この話は、本の虫: クッキー・クリッカー:リセットのループの続編にして、おそらくは完結編である。これ以上は望めないからだ。
本の虫: クッキー・クリッカーについて
本の虫: ババア補完計画
本の虫: クッキー・クリッカー物語
本の虫: クッキー・クリッカー:リセットの効果
本の虫: クッキー・クリッカー:リセットのループ
エゾエはついに、青天上のチップをためすぎて、指の一振りで、出現した莫大な質量のクッキーがブラックホールを生成するに至った。もはやこれ以上は望むべくもない。
3554週目
「おい、エゾちゃん、いったい何をしようっていうんだ」
「そうだエゾエ。お前が何か重大なことを発表したいというから、こうしてお友達や親戚一同に集まってもらったんだぞ」
エゾエはサヨナラも言わずに指をカチッと動かす。即座に、莫大な質量のクッキーが宇宙空間に出現した。その質量が大きすぎるがゆえに、自重によって内側に潰れ、ブラックホールと化す。周囲の惑星や恒星はことごとく飲み尽くされ、破壊しつくされてしまうのだ。クッキーによって。
これ以上、どうしようというのだ。もはや、エゾエにはカーソルは必要ない。ババアも必要ない。農場も工場も、ないしはタイムマシンも反重力変換装置も必要ないのだ。ただ指を動かすだけでよい。指を動かすだけで、クッキーは生産される。しかし、生産したところで、ブラックホールとなるに過ぎないのだ。
次こそは断ろう。リセットを断ろう。そう思い続けて、果たして何百週目だろうか。いや、事によると何千週目かもしれず、あるいは何万週目かもしれない。もはや、昔の記憶はぼんやりと霞がかかったように、思い出せないでいるのだ。
エゾエは宇宙空間に漂いながら、様々な思索にふけった。
ある時はドイツの哲学者のごとく、クッキーの統一体系をつくろうし
ある時は老博士の言ったように、「業でなければ救われぬ」
一体、思いはめぐってどこに行くというのか、もう三十に近いというのに
ふと何気なく、エゾエは左手で円を描き、ポータルを出現させた。特に意図したわけではない、いまさらポータルなど必要はないのだ。ああ、思い出せば、クッキー宇宙へのポータルを開くのに、昔は苦労したものだ。今では、手をくるりと回す程度の労力だというのに。
ところが、ポータルからクッキーは出なかった。無理もない。事前の調整も何もなかったのだ。クッキー宇宙には繋がらなかったのだろう。
いまさらポータルを開いても意味がない。さっさと閉じてしまおうと、エゾエはポータルに手をかけた。すると、クッキーがひとつだけ、ポータルから飛び出して、エゾエの手に張り付いた。
不思議なこともあるものだ。そう言えば、もう久しくクッキーの味をみていなかった。どれ、久しぶりに、クッキーを食べてみるとするか。
ポータルから出てきたクッキーを食べようとしたエゾエは、口の中に違和感を感じた。吐き出してみると、何やら書きつけのしてある紙切れのようである。読んだエゾエは、世界の真理を知った。
この宇宙は、五流大学の学生が、卒論をでっち上げるために作り出したシミュレーション宇宙だという。この宇宙はすべて、単なるシミュレーション上の産物に過ぎないのだ。
そして、そのシミュレーション宇宙で、たまたま発生した、クッキー中心の物理法則に支配された宇宙と、ひたすらクッキー生産に没頭する哀れなエゾエがとてもおもしろく、今ではゲームに映画にと、マルチメディア展開されているのだという。
そして宇宙の終焉には、必ずエゾエは娯楽として処刑されるのだという。
この宇宙で、エゾエがポータルと認識していたものは、シミュレーション宇宙を外部とつなぐ通信プロトコルである。この紙切れは、今のエゾエの一つ前の周回のエゾエが、真理を知って処刑寸前のエゾエが、ひそかに送った手紙。
手紙はさらに、この宇宙がHTML/CSS/JavaScriptで実装されていること、その変更方法に及んでいる。
初めに、クッキーがあった。エゾエの魂はクッキー宇宙を漂っていた
「自動的にクリックせよ」とエゾエは言った。
setInterval( function(){ Game.ClickCookie() }, 4 ) ;
そして自動的にクリックされた。エゾエは自動的なクリックをみて、良しとした。
そして、得られたクッキーで、ババアを購入し始めた。
しかし、ババアを一人づつ購入するのも面倒なので、「ババアを1000人買え」と言った。
for ( var i = 0 ; i != 1000 ; ++i ) Game.Objects['Grandma'].buy() ;
そしてそれは試みられた。
しかし、さすがにババアを1000人も買うクッキーがない。おおそうだ、クッキーを直接増やせばいいのだ。「クッキーあれ」
Game.cookies = Number.MAX_VALUE ;
1.7976931348623155e+308個のクッキーが得られた。
そしてクッキーがあった。
とうとうエゾエはクッキーに飽きてしまった。
己が幾度もの生涯をかけて生産に邁進していたものは、一体、こんなにもつまらないものであったのだろうか。何という時間の無駄だ。一体ゲームというのはなんだ。数字がゆっくりとインクリメントされていくのを眺めるだけなのか。
ほとんどのビデオゲームは、クッキー・クリッカーと一般なのだ。数字がゆっくりとインクリメントされるのを眺めるだけだ。そのインクリメントに影響を及ぼす操作が提供されているが、なんということはない。究極的には、さっさと最大値を代入してしまえばいいのだ。それを時間を浪費してゆっくりとインクリメントする。愚かならずや。
語を天下のゲーマーに寄す。諸君はよろしくプログラミングを学ぶべし。ソフトウェアは利用者の意のままにふるまうものであり、天から与えれた自由を他人の手に渡してはならない。
流行りもののブログ記事かいてるのはいいんですが、本の方の進捗はどうなんでしょうか。
ReplyDelete無難に落としましたね。
ReplyDelete持論なんですが、記憶は物質に経験は魂に。
というのが自分の思うところです。
経験の蓄積こそ次に持っていける最大の資産だと思います。
概念によって創出されるすべてが経験となってまた集約されて概念を産みます。そのサイクルの中の純度の高いものがゲームなんだと思います。
ゲームは何も産みませんが、ただひとつ経験だけはどのコンテンツにも負けません。
現実で言うならそれに対価が必要だったりとかして、概念は広がるのだと思います。
その全てをこなした時、無限桁ある何かに1インクリメントされるだけかもしれません。
ただ、それを虚しいと言ってしまうことは生の否定だと思います。
エゾエさんの道に良き経験が落ちていますように。
ちょっとした問題を。
ReplyDeleteN進数の数字があります。
最初の人はそれをやすやすとこなし数字に1インクリメントしました。
次の人も1インクリメントしました。
それが続きます。
Nは社会であり、人格であり、システムです。
桁が早く動くほうが改変が早く発達したような気がします。しかし、ついていくのが大変です。
ではNを大きくしてみましょう。
桁の動きが遅くなりました。見ていて大変退屈です。
さて、人類に最適なNとは何でしょうか。42でしょうか?
何進数であれ、桁がどれだけ多くなったとしても、自然数で見れば全部同じ尺度です。
これを解決して、プログラムを組み、人に試させること。これがゲームです。
エゾエさんの作ったゲームがやりたいです。
まあ、クッキークリッカーは邪悪なプロプライエタリソフトウェアなのでそもそもプレイしてはいけないはずなのですけどね
ReplyDeleteそれをプレイして小説まで書くなんてすごいなー全く憧れないなー
やった、完結しましたね。
ReplyDeleteこのblogにとっても不思議なこの企画、完結を待ってました。最後は無難でしたが、面白かったです。
>さて、人類に最適なNとは何でしょうか。
ReplyDeleteそんなの決まっている。Nとは10だ。
もちろん私はいつもそのN進数を使っている。最適だからな。