2010-04-19

著作権について真面目に考えてみる 付記プログラミング雑誌について

著作権である。著作権について、深く考える機会があったので、ここで、今の自分の考えをまとめておく。

コンテンツホルダーは、こう主張する。コンテンツの創造には、莫大なコストがかかっており、対価を得ることによって、コストを回収しなければならない。許可無く無料で複製するのは、泥棒に等しい行為である。ISPはユーザーの通信を検閲して、著作権侵害を防ぐべきである。また、各ユーザーのコンピューターには、スパイウェアを強制的に導入して、著作権侵害を防ぐべきである。これらの著作権侵害への対策のため、特別に法を制定すべきである云々。まさに、RFC 3751を地で行く主張である。

これに対し、海賊たちはどうか。彼らの主張は、主にこうだ。今や、コンテンツの複製は、ほぼノーコストで行える。コストのかからない複製に、金銭的被害の生じるはずがない。ましてや、多くの価値のあるコンテンツは、正規の方法で手に入らないのである。例えば、海外では、マンガやアニメ、とくに同人もののコンテンツを手に入れるのが、非常に難しい。現在の著作権法は、コンテンツの複製に、莫大なコストがかかった時代の産物であり、現状にそぐわない。人類の文化の発展のため、海賊行為は合法化されるべきである云々。共産主義か?

私が思うに、どちらの主張も、やや極端すぎる。現行の著作権法は、見直す必要があるとは思うが、さりとて、現在の問題を、すべて解決できるルールというのが、あまり思いつかない。

コンテンツホルダーの言い分にも、一理ある。コンテンツを作るには、今なお、莫大なコストがかかる。それは事実だ。

とはいえ、歴史的に、従来の貨幣経済以前の文化の発展には、著作権は全く寄与していないのである。とはいえ、貨幣経済の行われている現在と、単純に比較はできない。

思うに、海賊行為の流行るのは、もっと即物的な理由ではないかと思う。コンテンツが入手できないか、仮に入手できたとしても、無駄に面倒なのだ。

たとえば、マンガやアニメだ。日本に住んでいてさえ、このコンテンツを手に入れるためには、最寄の店に行かなければならない。多くの日本人は、田舎に住んでいる。最寄の店というのは、家から5キロも10キロも離れているのである。日本以外の諸外国では、そもそも、売っている店が身近にないのである。

今は、アマゾンに代表される、ネット通販がある。しかし、大抵の場合、コンテンツの利用には、実際の物理的なコンテンツが郵送されるまで、数日を待たなければならない。

家にいながらPCで、あるいは、その場から携帯端末で、わずか数分にして、コンテンツを利用できるべきだと考えるのは、ごく自然である。しかしながら、正規の方法では、そんな手段がない。

仮に、インターネットを利用した、正規のダウンロード販売を提供しているにせよ。まず、住所、氏名、年齢、電話番号、クレジットカード、その他の、ややこしい情報を入力しなければならないし、さらにひどいことには、コンテンツには、DRMやDongleが用いられており、特定のプラットフォームや、特定の条件を満たさなければ、使えないのである。

たとえば、DVDやBDだ。正規の方法で物理的なディスクを入手して、プレイヤーで再生する。まず現れるのは、権利団体および、動画圧縮やDRM関連の技術の特許ホルダーのトレードマークである。つぎに、遅くて暗号のように理解不可能なチャプチャーメニューやシーンセレクションなどといったUIが表示される。

はたして、これが正しい技術の使い方であろうか。VHS時代はどうであったか。あの頃は、VHSテープを入手して、プレイヤーで再生すれば、すぐに、本物のコンテンツが利用できたはずである。それが、今やどうだ。早送り、巻き戻し、前回見たところから再生すら、満足にできぬではないか。果たして、これが技術の進歩といえようか。

私が、最近、マンガもアニメも映画も大衆小説も利用しなくなって、古典にばかり傾倒しているのは、結局、こういう利用上の問題も、関係しているのではないかと思う。少なくとも、平家物語なら、全文引用しても、著作権上、何の問題もないわけだ。

しかし、コンテンツがまるごと勝手に利用できるのが合法だとすれば、いったいどうやってもうけを出せばいいのだ? 中世のパトロン式にまで、退行しなければならないのか? それもあんまりだ。

話が、だいぶややこしい方向にそれた。そもそも、なぜ法律にも詳しくない私が、著作権について考察しているのか。そのきっかけは、まさに創刊しようとしている新たなるプログラミング雑誌である。

ロングゲートは、このプログラミング雑誌で、あまり利益を追求する予定はないそうだ。ただし、赤字にならないということだけは、真剣に考えている。

雑誌を出すというのは、非常に面倒なことだ。問題はいくらでもあるが、その中に、著作権というものがある。

一般に、雑誌の記事の著作権というのは、買い取りである。これは、雑誌という都合上、そういうことにしておかないと、非常に使い勝手が悪いからだ。

私は、ロングゲートを設立した、イケメンのアキラさんに対して、雑誌の著作権の扱いについて訊ねてみた。彼らは、色々と議論したあげく、著作権は、ライター本人が保持すると結論したらしい。したがって、雑誌に掲載した記事を書いたライター本人が、別の場所で公開しようが、それは、本人の自由であるということらしい。

これは、やや理想に走りすぎている。ライターとしては、文句はないだろう。ただし、雑誌としては、やはり、どうであろうか。

著作権には、著作者人格権というものがある。就中、同一性保持権は、厄介な存在だ。私は個人的に、現在の著作者人格権のありようには、やや疑問がある。たとえば、ひこにゃんの例や、パロディの合法性に関して考えると、多くの問題がある。現行法は、遺憾ながらも従わなければならない。議論は可能だが、さりとて、法治国家に済む以上、法に破るわけにもいかないのだ。

たとえば、技術の進歩などにより、雑誌を、今まで想定していなかった、まったく別の形態で提供したいとなった場合、どうするのか。安全のためには、著作者にいちいち許可を取らなければならない。これが現実的に不可能だから、ほとんどの雑誌では、著作権は買い取りなのだ。これをどう考えているのかと訊ねたところ、曰く、「まあ、その時になってから、許可を取ればいいのではないか」と。それは、うまくいかないだろう。

結局のところ、これも、現行の著作権法が、時代にあっていないことに起因する問題ではないかと思う。

それはともかく、肝心のプログラミング雑誌に関しては、どんどん進んでいる。まだ、解決すべき問題も多いが、出版はできるだろう。創刊号では、私は、Bjarne Stroustrupへのインタビューと、その翻訳を担当した。これには、なかなか興味深い話題が出ているので、おすすめだ。

因みに云う。パロディの合法性について、我が日本国の法は、明示的に規定していない。また、効力のある汎用的な判例は存在しない。一方、アメリカ合衆国では、パロディは、明示的に許可されている。

しかし、私が思うに、パロディは、日本の方が盛んである。アメリカにも、Weird Al Yankovicや、South Parkなど、パロディで有名なコンテンツはある。しかし、量でいえば、日本の同人とは比べものにならない。これは、実に奇妙な現象である。法の有無と、実態とが、かけ離れている。まあ、アメリカのfair useは、優秀な弁護士を雇う金があるかどうかにかかっているという批判もあるので、簡単ではないのだろう。

4 comments:

  1. > 著作権には、著作者人格権というものがある。
    著作者の権利に、著作権と著作者人格権があるのです。著作者人格権は(すくなくとも日本法の条文上は)著作権に含まれません。
    著作者人格権は譲渡できないので、著作権を買い取りにしたところで問題は解決しないと思いますけど(というかひこにゃんはまさにその点が問題になった)。

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  2. そうなんですよね。
    譲渡不可ってのが、何でこんなことになったのか。
    他人の著作物に対価を払って使いたい場合でも、改変が微妙なんですよね。

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  3. > Bjarne Stroustrupへのインタビューと、その翻訳を担当した。

    是非、インタビューのやり取りは英文も載せてほしい。
    というか英文だけでもいいなぁ。

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  4. 英文は、Bjarne Stroustrup本人のサイトに、掲載される予定です。

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