2009-05-15

爾の及ぶ所に非ざる也

子貢曰、我不欲人之加諸我也、吾亦欲無加諸人、子曰、賜也、非爾所及也

これはどう解釈していいものやら。だいたい、最近は以下のように解釈する。

子貢曰く、我、人のこれ我に加ふることを欲せざるは、吾、またこれ人に加ふること無からんと欲す。子曰く、賜や、爾の及ぶ所に非ざる也。

しかしこれだと、「先生、僕は自分がされてもいやなことは、人にしないようにしたいでーす」という子貢のけなげな言葉に対して、「そりゃお前にゃ無理だ。あきらめな坊や」と大人げなく答えていることになる。それはちょっとどうかと思う。また、古くは、加をしのぐと読んだ。つまり、

子貢曰く、我、人のこれ我にしのぐことを欲せざるは、吾、またこれ人にしのぐこと無からんと欲す。子曰く、賜や、爾の及ぶ所に非ざる也。

となる。これは、実際には、もちろん無理な話だから、孔子の言葉も分からないでもない。人と人との間に優劣がないというのは、封建社会においてはもちろん無理だし、資本主義社会においても無理だし、共産主義社会において、かつてそういう理想を立てた所はあったが、悉く失敗している。

ところで、孔子は、仲弓に対しては、「己所不欲、勿施於人」と答えている。実に矛盾している。もっとも、子貢が弁舌に優れていたとされるのとは対照的に、仲弓は仁にして佞ならず、則ち仁だが弁舌が下手だったとか、南面せしむべし、則ち君子にさせても可なり、だとか言っているので、性格の違いからなのかもしれない。

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