つい先日、ESRはクローズドソースのもたらす害悪について論じた。
Evaluating the harm from closed source
この記事で、ESRは、クローズドソースのもたらす害悪について認識すべきであり、害悪のない場合は、別にオープンソースではなくても構わないと論じた。たとえば、トースターやエレベーターのファームウェアがクローズドソースであることを、我々はあまり問題視しない。なぜかというと、害悪がないからだ。
ESRは、害悪をいくつかの種類に分けた。
- reliability harm
- クローズドソースであることにより、あまりにも明白なバグや不具合や、技術的に間違った実装などが、発見されることなに放置されている害悪。
- unhackability harm
- クローズドソースでは、ソフトウェアを改良することができない害悪。
- agency harm
- クローズドソースでは、ソースコードにアクセスできる人間に一方的な権利を与えている。これにより、監視や検閲がなされる害悪。国家などの強権をもつ団体の諜報活動など。
- lock-in harm
- クローズドソースなソフトウェアと、制限フォーマットにより、他の環境への移行を困難にし、囲い込みを行われる害悪。たとえば、ワードプロセッサーとその制限フォーマットなど。
- amnesia harm
- 特定のクローズドソースなソフトウェアや実装された未公開の技術の使用により、ソフトウェアの消失により、ある種の技術やデータを使用する方法が忘却される害悪。たとえば、NASAの昔の磁気テープに記録されたデータは、読み取り装置が非公開の技術を使っているために、もはや読みだすことはできない。磁気記録としてはまだ読み出せるのだが、その情報を解釈する方法が忘れ去られてしまっているのだ。
ESRは、これらの害悪が存在しない場合、別にオープンソースである必要はないと主張した。そして、誰とは言わないが、頭文字がRとMとSで始まる何某は、本来の解決すべき目的から外れて、狂信的な方向に陥ってしまっていると主張した。
その後、RMSはこの記事を読んで、激怒したらしい。ESRはそれについて、追加の記事を書いた。
Why I think RMS is a fanatic, and why that matters.
ESRによると、オープンソースの方が優れていることは当然だが、オープンソースに転向させるにあたって、RMSの方法はふさわしくないのだという。RMSは宗教のような手法をとっている。不自由なソフトウェアを開発し、使う者たちを、邪悪な敵であるとし、自由なソフトウェアのみが唯一の正しい方法であるというものだ。これは、一部の強い信者を得られるかもしれないが、大衆には広まらない。ブッダとかイエスとかマハーヴィーラは成功したと言えるが、ほとんどのこうしたやり方は、一部の盲信家を得るだけに終わる。
第一、オープンソースを推奨すべき相手を、邪悪だとか敵だとか言っていては、拒絶されるだけではないか、と。
私からすると、ESRも十分狂信家に見える。ちなみに、私はRMSに賛成する。全てのソフトウェアは自由であるべきなのだ。不自由なソフトウェアは非人道的である。
ESRとRMSが仲良く喧嘩してるのはいつものことだし。
ReplyDelete"発見されることなに放置されている害悪"
ReplyDelete"発見されることなしに放置されている害悪"