2009-12-04

ベジタリアンも喰える肉、開発さる

Meat grown in laboratory in world first - Telegraph

とうとう人工肉が開発された。

やっていることは、生きている豚の筋組織を採取し、培養するだけである。

つまり、ベジタリアン(笑)も安心して食べられる肉だということだ。なぜなら、彼らの肉を喰わない理由というのは、主に、「動物様を屠殺するなんて許せん」、ということなのだから。その割には、彼らは植物様を殺して食べたり、植物様の命を弄ぶ品種改良された野菜を食べることには、躊躇しないようである。この矛盾を、彼らはどのように解決しているのか、それは私の知るところではない。

5 comments:

  1. こんにちは。少し古い記事のためあなたの見解が変わっているかも知れませんが、自称菜食主義者である私の意見を述べます。

    菜食主義にはいくらか種類があります。蜂蜜・卵・乳製品も食べない「ヴィーガン」から世間一般より少ない肉を食べる「セミベジタリアン」などというエセ菜食主義などがあります。私は「フィッシュ・ベジタリアン」と呼ばれる、蜂蜜・卵・乳製品を皆と同様普通に食べ、魚を少し食べる分類の菜食主義にあたります。肉を食べないのは容易にできると思いましたが、鰹出汁のない味噌汁や寿司が食べられないのは耐え難いため、この菜食主義の分類に落ち着いています。

    また、菜食主義になると決意した理由にもいくらか種類があります。あなたの想像したような「動物が可哀そうだから」もありますし、宗教上の理由・肉食を控える効果を目的とした健康上の理由・ただ単に肉が嫌いなだけ・畜産物の不経済さが理由とするなどの分類が思い付きます。前記の分類に当たらない人も多分居るでしょう。私の場合は「畜産物の不経済さ」が主な理由で、肉食を控えることにより世界の飢餓が減るという幻想的な夢を持っています。また、私は、飢餓を減らしたいという立場上、他人に菜食主義を強制したいという思想も持ちます。したがって、私はあなたに菜食をお勧めいたします。
    食糧危機と畜産物の関係についてWIREDに記事があります:世界的に始まった食糧争奪戦:記者は「菜食主義」宣言 | WIRED VISION

    記事の人工肉についてですが、私は菜食の生活にすっかり慣れてしまったため、今更肉を食べようとは思いませんねえ……。
    植物様を食べることの矛盾ですが、私の場合は菜食主義であることの理由と矛盾していません。「動物が可哀そうだから」という理由で菜食主義になった人は矛盾が生じ得ますが、それでも、その人なりにこだわりがあるのであって、それを「ベジタリアン(笑)」とからかうのは良い振る舞いではありません。これが宗教上の理由の場合、教義を否定することになるので、あなたは後ろから刺されかねません。

    余談:菜食主義者は、口に入れる食べ物だけでなく、自分が使用する道具に関しても度々制限されます。代表的なものでは皮革製品が使えず、毛皮のコートなども使えず、こだわる人ではシルクも使えません。私は最近合皮の財布を購入したいと思い、製品をネットショップやショッピングモールで探していましたが、気に入ったものが無かったので、フィルムケースに小銭を入れることにし、札を仕舞うためにコピー用紙で作った財布を作りました。
    自らに制限を掛けて欲しい道具を探したり作ったりする作業は私にとってなかなか楽しいものでもあります。

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  2. 健康のためには、肉も野菜も食べるべきです。
    肉を食べ過ぎるのは、無論、健康のために良くないのでしょうが、穀物や野菜でも、食べ過ぎれば健康を損ないます。
    少なくとも、肉も穀物も野菜も、安価で入手できる日本にいる以上、その恩恵をありがたく受けるべきです。

    畜産は不経済ということに関してですが、家畜は、必ずしも人間が食べられる穀物ばかりを食べているわけではありません。
    それに、世界の飢餓問題は、単に耕作量の大小だけで解決するわけではありません。
    流通の問題もあります。食物はあっても、それを消費者に届けることができないという問題です。
    政治の問題は、今さら言うまでもないでしょう。

    肉を食べないというだけなら、単に食の好みの問題で済ませることもできます。
    しかし、動物由来の道具を使わないという、間接的な問題は、これまた理解できませんね。合皮というのは、いわゆる動物由来ではない布のことでしょう。
    布の素材自体は問題ないのでしょうが、この布の生産、運搬の過程で、牛馬を酷使しているかもしれないし、肉を食べることによって体力をつけた従業員が関わっているかもしれません。

    肉食が人間社会にとって当然である以上、間接的な動物利用からは避けられないと思うのですがね。

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  3. ご返事があり、嬉しいです。

    >健康のためには、肉も野菜も食べるべきです。
    菜食主義の理由が「肉食を控える効果を目的とした健康上の理由」である場合にはこの説教も効果的かも知れませんが、私のように他の理由から菜食主義になった人に対して、この言葉は意味がありません。菜食主義であることを他人に伝えると「肉も少しは食べないと駄目よー」なんて言われますが(あと「動物様はだめで植物様はOKなの?」という反応もよく見られます)、特に私は世間一般的な健康志向には興味がないのです。
    特に私の場合は少しですが魚を食べるので、鉄分・亜鉛・ビタミンB12などの栄養を手軽に摂取でき、やはり肉を食べる必要を感じません。

    >家畜は、必ずしも人間が食べられる穀物ばかりを食べているわけではありません。
    私はそれを知っています。家畜は「人間の食べられる食物を育てられる畑」で育った「人間の食べられる食物」だけでなく、「人間の食べられる食物を育てられる畑」で育った「家畜しか食べられない食物」や、「家畜しか食べられない食物しか育てられない畑」で育った「家畜しか食べられない食物」を食べることもあります。私はこの内『「家畜しか食べられない食物しか育てられない畑」で育った「家畜しか食べられない食物」を食べた家畜』を合理的に食べられますが、わざわざ私が食べる必要がなく、他の奴等に食わせておけば良いので、やはり食べません。
    そもそも、家畜が何を食べて育ったかというのは大体分かりませんので、思い切って食べないというのもあります。

    >それに、世界の飢餓問題は、単に耕作量の大小だけで解決するわけではありません。
    その通りです。しかし、飢餓問題を軽減させられるのではないかと信じています。少なくとも私は、菜食主義者が多くなることで飢餓問題を本質的に解決できると、到底考えていません。
    仮に「菜食主義者がこれから増えようと、現在の菜食主義者全員が菜食主義でなくなって肉を食べるようになろうと、飢餓の問題の大きさは全然変わらない」という信用できる結論がどこからか出たならば、私は菜食主義になる理由がもはやありませんので、やめることができます。しかし、肉食を控えることによっていくらかでも飢餓問題の解決に貢献できる、という信用に足る情報がいくらかあるため、星の瞬きほどの希望を持って菜食を心掛けています。

    >布の生産、運搬の過程で、牛馬を酷使しているかもしれないし、肉を食べることによって体力をつけた従業員が関わっているかもしれません。
    生産・運搬の過程で牛馬を酷使しているだろうから、どうせ肉を食べた従業員が関わっているから、革財布を使えということでしょうか?
    私の場合は、確かに菜食を強制したい立場にいますが、そういった二元論で全てを考えているわけではありません。
    そもそも野菜を作るのに牛馬を使うかもしれませんし、農民も肉を食べているかもしれません。しかし「だから野菜も食べるな」とはなって欲しくないわけで、もしもそうなるならば、我々は食べるものを失います。人々が水だけ飲んで生きられれば飢餓問題も大分マシになるはずですが、飢餓難民も、私も、そうではないのです。また「だから菜食主義なんて無駄だからメガマックを食べろ」となるのも極端です。

    私の中での菜食主義者としての一連の行動は、まずは、自分ができることからやろうという心掛けと、飢餓問題について少しは真面目に考えようという意思から由来しています。「自己満足だろう」と言われればそれまでで、反論の余地がありませんが……。

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  4. 少なくとも日本では、肉を食べるかどうかは、個人の自由です。菜食主義を法律で強制できない以上、個人個人の食生活が、世界の飢餓問題の解決になるのでしょうか。

    ましてや、日本ほど食物の選択肢に恵まれていない地域は、なおさら選択の余地が限られています。

    「どうせ無理だから革製品を使え」というのではなく、間接的な関わりを拒絶するのは、あまり意味がないということです。
    例えば、植物を育てるために、動物由来の肥料が使われている場合はどうするのでしょう。
    肥料という形で人為的に使われていなくても、結局は動物由来の養分も、必ず含まれています。

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  5. >個人個人の食生活が、世界の飢餓問題の解決になるのでしょうか。
    飢餓問題が「軽減」するかどうか、それは私には分かりません。
    先のWIREDの記事をはじめとして、現在の個人個人の食生活が飢餓問題を大きくしていると考える根拠があります。私は実際に世界の人々が何をどれだけの量食べているのか、植物性の食物・素材がどのような方法で育てられ、どのような人々がどのようなエネルギーを使ってどのような方法で我々のところへ辿りつくのかを知りませんし、知る術がありません。そこまで知っていれば胸を張って菜食主義を奨励できるのですが、実際は、現在がどのような状態で、どうすれば良いかという情報をWebページや本といった(偏見の入った)二次情報や三次情報から得て、判断するしかありません。
    個人個人の食生活が菜食に傾いたらといって実際にどうなるかは分からず、私は私が信じるままに菜食をし、また、他人に勧めることしかできないのです。

    >間接的な関わりを拒絶するのは、あまり意味がないということです
    私のコメントを読んで、または読む前から、少なくとも私が動物・動物性の製品を間接的にさえ利用することを拒絶しているようにみえていたのなら、それは誤解です。
    肉食を控えて菜食をする、革財布ではなく合皮の財布を買う、というのはどちらも直接的な行動です。間接的に飢餓問題を軽減させようとしていますが、間接的な動物利用を拒絶しているわけではありません。というか、前記のように、どこで何が使われているかなどというのは、私の知るところではありませんので、拒絶したくてもできませんし、仰る通り、その恩恵を受けている限り、少なくとも私にとっては意味がありません。私が菜食主義である限り、拒絶したいのは山々ですが、そこは折り合いをつけるしかありません。例えば、焼き野菜を食べるのに焼肉屋に行くとか、ポテトを食べるためにマクドナルドに行くとかいうようなことをしないくらいしかできません。「焼肉屋とマクドナルドはだめで他はどうなんだ」という質問が予想されますが、私の場合は外食はあまりしません。「スーパーで肉を売っているがそこで野菜を買うのか」という質問も予想されますが、そこは折り合いを付けるしかありません。
    間接的な動物利用を拒絶したいなら、孤独に自給自足するなり、動物利用を止めるように働きかけるデモを起こすくらいしか方法がありません。私はデモを起こすほど過激ではありませんが、過激な菜食主義者達がデモを起こし、過激な菜食主義者達の信じる道に導こうというのは、ここで議論するよりも無意味であるとは思いません。例えば、そのデモによって人工肉くらいは開発されるかもしれません。

    >例えば、植物を育てるために、動物由来の肥料が使われている場合はどうするのでしょう。
    アメリカ人が食べられる穀物から燃料を作る、バイオ燃料とかいう技術は個人的に頭に来るものがありますが、そういうものを含めて、食物・素材がどのような方法で私のところに辿り着くのかは知る由がありません。
    食べられる穀物から作られたバイオ燃料が使われていようと、動物由来の肥料が使われていようと、過激派の中には発狂する人も居るかもしれませんが、私はどうもしません。私の与り知らぬところで何があろうと、ただ、菜食をして、それを人に勧めるだけなのです。

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