この日本には、「コミケ」という慣習的な催しがある。私は行ったことがないし、よく知らないのだが、何でも年二回ほど、東京のビッグサイトとかいう施設を貸しきって行われているそうだ。
聞くところによると、この「コミケ」では、「同人」と呼ばれる、手作りの作品(多くはマンガであるが、小説やソフトウェア、彫刻、あるいは独自のプリントがされたシャツやキーホルダーなどといった作品もあるそうだ)を展示し、また販売しているそうだ。この作品の質は玉石混合で、中にはプロの印刷屋に依頼して美しい印刷製本の作品もあれば、普通のプリント用紙に個人用の簡易なプリンターで印刷して、ステイプラーで止めただけといった作品もあるそうだ。
大多数の作品は、後者のような簡易的な個人製作のもので、その価格も、原価程度だそうだ。
聞くところによると、この「コミケ」は、大変有名な催しで、全国から人間が一斉に一箇所に集まり、開催地はさながら芋洗いの様相をていするという。
このコミケに関する歴史的記録は驚くほど乏しい。私の記憶に残る「歴史的資料」によると、「東館から西館への通路でカートが横転、3キロの渋滞」、とか、「ブリジットたんを女として描いてしまい暴動が発生、付近サークルの皆さんは重火器などの装備の点検をお忘れなく」といった記録が残されている。
しかし何故だ。何故、この2013年に、たかだか数十ページ程度の物理的媒体である死んだ木への印刷物を配布するために、一斉に一箇所に集まらなければならないのだ。甚だしく非効率的である。
読者の中にはコミケ信者もいるかもしれず、また2013年の情報の配布技術の素晴らしさに気がついていない者もいるかもしれぬ。そこで、筆者は2013年における、極めて一般的な情報の流通方法を例示しよう。
たとえば、このBloggerは、テキストを一種にして全世界に配布する能力がある(読者の住む地域の権力者が検閲をしていなければの話だが)。今、筆者の書いているまさにこのセンテンスを表現した情報は、十分後、この記事が書かれ終わったならば、一瞬にして一万kmは離れたサーバーに送信され、そこから秒単位の時間で、全世界に配布できる。
筆者は、ファイルサイズにして数MB程度のJPEGフォーマットで表現された画像ファイルを、何十枚もBloggerのサーバーにアップロードして、このHTMLからリンクを貼ることもできる。読者のブラウザーはリンクを解釈して、画像をダウンロードして表示するだろう。このブログはテキストを主体とする方針があるので、それはやらぬが、筆者はいつでもそれができるという事を知ってもらいたい。
他にも、動画をホストするサイトの興隆により、筆者は日常的に、ひとつあたり数百MBから数GBにもなる動画ファイルを、いくつもプログレッシブダウンロード再生している。
音声や動画の圧縮フォーマットの発展により、音声や動画をリアルタイムでネットワーク越しに配布する技術も発達している。これは、チャットと呼ばれている。
そう、もはや薄い本ぐらいの情報を配布するのに、物理的媒体である死んだ木に印刷して、一箇所に集めて配布する必要はないのだ。日常的に住んでいる場所に、居ながらにして配布可能なのだ。もはや我々の配布技術と配布設備がそのレベルに達しているのだ。3Dプリンター技術の発達により、将来は彫刻のような立体物も、自宅にいながらにして配布できるようになるだろう。
これが、2013年の情報の配布方法の現状である。
しかも、2013年は終わりではない。とんでもないことだ。我々の情報の配布技術がこの程度で終わるはずがない。今、この2013年は、最も情報の配布が難しい時代である。我々が年老いた未来の情報の配布技術は、以下のようになっているはずである。
「ねー、おじいちゃん。この前見た、2013年版のインターネットアーカイブ、もいっかい送って」
「おお、そうかい。昔のことに興味があるとは若いのに関心じゃな。ほれ、送ったぞ」
「うん、届いたー。ありがと、おじいちゃん」
「ねー、おじいちゃん。昔はたったの数百ペタ程度のアーカイブも一瞬で送れなかったって本当?」
「ああ、ペタバイト、そんな言葉、普段は聞くこともなかったわい。そんな大きさのアーカイブは大企業とか政府機関とか天文台などの大規模なところしかあつかってなかったのう」
「えぇー、たったの数百ペタも送れないなんて、どうやって暮らしてたの? うそつけー! じゃあ、磨製石器はあった?」
「おじいちゃん。東京タワーってどんなかたちだったの?」
「おお、いま形状アーカイブを送ってやるから、プリンターで印刷しなさい」
「へぇー、こんなんだったんだ。」
残念ながら2013年我々の情報の配布は、このレベルには達していないものの、数GB程度の情報ならば、それほど労力なく公開できるレベルには達している。ではなぜ、いまだにコミケなる非効率的極まりない催しを開くのか。
我々の情報の配布手段は、時代に合わせて変わらねばならない。
コミケの本義は本の配布に非ず
ReplyDelete実際、本を買うだけなら通販があり、一部ではダウンロード販売も行われている
コミケ最大の魅力は作り手と買い手が直接顔を合わせて売り買いするという点である
あなたはそれに価値を見いださないのかもしれないが、参加者は大いに価値があると考えているので、人の好みに文句をつけないでいただきたい
常に「多数派」に属すると楽観的に考えられるあなたにとって、インターネットは完全な自由かもしれませんが、分野によっては検閲や自主規制などで自由の無い分野も存在します。それは、この日本においてもです。
ReplyDelete表現は、他人に伝達されてこそ意味があるのであり、インターネットで不可能な表現がコミケで可能になる(もしくは可能性がある)のですから、媒体の多様性を確保するという意味でコミケを存続させるべきです。一度、廃止した場を復活させることは容易ではありません。
他者の自由を奪おうとする言説には、強く抗議します。
え? まつりだからでしょ?
ReplyDelete映画を映画館で見るのと同じ。
音楽をコンサートで聞くのと同じ
オペラを(略)、能楽を(略)、漫才を(略)
技術カンファレンスに行くのと同じ
そんなことも分からないの?
ま、俺はどこにも行かないけどね。
趣味ないひきこもりだから、ネットで十分だよ。
人にも会いたくないし。
あんたと同じ種類の人間さ。
たぶん実際はこう
ReplyDelete「ねー、おじいちゃん。2013年版のインターネットアーカイブ送って」
「それはないんじゃよ」
「えー、どうして?」
「当時は無断でデジタルデータを複製することは重大な犯罪でな、すべて失われてしまったんじゃ」
「えぇー、それでどうやって暮らしてたの? うそつけー!」
江添亮が年老いた未来のは、以下のようになっているはずである。
ReplyDelete「ねー、おじいちゃん。花火大会いこうー」
「おお、なにが食べたいのかい? 綿菓子かね、たこ焼きかね。ネットで注文してあげよう」
「花火が見たいのかい? じゃあ世界一の花火大会の動画をネットで探してあげよう」
「おじいちゃんなんか嫌い」
自由を求めているはずの方が効率を持ち出し自由を殺す、不思議でなりません。
ReplyDeleteこの人の言う自由は本来の意味と大分違うからね。以前もLLVMは自由ソフトウェアではないとかなんとか勘違いした記事書いてたし
ReplyDelete多様性によって成り立っているインターネットを支持してるのに、なんでコンテンツの伝搬方式については多様性否定なのさw
ReplyDeleteプログラミング言語についても多様性肯定派じゃなかったっけ?
コンパイラについても多様性を肯定していたはずだが…。
お祭りだからが答えの全てですがな
ReplyDelete別にデータを効率よく配るのが目的じゃなくてワイワイ盛り上がるのが主目的ですから
まあでも、コミケは金儲けが目的じゃない!お金を取るのは本を作る最小限のコストだけ!
って言ってる人は、コミケが終わったらpixivなりに上げて欲しいけどな。
確かに今日のような情報社会ではコミケに効率的な配布の機能を求めることは出来ない。
ReplyDeleteが、依然コミケは存続している。それどころか、すでに国内最大級のビッグサイトでさえ収容が難しくなっているほどに年々規模が拡大している(一部の説ではもう限界を超えているとのこと)。
これほどまでにコミケが求められる理由はなにか。それは擬似的な市場機能である。コミケは同人市場の機能を持っているのだ。
「ならば同人誌等を専門に取り扱う書店であるとらのあなやメロンブックスへ行けばよいではないか」という反論もあろう、しかし、彼ら同人書店がコミケへ出展される同人誌等をすべて取り扱うことはできない。
なぜなら商業だからだ。彼らは売れ筋の同人誌を選別しなければならない。
私は先ほど「擬似的な市場機能」と言ったが、コミケの存在意義はここにある。今日ではもはや役に立たなくなった流通機能を持ちつつも、そこへ非商業的な商品が入り込むことによって、純粋な市場機能でなく、擬似的な市場機能をもつことができる。
そこではとても市場としては成り立たぬような、規模が小さく、ニッチ中のニッチと言った同人誌たちが並ぶ。コミケの醍醐味はそれであり、同時に存在意義なのだ。
より多くの人に見てもらえる可能性としてはネット方が優位でしょうが、
ReplyDelete蓋然性という観点からすると物理的に同じ趣味の人が集まって視界に入りやすいほうが見てもらいやすいのかもしれません。
ネットでもマッチング機能が発達してニーズにあったアプローチができるようになればコミケの存在意義も薄まるのかも知れません。
またはてブのコメントですが、締め切り効果によって多くの作品が生まれるということがあるようですね。
>コミケ最大の魅力は作り手と買い手が直接顔を合わせて売り買いするという点である
ReplyDelete「作り手同士が」の間違いでは
本の虫と名乗っておいて玉石混淆もわからんとはとんだお笑い草だな
ReplyDelete玉石混合 (笑)。
ReplyDeleteこの時点で高が知れるというものだし、死んだ木がどうのと散々印刷を否定しておきながら、「プリントしなさい」じゃねえ。
コミュ障の中学生が、自分が馴染めなかったものへ強烈な憎悪をぶちまけている…という印象しかない。
文章のセンスも悪いし、こんなものが未来永劫アーカイブされちゃうんだから、ネットってのは不自由だねえ。
ははっ
ReplyDeleteそんなこと真剣に考えるのは野暮ってもんです。
細けーこたぁいいんですよ、だって理屈じゃないんですから(笑)
素晴らしい論です。
ReplyDelete私は感銘を受けました。
ご執筆中のC++11本も是非テキストを一種にして全世界に配布する能力でもって配布して頂けるようお願い申し上げます。
ところで進捗どうですか?
金属の貨幣にアウラを感じているように、印刷物にアウラを感じる人がいる。だから本が売れる。
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