2009-11-15

外人の剣道に対する見方

数時間暇なので、いつもの如くIRCで外人とチャットをしていた所、剣道の話題が出た。曰く、「ケンドーはマーシャルアートだ。如何にしてカタナを使ったリアルファイトで生き残るかという技術である」と。それは違う。剣道は単なるスポーツである。フェンシングと同じなのである。ところが、外人は皆、そう主張する私を、「ああ、戦後のアメリカ様の占領政策に騙された、かわいそうなイエローのジャップなんだな」と諭すのである。

剣道か剣術かという、名義上の議論はどうでもいい。重要なのは、果たして剣というものが、それほど重要であったかどうかだ。

そもそも、つらつらと日本の歴史をみるに、戦争で剣が重要視されたという話は見あたらない。古代では、剣は単なる儀礼的な道具であった。奈良、平安時代でも、戦争で剣が重要だったという話は聞かない。戦国時代でも、剣は使われていなかった。本当の戦争では、主に弓や槍、長刀の類が使われていたである。

これは当然である。だれもわざわざ、たかだか60cm前後の、リーチの短い武器で接近して戦いたいとは思わなかったのである。そんなに接近しては、自分の身を全うして、相手を殺すことが出来ぬ。

さて、戦国時代も終わり、世の中が平和になると、やれ何々流といった、剣術が盛んに行われるようになる。これは、西洋のフェンシングと同等の理由である。個人間の決闘や、儀礼としての剣である。決闘といえば聞こえはいいが、まあ大抵は、どちらかが少しでも血を流せば、それで勝負が付くようなお遊びである。マーシャルアートなどと重々しく呼ぶに足りぬ。

結局、刀というのは儀礼上の道具でしかなく。つばぜり合いなどしようものなら、たちまち刃こぼれして使えなくなる、まことに脆い武器なのである。

ということを主張したが、連中は依然として、「剣道はマーシャルアートであり、お前はアメリカ様に洗脳された哀れな土人だ」という見方を改めぬのである。つまり、彼らの頭の中では、アメリカの占領政策の影響はそれほど大きく、日本を完全に変えてしまったと考えているのである。日本の近代化は戦後からで、戦前は他のアジアと変わらぬ、土人の住む未開の地であったという頭があるのだろう。

無論、私は剣道を馬鹿にするつもりは毛頭ない。あくまで、剣道がスポーツに属することを主張したいだけである。適度な運動は健康によいことはもちろんである。

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