2013-09-08

続・なぜいまだにコミケを開くのか

前回の記事、本の虫: なぜいまだにコミケを開くのかは、閲覧数こそ大したことがないものの、異様に多くの批評がついた。これは興味深いことだ。思うに、コミケ信者は相当に多く、また神聖なコミケの存在意義にわずかでも疑問が挟まれたとあっては、どうしても守らずにはいられないのだろう。

とはいえ、コミケには様々な問題がある。

まず、コミケでは、大勢の人間が密集するということだ。これは甚だしく危険である。

危険、というのは、何も団結すると暴動や革命を引き起こしてしまうから危険などといった独裁者の恐れる危険性ではない。むしろ私は、一度ぐらい団結して、国会議事堂を取り囲み、日本国憲法第21条が、公共の福祉を始めとした何ものによっても制限されてはならないよう、憲法改正を要求するべきだと思う。もし、改憲できないのであれば、日本の現政府は国民に表現の自由を保証しない暴君であるので、革命を考えるべきだろう。自由のない世界では、何らの法的根拠無く拘束や拷問、処刑が行われる。人間には生まれながらにして表現の自由が保証されているべきであり、憲法とは国家を律するものであり、国家に表現の自由を侵してはならないことを保証させる法であることを知らしめねばならない。ましてや、すでに学問上は、わいせつ物の所持の有無により犯罪が増加することはないという研究結果がなされており、過去に国家安全保証のためと称して表現の自由を侵していた国々は過ちを認め、わいせつ物であるからといって表現の自由を制限してはならないとしているのだ。日本も多数の国際条約を締結する、近代国家であることを自称するのならば、よろしく表現の自由を保証すべし。

次のオリンピックにより、ビッグサイトの利用が制限されるのでコミケの開催が危ぶまれているが、もしかしたらその団結の機会になるやもしれぬ。

ともかく、大勢の人間が密集するというのは、健康という点で非常に危険だ。将棋倒しに倒れて怪我をする恐れもあるし、伝染病の拡大の恐れもある。

あるいは、「いや、コミケの準備会は、有志による本職の医師や看護師を用意し、また人を整列させてせいせいと行動させ云々」と主張するかもしれぬ。しかし、いくら準備や防護策を講じたところで、危険であることには変わりない。

もうひとつの問題は、参加者の多くが文化財産の保存を考慮していないということだ。

コミケでは、様々な創作性あふれる作品が展示即売される。人類の創作するあらゆる情報は貴重な文化財産であり、歴史的資料であり、すべて保存の価値がある。コミケの同人作品は正しく保存されているだろうか。

情報を正しく保存する方法は、今も昔もひとつしかない。できるだけ多く複製することだ。もし、複製を制限したならば、情報が後世に保存される可能性は著しく下がる。死んだ木の印刷物は、数百年保存できるかもしれない。しかし、物理的媒体は無造作に保管され、散逸し、なかなか残らない。複製は、情報が保存される可能性を上げるのだ。

この2013年では、情報の表現方法は、もはや物理的媒体に囚われなくなった。いや、厳密にいうと、いまだに物理的媒体ではある。ほとんどの電子媒体というのは、実際のところ、区別可能な二種類の磁気変化や光学変化として観測できる物理的媒体に記録されている。しかし、電子媒体は従来の物理的媒体と違い、ビット列という純粋な情報で表すことができ、複製がとても容易になっている。

多くの者が主張する。コミケは商業活動を第一としていない、と。もし、本当にそうならば、複製を制限する必要はない。むしろ、複製を推奨すべきである。多く複製されればされるほど、情報が後世に保存される可能性が高まるのだから、できる限り多く複製されなければならないのだ。

しかし、多くの者は、情報の保存について、真剣に考えていない。作品を複製しやすい電子媒体で提供している者はごくわずかだ。

コミケは、既存の著作物の二次創作という、非常に法的に曖昧なことをしている。法的に曖昧とはいうものの、すでに確立した慣習である。そもそも、著作権法が存在する以前から、他人の作品を改変して、向上させるというのは、自然に行われてきた。畢竟、これは法律が現実に即していないというべきである。

そのような、現行法的には曖昧な同人文化だから、これについて言及してもいいだろう。インターネット上の違法な保存活動だ。

多くの同人作品が、コピー用紙に家庭用プリンターで印刷した落書きのような作品まで含めて、誰かの手によりスキャンして複製され、インターネット上で許諾のないまま配布されている。これは恥ずべき事態である。もちろん、恥ずべきなのは作者だ。

すでに述べたように、多くの作者は、作品に対して原価程度の対価しか要求しないし、そもそも金銭的利益を目的としているのではないと主張している。もしそうであるならば、いや、そうでなくても、文化財産を保存する価値の分かるものならば、自ら複製に適した電子媒体を公開すべきなのだ。さもなければ、お前の作品は後世に残らない。

自分の作品は後世に残ってほしくないと思う者もいるかもしれない。しかし、すでに述べたように、あらゆる人間の創作物は貴重な文化財産であり、保存する価値がある。お前の描いた何気ない落書きのような絵と数行の文章であっても、後世の歴史家にとっては、貴重な第一級の歴史的資料なのだ。人類の歴史のために保存しなければならない。

著作権法により、著作者は限定された期間の間、著作物に対して独占的な権利を得る。しかし、その限定された期間が過ぎた後は、著作物は人類の所有するものとなるのだ。貴重な歴史的資料となるのだ。文化財産となるのだ。

不幸なことに、現行法による限定された期間は、あまりにも長すぎる。その期間中、複製しないで著作物を保存するのが難しいのだ。いかなるストレージ(テープやHDDや光学ディスク(であっても、固体の寿命はせいぜい30年。それ以降は読み取れなくなる。そのため、情報を保存するには、常に新しいストレージに複製され続けなければならない。その複製を妨害するのは、人類の歴史に対する冒涜である。歴史家による正しい歴史の研究の妨害である。その行為は倫理上許されるべきではない。

ある者曰く、コミケ準備会はこれまでの見本誌をすべて保管していると。保管は役に立たない。すでに述べたように、情報を保存するには、複製されなければならない。情報が特定の物理的媒体から開放されなければならない。保管ではダメなのだ。

ただ、希望はある。最近、一部の同人作家は、インターネット上で電子媒体を直接販売するようになったことだ。これはすばらしいことだ。電子媒体の複製物を正規の方法で譲渡される機会を提供するのはすばらしいことだ。そのような機会長ないからこそ、未許諾の複製物が流行るのだ。

同人作者諸君、諸君は自分の作品が後世に保存されるように努力しているだろうか。

合わせて読むべき記事:

本の虫: プリンスオブペルシャのソースコードを救ったギーク達

本の虫: なぜ歴史には海賊が必要なのか

20 comments:

  1. 人が創作するのは人類のためではない。たとえ後世の人間にとって非常に価値のあるものを創っていたとしても、創り手には遠い未来の価値観に従う義務はない。

    人間は自分が残した足跡をわざわざ丁寧に保存しようなどとは思わない。消したい人がいたとしたらそいつは犯罪者だ、犯行現場における指紋足跡は調査官にとって価値あるものだからだ。

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  2. いいからはやくC++11本出せよ

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  3. 義務は無いというのはわかるけど、
    人間は足跡を残そうとは思わない、っていうのはどうなんだろう。
    この発言は足跡とは違うのか。

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  4. 保存は確かにそうですね。
    一応、見本誌を見ることは出来るみたいです。
    米沢嘉博記念図書館

    http://www.meiji.ac.jp/manga/yonezawa_lib/market.html

    また、国立国会図書館に納本しようという動きがあるようです。
    http://suikageiju.exblog.jp/17680852/

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  5. 江添先生が書いているC++の参考書は来年のコミケに間に合いますか?

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  6. 自分で主張してるはずの自由の意義を思いっきり投げ捨てた前回の記事に問題があるとは思わないんですね

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  7. ×前回の記事に批判が多い=コミケ信者が多い
    ◯前回の記事に批判が多い=江添の主張に穴が多い

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  8. 東北の震災の後、芸術屋が反原発掲げて穴だらけの矛盾事やってるのと同じ構図だと思います。
    記事の執筆者がこうであるべきという思想ありきの並べ立て、
    政治や治安と密接なコミケというタイトルがついていて現実はただの媒体保存談義。
    稚拙な知見でこうあるべきだ などと唱えると色々露呈しますよ。

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  9. もう少し精緻な理論を作ってはいかがでしょう
    ツッコミ待ちの炎上商法かと思いました
    こんな文章では恐ろしくてC++の本になんて出資する奴はいません。

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  10. 頒布を行う参加者は、献本をする義務があります。
    1989年以降、全数が保管されています。

    http://current.ndl.go.jp/ca1672

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  11. デジタルデータに夢を見すぎである。
    たった10年前、いや5年前のデータでももうネット上で見当たらないものはいくらでもある。
    保存という意味ではいまのところ物理媒体のほうがよほどマシなのが現状だ。

    それから「恥ずべきなのは作者」とかあなたのほうが恥を知るべきだ。
    二次創作についてミソもクソも一緒に第三者から違法呼ばわりされるいわれはないし、そもそも創作分野の裾野の広さを知っているとはとうてい思えない。

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  12.  あまりにも頭の出来が可哀想に思える文章だったので、100円恵んであげましたね。
     C++11の本、早く出て、それで相手してもらえたらいいですね。

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  13. プログラマーの文化論ってこういう感じなのか。
    いるかどうかもわからない未来の歴史家のために著作権捨てて無制限コピーできるようにしろとか、どこか視点がズレてるんだよな。

    単純にデータ云々で語れる話ではないんだけどね。

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  14. スルーしようかとも思いましたが、あまりにかわいそうなので一言。
    たまには外に出て、もっと目の前の人間とコミュニケーション取った方が良いかと存じます。仕事も出資者もすぐ見つかるかも知れませんよ。

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  15. 「コミケ信者は相当に多く、また神聖なコミケの存在意義にわずかでも疑問が挟まれたとあっては、どうしても守らずにはいられないのだろう。」

    よくある炎上マーケティングのサンプル例ですね。素晴らしいです。

    あとはもう少し外に出て色々な方とお話ししたり、人と人がどういうコミュニケーションを行っているか学ばれると、チューリングテストを通過できるAIになれると思います。

    え?人間?これ人間の書かれた文章なんですか?あまりに血が通ってないので文章を自動生成してるのかと思いました。だとしたら落第ですね。

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  16. >頒布を行う参加者は、献本をする義務があります。
    >1989年以降、全数が保管されています。
    > http://current.ndl.go.jp/ca1672
    すいません、義務化されたのは、1994 年からでした。

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  17. 毎回江添さんが意見すると、論点のズレた喧嘩腰の人間が挙ってやってきますな。
    それも他人の反論に便乗するかのように。

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  18. それは江添さんの自業自得ですよ。

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  19. まず交流したいからです。
    個人的に連絡取るほど親しくなかったり、そもそも今まで知らなかった同好の士に会えるからです。
    本の売買は交流の一形態に過ぎません。

    あとなんか、やらしい本の話ばっかり出てますけど、コミケで出てるのはそーゆーのばっかりじゃないです。マジメだけれど学会に出すのとは種類が違う(体験で見つけた育児のコツ、とか、ビーチコーミング何年目の報告、とか)話題の本で参加している人は、マルチジャンルのコミケが無くなると広くアピールしたり人に話したりする機会を新規開拓せにゃなりません。

    という事をもっとキリッと完結に書いてる方もおられたけど、言いたくてしょうがないので。

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  20. コミケは物理媒体の本を作って、直接手売りするイベント。それ以上でもイカでもないでゲソ。
    その方法が一番便利だから参加人数が多くなっているのではないし、
    その方法を誰かに強制されたわけでも無い。
    その方法に価値を見出した人がいるってだけ。
    ネットに自由を見出した人たちもいる。
    でも両者は両立が可能だから欲望たぎる人類は両方とってる。対立は無い。
    古い方法は悪ではない。
    古い方法と新しい方法があって、両立する時もあれば駆逐される時もあるけど、どちらが正しいという事も無い。単なる現象がそこに存在するというだけの話。

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