2012-06-16

我が国における二重思考の徹底ぶりはすさまじい

ジョージ・オーウェルの表した1984年では、二重思考が行われている。この世界では、主人公のウインストン・スミスは、ビクトリーマンション(勝利豪邸)に住んでいる。

現実のマンション(mansion)というのは、「豪邸」という意味である。あまりにも家が大きく、維持管理に人を何人も雇わなければならないような豪邸だ。専用の運転手が運転する車で屋敷に入ったら、使用人が総出で出迎えるような、そんな豪邸だ。

一方、ウインストン・スミスのすむ、勝利豪邸(ビクトリーマンション)は古臭くみすぼらしい集合住宅で、壁はひび割れ、窓はダンボール貼り、通路は茹でたキャベツと古びたボロ布マットの臭いがする。そんな集合住宅だ。エレベーターは動かない。機械自体がオンボロなこともあるし、憎悪週間に向けた準備のために、日中は電力が遮断されているからだ。そして、いたる所には偉大なる同志の張り紙が貼られている。偉大なる同志の目は周囲を見はるように動き、張り紙には、「偉大なる同志は見張っているぞ」と書いてある。

我が日本国はどうか。我々日本人が、「マンション」と呼んでいるものはどうか。現実世界のマンションだろうか。それとも、ジョージ・オーウェルの描く二重思考の行われている1984年のマンションだろうか。

もちろん、日本におけるマンションは、1984年のマンションだ。これは、我が国が優秀な二重思考の国だからである。

実に、我が国は二重思考が盛んな国である。ゲーム専用機と呼ぶべき機械を消費者と呼び、大量解雇、もしくは、いっぱいクビにすると言うべきところを、再構造化と言う。世の中に、日本ほど二重思考が盛んな国はない。最近では、他人の意思を読み取る超自然的な能力のことを、コミュニケーション能力と呼ぶらしい。

ともかく、いま流行りの二重思考は、「リッピング」である。この言葉は非常に曖昧である。この言葉は、紙を破くときに使うべき言葉である。それが、CDやDVDやブルーレイなどといった、光学ディスクの複製物を作成する際に使われている。このような曖昧で誤った言葉の使用が、今の奇妙な騒動を引き起こしている。

報道に言う。曰く、「著作権法が改正されて、リッピングが違法になった」と。これは誤りである。著作権法が改正されたのは事実だ。違法になったのは、私的利用のために、DVDやブルーレイなどに使われている、CSSやACCSなどの技術的保護手段、すなわちDRMを回避する方法である。

すなわち、これらの技術的保護手段を解析し、非正規の方法で復号化し、あるいは無効化すること。また、その方法を人に教えること。さらに、その方法を行う道具を提供することが違法になる。

そして、私的利用のためということにも注目しなければならない。たとえば、法律の定義による、引用のためならば許されるし、図書館における利用や、障害者のための利用なども許される。単に、私的利用による著作権の制限が制限されるだけである。

これは、いまさら非難しても始まらない。なぜならば、これは単に、著作権に関する世界知的所有権機関条約を、国内法で実装したに過ぎないのだ。すでに実装したはずだったのだが、実装に漏れがあり、DVDなどの場合に正しく適用出来なかった。だから改正したのだ。つまり、本当に非難すべきなのは、著作権に関する世界知的所有権機関条約であり、避難すべき時は、日本がこの条約に加盟した2000年である。この2012年ではない。もはや遅すぎるのだ。

レッシグが言ったように、「俺らが何もしないせいで、奴らが勝ってる」のだ。

そもそも、この条約の定義する技術的保護手段というのは、ちっとも技術的ではない。方法は大きく分けてに種類ある。「コピーしないでね」と明示しておいて、機械はその明示に従うものがひとつ。これは、そのような明示を無視する機械があれば、容易に破ることができる。しかし著作権に関する世界知的所有権機関条約はそれを禁じている。

もうひとつは、技術的に間違った暗号の使い方によるものだ。これは、実際のところ、暗号ではない。私は、偽装化とか、難読化と呼ぶことを推奨している。著作物は秘密の鍵や、秘密の暗号方法で暗号化され、あらかじめ認められた条件で利用する時のみ、機械が復号化する。これは、機械がその条件を無視してしまえば、容易に破ることができる。しかし、著作権に関する世界知的所有権機関条約はそれを禁じている。

ここでの機械とは、利用者の所有する機械である。汎用コンピューターである。しかし、この著作権に関する世界知的所有権機関条約は、利用者が所有していて、利用者の支配下にある汎用コンピューターの動作を、利用者が検証し、改変することを禁止する法である。それゆえ、汎用コンピューターを制限する法である。

たとえば、私のコンピューターで実行されているプログラムがあれば、私は当然、(十分な知識と時間があれば)、そのプログラムの存在を発見し、その動作を検証し、さらにその動作を停止できるべきである。ところが、この法はそれを禁止する。そのプログラムが何をやっているか検証することを禁止し、動作の停止も禁止する。さらに、その情報を他人に教えることを禁止する法である。さらに、プログラムの動作を停止させるプログラムの他人への配布を禁止する法である。つまり、利用者の所有する汎用コンピューターの自由を奪う法である。

ちなみに、CDにはこのような技術的保護手段は使われていないので、私的利用のためであれば複製できる。また、これは私的利用を制限するだけなので、引用などの他の著作権が制限を受ける場合にはかかわらない。しかし、解除プログラムの配布が禁じられている。

これで、読者はことの危険性を認識したであろう。技術的保護手段の回避の禁止というのは、我々の自由を奪うことなのだ。

自由を保つためにはどうすればいいのか。まず、そもそもDVD映画などはボイコットすべきである。技術的保護手段というのは、設計上の欠陥であり、非人道的である。見ない、所有しないというのが、唯一の正しい方法だ。

ちなみに、これはDVDという光学ディスクをボイコットせよと言うことではない。DVDやブルーレイディスクに映画を記録するための規格があり、その規格をボイコットせよということだ。

さらに、自由なソフトウェアのみを使うべきである。不自由なソフトウェアは利用者の自由を制限するものであり、その存在自体が非人道的である。もし、読者がWindowsとかMacなどという不自由なOSを使っているならば、今すぐ改めるべきだ。自由なOSの候補としては、GNU/LinuxやFreeBSDなどがある。今私は、この文章をGNU/Linuxで書いている。至って快適であり、まったく不便なことはない。いますぐGNU/Linuxをインストールするべきだ。

自由なOSを導入した上に、自由なソフトウェアのみを導入して使うべきである。残念ながら、私はこの点において、まだ十分ではない。何故ならば、私の使っているnVidiaのGPUには、自由なドライバーが存在しないからだ。Nouveauはまだ不安定すぎて使い物にならない。そのため、しかたなくnVidia公式の制限されたバイナリブロブを入れている。これは、仕方がないことだ。金さえあればIvy Bridgeなどの、より自由なGPU環境に移行したいのだが、残念ながら金がない。それに、性能も悪い。

それでも、私の環境は、他のもっと不自由な環境に比べれば、まだ比較的マシであると言える。

2 comments:

  1. え。
    二重思考と、語源と意味の乖離を混同するような人じゃないはずだよね。
    「タイトルや枕なんてものは人を呼び本題を読ませるためにあるものなので、誤りを含んでいても何ら問題はない」
    ってこと?

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  2. Nouveauは最近バージョン1.0.0になったそうですが
    どんなもんでしょうね。
    私は現在AMD系のグラボを使ってるんでよく分かりませんが。


    無償のNVIDIAドライバが安定版に昇格
    http://news.mynavi.jp/news/2012/06/21/144/index.html

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