今は昔、祇園の別当に、戒秀という坊主がいたが、ある有名な殿上人の妻の元に、忍んで通っていた。主人はこれを、薄々感づいてはいたが、知らぬふりをしていた。
ある日のことである。主人が家に帰ってみると、何やら妻子の様子がおかしい。もしやと思い、奥の部屋をみると、大きな箱に、いかにも不自然に、鍵をかけて置いてある。なるほど、この中にあの坊主がいるに違いない。さて、どうしてくれようか。
主人は、侍を呼んで、こう命じた。
「この箱、ただいま祇園に持って参って、誦経の料にさし上げてこい」
侍はこの旨を承り、人夫二人に箱を担がせて、祇園に向かった。妻子は、いかにも複雑な心境であったが、どうすることもできないので、ただ黙っていた。
さて、侍が祇園に行き、誦経の料を持ってきた旨を告げると、僧たちは思案した。これは、相当な宝が入っているに違いない。何はともかく、別当立ち会いのもとで、箱を開けなければならぬ。誰か、別当に知らせろと。
しかし、別当はどこにも見当たらない。侍はしびれを切らして、責め立てた。
「早く開きたまえ。主人の手前、確かに受け取ったことを確認するまで、帰ることはできぬのだ。己が立ちあえば、何かは苦しかるまじ」と
なおも僧たちが悩んでいると箱の中から、細くわびしげなる声がした。「誰でもいいから、ただ、開かせよ」と。
その場にいた、侍や僧ども、あさましく思い合えること限りなし。とはいえ、開けないわけにもゆかぬので、恐る恐る、箱を開けた。
箱より、別当が頭を出した。周りにいた僧どもは、驚いて逃げ出した。使いの侍も、驚いて逃げ出した。その間に、当の本人の別当は、箱から出て、どこかに隠れてしまった。
この主人というのは、賢い人であってので、その場で箱から引きずりだして、袋叩きにするよりも、恥を見せようと、かかるにくい事をしたのであった。戒秀は、もとより極めたる物云にて有りければ、箱の中より、かくも言ったのであった。
今昔物語、第二十八巻、祇園別当戒秀、被行誦経語 第十一より。
箱の中から、「只所司開キニセヨ」と言ったのが、なぜ物云になるのか。物云といえば、今昔物語では、「此事聞持テヤ、ヲヰ」と発言した物云が、二人存在する。柳田國男も、これに注目して、少なくとも当時、物云というのは、こういう決まり文句を言うものとされていたのではないかなどと書いている。
では、箱の中から開けてくれと発言することと、物云と、何の関係があるのか。
ふと思いついたのが、いわゆる昔話には、桃とか瓜とか、木の根っ子、箱の中から、主人公が生まれたという話が多い。このとき、爺が桃を切ろうとして、包丁を振り上げたところ、桃の中より、「爺、静かに切れ」などと声がしたという話が、結構ある。もしかしたら、これと何か関係があって、それで、極めたる物云という文が、効果的だったのかもしれない。
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