平安時代から鎌倉時代にかけての常識は、理解しがたい。この頃の軍記物や説話集に、常識として書かれていることが、現代の価値観で考えると不思議でならない。そのうちのいくつかを書きだしてみる。
和歌がうまくないと女にモテない。
家柄や富貴も大事だが、女にモテようと思ったならば、和歌がうまくなければならない。しかも、当時の貴族の恋愛は、非常に変わっている。恋愛は、まず和歌による文通からはじめる。やんごとない身分の女性の場合、家の奥に引き篭っているので、顔すら見ることはない。
さて、文通で和歌の才能が認められたならば、男から女の家に忍んで通いに行く。逢瀬は夜。ただでさえ暗い夜中に、光の差し込みにくい日本家屋の奥で逢うのだ。初めてあった時などは、顔などろくにわからなかったに違いない。
あまりに身分が違う男女であると、女を男のほうに呼びつけることもあったようだが、やはり和歌は重要である。たとえば、古今著聞集の好色第十一に、後嵯峨天皇の話がある。御鞠のとき、集まっていた人の中に美人を見つけ、六位に後をつけよと仰せられたが、この女は振り返って一言「なよ竹の、と申させ給へ。あなかしこ、御返事うけ給らんほどはこゝにて待ちまいらせん」
下僕は帰ってこれを天皇に伝えるわけだが、後嵯峨天皇は「さだめて古歌の句にてぞあるらん」とて、わざわざ為家に御尋ねありけるとか。ちなみに、女はこの隙に逃げ出した。実は、この言葉は、下僕を返して追跡をまくための方便だったというわけだ。ただ、後の話を考えるに、根も葉もないでっちあげというわけではなさそうなのだが。
しかも、貴族だけではなく、卑しい身分のものであっても、やはり、いざという時に気の聞いた和歌のひとつも詠めて、相手の和歌に対しては、瞬時にうまい返しを返すことが重要であったらしい。たとえば手斧を取られた木こりが、うまい和歌をいって手斧を返してもらう話などがある。
烏帽子と髻は重要。
男は、出家の身でなければ、髻は非常に大事で、しかもその髻を隠すための帽子も非常に大事であった。公衆の面前で烏帽子を取り落とすということは、まるでチンコでも露出したかのように髻を手で隠してすばやく烏帽子を拾うものであった。
実方は白熱した議論の拍子に、笏で相手の烏帽子を叩き落としてしまい、歌枕見てこいとの仰せで配流になった。
これも、貴族だけではなく、卑しい身分のものでさえ、やはり何らかの帽子を被っている。
狐や狸は超自然的な力を持っている
どうも、狐というと、人について物をいう話が多い。狸というと、佛の振りをして人をばかす話が多い。
蛇は鉄気が苦手
どうも、鉄は蛇に対して毒であると信じられていたらしい。たまたま針を一本持っていたために蛇がよりつかなかったとか、地面に鉄の杭を差し込んだら蛇がやってこなかったとか、そういう話が結構ある。
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