たまたま、左京区に行く用事があったので、その帰りに、銀閣寺に行くことにした。しばらく歩いた末に銀閣寺の前についたが、非常に嫌な光景が広がっていた。銀閣寺の前は細い路地になっており、その両脇に、いかにも一見さん観光客向けのくだらない、底の浅い、見るのも嫌な店が並んでいる。京都に住んでいながら観光しないのは、これがあるからだ。こういう店は嫌いだ。私が旅をしているのならばともかく、住んでいる以上、この手の店には非常に違和感を感じるのだ。
私が京都に住んでいながら、全然観光をしていないのは、このためだ。たしかに、平家物語を読んでいて、滝口寺と祇王寺には行ったことがある。これは失敗した。今の寺、というより建物があるだけなのだが、これは当時とは何の関係もない建物で、土地すらも関係がないのだ。単に物好きな華族が寄進しただけらしい。もっと事前に調べるべきだった。
文覚に関しては、相当に調べたので、神護寺には行きたい。しかし、神護寺に行くのは面倒なので、いまだに果たしていない。
幻滅しながら、哲学の道を歩くことにした。しかし、この哲学の道というのも、所詮は最近になって作ったもので、大して歴史があるわけでもなし。ましてや、西田幾多郎がこの道を散歩していた時分は、道も整備されていなければ桜も植えてないという、どこにでもある川沿いの路地に過ぎなかったはずだ。
独り黙々と歩いていると、野良猫が石のベンチに寝そべっていた。隣に座ってみたが、動かない。しばらく、猫を眺めるというしあわせな時間を過ごした。
なおも行くと、とうとう道が途切れた。なるほど、哲学の道はここで終わりらしい。ともかく、家に帰るため、西に歩くことにした。このまま西に歩けば、川端通りに出るはずである。
まっすぐ西に進むと、水明洞という古本屋を発見した。早速中に入ってみる。延慶本を発見したが、やはりそれなりの値段がする。もっとも、延慶本はすでにテキスト化されているので、いまさら紙の本を買うまでもないのだが。
ともかく、ここに古本屋があるという事は覚えておこう。いい発見をした。
京都の古本屋の一覧はあるにはあるのだが、やはりどうも踏破する気にはならない。ましてや、こういう機会でもなければ、川端通りから西に入ることはない。
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