柳田國男の、口承文藝史考が面白い。
柳田國男の空想は実に興味深い。
まず、夢について。夢というのは、上代は、個人個人、家々で解釈していたが、次第に文明が進歩していくに連れて、それでは足りなくなった。そこで、夢を語るのがうまい者に、代表して語らせるようにした。これも次第に無力になっていき、ついに、旅の職業の女性に頼るようになったのだとか。
また、その専門家も、無能であった。新しくつくりだすということをほとんどせず、既存の物語を、人の首だけすげ替えて流用していたり、一度大いにウケたネタは、弟子から弟子へと相伝していった。その結果、我々の文学は、ひどく束縛がある。型とかお約束と呼ぶべきものがあって、これから外れると、大衆は見向きもしない。
一つ何かがヒットすると、その後追いが次々と登場するとか、過去のヒット作の続編を延々と作り続ける、現状の娯楽も、なんとかして欲しいものだ。
昔話には、いわゆる正直爺さんといじわる爺さんが登場する。近代風にアレンジされた昔話では、正直爺さんの善行と、いじわる爺さんの悪行とを、ことさらに対比強調することによって、その違いを読者に示してる。ところが、どうもこれは違うらしい。徳分は天意の決するところであるという考え方があって、その命にあらざるものがマネをしても、上手くいかないというのが、本来の意図するところであったらしい。
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