「勉強を一緒にしませんか?」、「勉強を一緒にやりませんか?」
「はい、します」
日本語は否定疑問文を論理的に答える言語である。ところが、ある外人から、このような例を提示された。「これは、否定疑問文だが、答えるときには、英語と同じく、非論理的に答えているではないか。やはり日本語の論理性とやらにも例外があると見えるな」云々。
はて、確かにこれは、否定疑問文のように思われる。しかし、答えは非論理的になる。これはどういう事だろう。日本語にも、非論理的な例外が存在するのだろうか。
ひとつ思うのは、私はこの、「しませんか?、やりませんか?」という形の疑問文を、否定疑問文のように認識できない。ただたんに、丁寧な表現であるかのように感じている。だから、非論理的に答えているというより、そもそも否定疑問文だとは認識していないのである。
これがもし、「何でお前は勉強を一緒にしないんだ?」という質問であったならば、「いや、やるよ」という答えになる。これは、論理的な答えである。
あるいは、本の虫: 多くない文で結論したように、「せん?」というのは、たんなる念押しの表現なのか。
この「ん」は古語の助動詞「む」が変形したものではないのですかね
ReplyDelete> 古語の助動詞「む」が変形したもの
ReplyDeleteこれは疑わしいと思います。
「野球しない?」
「野球しません?」
というように、打ち消しの助動詞「ない」・「ぬ」が疑問の意味を持ったと考えたほうがいいのではないでしょうか。このときは打ち消しの意味はなくなって単なる肯定疑問の意味になりますね。
ところで、「野球しない?」と「野球しないの?」で意味が変わるのが外国人には分かりにくいようで、かと言って自分も理屈がわかってないので説明するのに苦労します。
確かに、「しない?」と「しないの?」は、微妙にニュアンスが違いますが、説明しにくいですね。
ReplyDeleteとりあえず「しない?」は勧誘で
ReplyDelete「しないの?」は確認だと思いますが、
するとニュアンスはかなり違うんじゃないですかねえ。
英語では肯定文では some を使い、疑問文や否定文では any を使うというルールがありますが、"Do you some more coffee?" のように yes が期待される場合は some を使います。日本語の「しませんか」も yes が期待されるので、扱いが変わるのでしょう。
ReplyDelete「しないんだ?」は"しない"という否定語を形式名詞"の"で一旦受けているので、(否定的な意味を持つ)肯定疑問文ではないでしょうか? つまり日本語で否定疑問文は誘いかけの形でしか使われなくて、残りはすべて否定的な皇帝疑問文なのではないかと。
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