2012-04-17

宗教音楽がすばらしい

ふと発心して、いろんな宗教音楽を聞いてみた。神楽、読経、グレゴリオ聖歌、コーラン。どれもすばらしい品質だ。

当然だ。これらの音楽技術は、百年、千年の単位で開発され続けてきたのである。まだ数十年しか立っていない一年単位で使い捨ての昨今の音楽とはわけが違う。

最近、聞くべき音楽がないと思っていたが、そんなことはなかった。およそ、発明されるべき音楽はすでに発明されてしまったのだ。今あるのはその上澄みの搾りかすみたいなものだ。そして、著作権がどんどん不自由になっていくこの時代、新たに作られる音楽に未来はない。

これからは、すでに完成された音楽を発掘する時代になるだろう。もはや音楽の進化は止まっている。石のなかから多少ましな石を選ぶより、玉の山から優れた玉を選ぶべきである。

20世紀には、複製技術が著しい発展を遂げた。すなわち、音を録音できるようになったのである。また最近では、録音の複製が容易になった。このことから、著作権が不自然に強化されていくこととなった。そして、今後も著作権は継続的に強化されることに疑いはない。数十年ごとに、もう数十年ほど、著作権の保護期間を延長するのだ。これにより、我々は永遠の著作権を得ることになる。

しかし、強い著作権の下では、音楽は発展しない。当然だ。音楽は自由に歌われてこそ発展するのだ。自由に歌うことが制限された世界では、音楽は衰退するばかりである。証拠が欲しくば、今の音楽をみよ。まるでつまらないではないか。

しかし、希望はある。現時点で、すでに著作権者が故人となって数十年を経過している著作物は、おそらくギリギリで、この永遠の著作権から解放されるだろう。むろん、その頃には、私は鬼籍に入っているだろう。しかし、我々の次の世代は、音楽がまだ力を持っていた最後の時代の、本物の音楽を、自由な表現物として手に入れることになる。ここに希望がある。音楽は死んだが、本物の音楽が失われることはない。

4 comments:

  1. まずつぶやいてから日記に書くようになる
    →そのうちつぶやくだけで日記に書かなくなる
    順調に進化(?)の道をたどっていますね。

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  2. いや、やはりTwitterはあまりなじめませんね。

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  3. 読経、声明は自由からは程遠い。声明は師僧から弟子へ口伝で伝承され、加行中に音を少しでもはずすと暴力でもって修正される。しかし、ごくまれに現れる改革者によって一気に変化し、現在の声明となっている。
    著作権もそれに対する改革者が現れるのを待つばかりだ。

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  4. DRMと著作権を嫌う自由ソフトウェア主義の人は古い音楽を好むので、教養があるということか

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