2009-09-23

賤しげなるもの、余と万年筆

先日、良い紙を使ったノートが欲しくなり、ツバメノートを買ってみた。紙の質は、確かによかった。安心して字の練習に打ち込んでいるものの、別の部分での不満というのが出てきている。それは、他ならぬ万年筆自身だ。

私はプラチナ万年筆の#3776の細軟を使っている。私は、今の万年筆を買うにあたって、少々迷った。万年筆は安くないので、気軽に何本も買うというわけにはいかない。それに、万年筆を買うからには、使わなければ意味がない。飾っておくだけなら、壺や掛け軸の類だっていいわけだ。太いペン先だと、ヌラヌラとした、いかにも万年筆らしい書き味がでるのだが、使う場所が限られる。さて、線の太さをどうするべきか。

色々試し書きをしたあげく、書き味よりも、線の細さを優先した。結果が、細軟だったのだ。思うに、これは正解だったと思う。メモ帳にも使えるので、今の私はどこに行くにも、メモ帳と万年筆を持ち歩いている。確かに、気軽に持ち歩いていては、壊す恐れもある。しかし、使わずに飾っておくのでは、せっかくの万年筆の甲斐がない。

ただし、外出中にメモ帳に書き殴るなら、細い線の方がいいが、字の練習に使うには、少々太い線の方がいい。幸い、親父が唯一持っている古い万年筆がある。今はまったく使っていないので、借りてきた。パイロットのCUSTOM 74で、字の太さはMである。だいぶ古いものだが、今でも問題なく書ける。万年筆の耐用年数の長さは驚くほどである。なるほど、確かにこれぐらいの太さだと、いかにも万年筆らしい書き味である。

追記:親父に確認を取った所、なんと23年前のものであるらしい。

しかし、私としてはやはり、プラチナ万年筆の方がいい。とはいえ、実際に問題なく書ける、太めの線の万年筆があるのに、わざわざ新しい万年筆を買うべきか。賤しくはないだろうか。そんなに字もうまくないのに、万年筆を何本も持っていても仕方がないのではないか。万年筆はいつでも買える。今は一文字でも多く、字を書く練習をした方が良いのではないか。

卜部兼好著 徒然草 第七十二段

賤しげなるもの。居たるあたりに調度の多き、硯に筆の多き、持仏堂に仏の多き、前栽に石、草木の多き、家の内に子孫の多き、人にあひて詞の多き、願文に作善多く書きのせたる。
多くて見ぐるしからぬは、文車の文、塵塚のちり。

ところで、万年筆に関する、夏目漱石の文章があったということを知った。題は、「余と万年筆」である。短い物なので引用する。

夏目漱石著 余と万年筆

 此間魯庵ろあん君に会った時、丸善の店で一日に万年筆が何本位売れるだろうと尋ねたら、魯庵君は多い時は百本位出るそうだと答えた。それでは一本の万年筆がどの位長く使えるだろうと聞いたら、此間横浜のもので、ペンはまだ可なりだが、じくが減ったから軸だけえてれと云って持って来たのがあるが、此人は十三年前に一本買ったぎりで、其一本を今日まで絶えず使用していたのだというから、これがまあ一番長い例らしいと話した。して見ると普通の場合ではいくら残酷に使っても大抵六七年の保証は付けられるのが、一般の万年筆の運命らしい。一本で夫程それほど長く使えるものが日に百本も出ると云えば万年筆を需用する人の範囲は非常な勢をもって広がりつつあると見ても満更まんざら見当違けんとうちがいの観察とも云われない様である。もっとも多い中には万年筆道楽という様な人があって、一本を使い切らないうちにあきが来て、又新しいのを手に入れたくなり、これを手に入れて少時しばらくすると、又種類の違った別のものが欲しくなるといった風に、それから夫へと各種のペンや軸を試みてうれしがるそうだが、これは今の日本に沢山たくさんあり得る道楽とも思えない。西洋では煙管パイプに好みをって、大小長短色々ぜた一組を綺麗きれい暖炉だんろの上などに並べて愉快がる人がある。単に蒐集狂しゅうしゅうきょうという点から見れば、此煙管パイプを飾る人も、さかずきを寄せる人も、瓢箪ひょうたんめる人も、皆同じ興味にられるので、同種類のもののうちで、素人しろうとに分らない様な微妙な差別を鋭敏に感じ分ける比較力の優秀を愛するに過ぎない。万年筆狂も性質から云えば、多少実用に近い点で、以上と区別の出来ない事もないが、いて無くても済むものを五つも六つもそろえるのだから今げた種類の蒐集狂と大した変りのあるはずがない。ただ其数に至っては、少なくとも目下の日本の状態では、西洋の煙管気狂パイプきちがいの十分の一も無かろうと思う。だから丸善で売れる一日に百本の万年筆の九十九本迄は、尋常の人間の必要にせまられて机上きじょうもしくはポッケット内に備え付ける実用品と見て差支さしつかえあるまい。して見ると、万年筆が輸入されてから今日迄に既に何年を経過したか分らないが、かく高価の割には大変需要の多いものになりつつあるのは争うべからざる事実の様である。
 万年筆の最上等になると一本で三百円もするのがあるとかいう話である。丸善へ取り寄せてあるのでも既に六十五円とかいう高価なものがあるとか聞いた。もとより一般の需要は十円内外の低廉ていれんな種類に限られているのだろうが、それにしても、一つ一銭のペンや一本三銭の水筆に比べると何百倍という高価に当るのだから、それが日に百本も売れる以上は、我々の購買力が此の便利ではあるが贅沢品ぜいたくひんと認めなければならないものを愛玩あいかん[#「あいかん」はママ]するに適当な位進んで来たのか、又は座右ざゆうに欠くべからざる必要品として価の廉不廉にかかわらず重宝ちょうほうがられるのか何方どちらかでなければならない。しかし今其源因を一つに片付けるのはの至として、又事実の許す如く、しばらく両方の因数が相合して此需要を引き起したとして、余はとくに余の見地から見て、後者の方に重きを置きたいのである。
 自白すると余は万年筆に余り深い縁故もなければ、又人に講釈する程に精通していない素人しろうとなのである。始めて万年筆を用い出してからわずか三四年にしかならないのでも親しみの薄い事は明らかに分る。もっとも十二年前に洋行するとき親戚のものが餞別せんべつとして一本れたが、それはまだ使わないうちに船のなかで器械体操の真似まねをしてすぐ壊して仕舞しまった。それから外国にいる間は常にペンを使って事を足していたし、帰ってから原稿を書かなくてはならない境遇に置かれても、下手な字をペンでがしがし書いて済ましていた。それで三四年前になって何故なぜ万年筆に改めようと急に思い立ったか、其理由は今一寸ちょっと思い出せないが、第一に便利という実際的な動機に支配されたのは事実に違ない。万年筆について何等の経験もない余は其時丸善からペリカンと称するのを二本買って帰った。そうしてそれをいまだに用いているのである。が、不幸にして余のペリカンに対する感想ははなはよろしくなかった。ペリカンは余の要求しないのに印気インキ無暗むやみにぽたぽた原稿紙の上へ落したり、又は是非墨色を出してもらわなければまない時、がんとして要求を拒絶したり、随分持主を虐待した。もっとも持主たる余の方でもペリカンを厚遇しなかったかも知れない。無精ぶしょうな余は印気インキがなくなると、勝手次第に机の上にあるんな印気でも構わずにペリカンの腹の中へぎ込んだ。又ブリュー・ブラックの性来きらいな余は、わざわざセピヤ色の墨を買って来て、遠慮なくペリカンの口を割ってました。其上無経験な余は如何いかにペリカンを取り扱うべきかを解しなかった。現にペリカンが如何に出渋っても、余はいまだかつて彼を洗濯したためしがなかった。それでペリカンの方でもなかば余に愛想あいそを尽かし、余の方でも半ばペリカンを見限みかぎって、此正月「彼岸過迄ひがんすぎまで」を筆するときは又と時代退歩して、ペンとそうしてペンじくの旧弊な昔に逆戻りをした。其時余は始めて離別した第一の細君を後からなつかしく思う如く、一旦いったん見棄みすてたペリカンに未練の残っている事を発見したのである。ただのペンを用い出した余は、印気インキの切れる度毎たびごと墨壺すみつぼのなかへ筆をひたして新たに書き始めるわずらわしさにえなかった。幸にして余の原稿が夫程それほどの手数がはぶけたとて早く出来上る性質のものでもなし、又ペンにすれば余の好むセピヤ色で自由に原稿紙をいろどる事が出来るので、まあ「彼岸過迄」の完結迄はペンで押し通すつもりでいたが、其決心の底にはうしても多少の負惜しみがこもっていた様である。
 余の如く機械的の便利には夫程それほど重きを置く必要のない原稿ばかり書いているものですら、又買い損なったか、使い損なったため、万年筆には多少手古擦てこずっているものですら、いよいよ万年筆を全廃するとなると此位の不便を感ずる所をもって見ると、其他の人が価の如何いかんかかわらず、毛筆をてペンを棄てて此方こちらに向うのは向う必要があるからで、財力ある貴公子や道楽息子どうらくむすこの玩具に都合のいい贅沢品ぜいたくひんだから売れるのではあるまい。
 万年筆の丸善における需要をそう解釈した余は、各種の万年筆の比較研究やら、一々の利害得失やらについて一言の意見を述べる事の出来ないのを大いに時勢後れの如くに恥じた。酒呑さけのみが酒を解する如く、筆をる人が万年筆を解しなければ済まない時期が来るのはもう遠い事ではなかろうと思う。ペリカンだけの経験で万年筆は駄目だという僕が人から笑われるのも間もない事とすれば、僕も笑われない為に、少しはほかの万年筆も試してみる必要があるだろう。現に此原稿は魯庵ろあん君が使って見ろといってわざわざ贈ってれたオノトで書いたのであるが、大変心持よくすらすら書けて愉快であった。ペリカンを追い出した余は其姉妹に当るオノトを新らしく迎え入れて、それで万年筆に対して幾分か罪亡つみほろぼしをしたつもりなのである。

なるほど、夏目漱石はブルーブラックが嫌いだったらしい。実は私も、日本の字を、青や赤の色を使って書くのは、どうもなじめない。万年筆といえばブルーブラックだという事は、もちろん知っている。今も役所の文書に、「黒か青のペンを使って」と書いてあるのは、当時はまともなボールペンがなく、万年筆で書いていた名残なのだ。朱墨などもあるにはあるが、主に訓点を書き加えるなどの目的で使っていたのだろうし、やはり日本の字は、黒で書くものではないかと、個人的には思う。

ところで、二十歳を超えたあたりから、夏目漱石や芥川龍之介の文章の価値が分かるようになってきた。中学生や高校生の時分には、一体彼らの文章の何が面白いのか、さっぱり分からなかったのだ。それに比べて、森鴎外や太宰治の文章のおもしろさは、実に分かりやすかったので、そっちばかり読んでいた。

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