GNU/Linuxに移行してより、あらゆることが新鮮で充実した日々を送っている。急に身長が伸びたりはしないし、彼女もできないし、宝くじにも当たらないが、幸せだ。
ただ、どうも、道を誤った感がある。
ここ数年というもの、C++の参考書の執筆に専念してきた。規格書の読解、日本語による説明、ひとつの機能だけを使った完結なサンプルコード、そんなことを考えて日々を送っていた。その結果、C++の規格の知識は大幅に増えたが、その他の技術からは遠ざかってしまった。向上したのは、英語の読み書き能力とドキュメントを読む力だけだ。一部の能力だけに特化した結果、汎用的なプログラマーとしての力は、むしろ衰えてしまった。
新しい環境で新鮮な気持ちになり、久しぶりに色々とコードが書きたくなった。驚いたのは、ドキュメントを読む力が格段に上がっていて、全く馴染みのない環境やライブラリでも、楽に学べるようになっていることだ。問題は、コードを書く力が落ちているのだ。
何しろ、この数年、コンパイラーに頼れない生活を送ってきたのだ。たしかに、gccはC++11のほとんどの機能をサポートしているが、まだまだバグが多く、コンパイルが通るといっても、気休めにしかならない。正しいC++11のサンプルコードを書くには、いちいち規格にあたって確認しなければならない。そういう生活を送ってきたので、一行書くたびに、規格やライブラリのドキュメントを参照して、本当に間違いがないかどうか確認する癖がでてしまう。これは困った。
やはり、結論としては、フルタイムでプログラミングの参考書を書くべきではなかったということだ。参考書の執筆という作業は、本物のプログラミングとはまた違った地味な能力を要求される。そのため、本を執筆ばかりしていると、本物のプログラミングから離れてしまう。
某信徒だって、今はプログラミングの参考書ではなく、専ら数学書を書いていると聞く。それから、あの大御所の大先生は、果たしてご存命のうちに全十二章からなる大著を完成させられるのか、おぼつかない。
詰んだか。詰んだのか。あまりにも知識を特化しすぎたのか。しかし、どうしろというのだ。こうでもしなければC++のコア言語の詳細を解説する参考書は書けないのだ。
ともかく、C++の参考書を書き上げよう。GNU/Linuxへの移行で、gccより優れたC++11コンパイラー、clangを手に入れたので、執筆がはかどる。それにしても不毛だ。
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