文体について考えてみる。人間である限り、文体という、文章の個性は、当然でてくる。問題は、その個性をどこまで主張するかということだ。
たとえば、ですます調だ。ざっと見た限りでは、日本語の技術書は、ですます調を使っている方が多いと思う。しかし、私はですます調が嫌いなので、使おうとは思わない。
語尾をです、ますから、だ、であるに変える程度なら、別にそれほど問題でもない。それ以外の文章の個性はどうだろう。
例えば、このブログの文章には、かなり「遊び」を入れている。といっても、あまり意図的に入れているわけではない。長い文章を書こうとすると、自然に入ってしまうのだ。この遊びがないと、長い文章がかけない。つまり、文章が単調だと、読むだけでなく、書くのもつまらないのだろう。
とはいえ、これから書くのは本である。個人のブログではない。私は、本には、「よろしく~すべし」とか、「まさに~せんとす」、とか、「~をして~せしむ」などといった表現、あるいは、聞説、所謂、就中、不斜、などといった漢文表現をいれるつもりはない。これは、私が漢文を好きだから、たまに使っているのであって、さすがに、プログラマに漢文の素養を求めるのは、間違っている。したがって、使わない。
それ以外の、差し障りのない遊びをいれるかどうか。あまり入れるべきではない。しかし思うのだが、単調な文章というのは、読んでいてつまらない。ましてや、今回は言語を解説する本である。私は、規格の、Generalとか、Lexical conventionsとか、Basic concepts、あるいは、Standard conversionsなども、すべて解説するつもりでいる。これは、知っていても、直接役に立つというわけではない。しかし、C++を理解するためには、知っておかなければならない。よく、C++が理解できないといわれるのは、文法が理解出来ないのではなくて、この辺を解説している参考書がないからなのだ。
世間には、やる夫で学ぶシリーズや、マンガで分かるシリーズ、萌えるシリーズなどの、参考書が存在する。これも、一種の文体とみなしていいのではなかろうか。これらは、遊びの部分が大きすぎるので、問題もあるのだが、つまらないから学ばないのと、遊びの部分が多くて詳細を解説していないが学べるのとでは、どちらがマシだろうか。
私の母親は、教員免許を持っていて、昔は塾の講師をしていたらしいが、授業する秘訣に、笑いを入れるというのがあったらしい。塾の授業は、何時間もある。単調に学んでいただけでは、集中力が続かない。定期的に、笑いを入れた方が、効果的だったという話である。
これを考えると、文章に、差し支えない範囲で、遊びを入れて、読みやすくするのは可である。
問題は、私の笑いのツボは、少しく世間と乖離しているという懸念がある。例えば、私は、Windows 7のBeep ドライバってどうなったのさ?という記事は、かなり気合を入れて書いた。しかし、たったの2はてブしか得ていない。一方、Windows 7にGod Mode、発見さるという記事は、かなり投げやりに書いた。ところが、こちらは20はてブも得ているではないか。
これはどう考えても解せない。絶対にBeepの方が面白いはずである。こんな面白い記事には、今頃100はてブはされていてしかるべきだ。解せん。
と、このように、私は遊びを入れたがるのである。まあ当然、一般大衆にも分かりやすいのは、フォルダにある特定の名前をつけただけで使える、Windowsの隠し機能の方だろうが。
Programmingの技術書はよくダジャレなどが入ってますけど、それぐらいは入れてもいいのではないでしょうか。読者に伝わるかどうかは別ですが。
ReplyDeleteMonty Pythonならいくらでもネタがあるのですが。
ReplyDeleteそりゃプログラマの私とかはBeepの話のほうが100倍面白かったですけど、
ReplyDelete広く一般人が使うはてブ的にはGodModeのほうが注目されるでしょ。
というか、Beep話で笑い転げる連中ははてブなんて使わない気が。