしく、誘拐した者が、鯖を食っていると分かったならば、直ちに返すであろうという意図があるらしい。

次に、「赤豆飯を食えよ」と呼ばわる場合もあるのだとか。神は赤飯が好きらしい。これは、柳田國男にはその理由が分からないとしてあるが、神が赤飯を好むということ、また「食えよ」というのは、意味的に、「今から食わしてやるぜ」という感じがするので、赤飯をエサに神を釣ろうという考えではあるまいか。

古来より、何百年も生きたと自称する人間が複数いた。そういう人間は、なぜか常陸坊海尊を名乗っていて、源平合戦を、まるで見てきたかのように語ったという。どうも、常陸坊は、行方不明になっていたため、自称するのに都合がよかったらしい。

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