あれはどう考えても国語の問題に過ぎない。数学に国語を持ち込むというのは全く理解出来ない。
そもそも、小学校で習う整数や小数同士の乗算は、交換法則がなりたつように定義されているはずである。A*B=B*Aが成り立つはずである。それで順序を変えて間違っているというのであれば、そのいわゆる小学校数学の定義を示して欲しいものだ。まさか定義に、皿の枚数だの、りんごの個数だのを持ち込むつもりだろうか。つまり、その数学の定義は、日本語に依存しなければ定義できないということなのだろうか。
そして、この教育が行き着く先は、間違いなく、
ほとんどの子は、自ら正解を探すのではなく、教師に答えを求めるようになる。それは教師に答え合わせしてもらわないと安心できないところまで続く。
となるであろう。憂うべきかな。
しかし、みんなbikesheddingが好きなようだ。というのも、この手の問題は、実に議論しやすいからだ。なぜなら、およそ小学校を卒業した者ならば、一桁の整数の乗算はできる。だから誰もが口を出したがるのだろう。
15 comments:
数学、なのですか?
数学というか何というか。
まああれだ、公理と定義の問題なのにそれを理解していないやつが多いって事か。
実際 交換法則が成り立つ様に定められているからおkってなわけではなく、例えば順序数という物は交換法則が成り立たない。普通は成り立たない物なのだ。
例えば2×ωとω+ωとω×2がどれが同じ事を意味していいてどれが違うかということも全く考えずに議論するのもなぁ。
ただ×にしたのはやり過ぎだと思うけど、その先生の×にしたかった気持ちも分かる。
とあるAnonymousは得意げに語ってるけど、個数を問題にした段階で量であって順序じゃないでしょ。
原始的な数の概念を精密化・純化・抽象化して生まれたものの一つが順序数の概念だが、小学校の「数」はその前の段階を教えているもの。
抽象概念をいきなり教えるのは難しいからトイとなる実例として生活に密着し、役にも立つ原始的な整数の世界を教えている。
だから順序数の定義を例に持ちだして乗算の交換可能性にケチをつけるのはお門違い。
ところで、もし教師が乗算の交換に関して児童の理解を真に心配するなら答案に機械的に×をつける代わりに直接聞いてみればいい。当てずっぽうだったのか交換可能性を知ってそうしたのかはそれでわかる。それができないなら教師を人間がやる意味はない。
> 個数を問題にした段階で量であって順序じゃない
それもそうだな。
じゃあ濃度の議論でもすべきだったかね。
もういっそ全部pow()関数にして+とか×とか廃止すっかw
順序数や濃度の掛け算が交換できないから自然数の掛け算も交換しちゃいけないんだ。へー。
交換法則が成り立たない数として四元数とかグラスマン数がありますね。直感に反するように思えますが、実際の物理法則を反映する数として実用されています。
だからこの問題の核心はそういう自転車置き場の議論じゃねえだろ!
というのがこのエントリの趣旨なのでは。
本当にbikesheddingというのは盛んですね。
僕も正直そういう議論は嫌いじゃない、というより喜々として食いつくクチなのですが、何もこのエントリのコメントでやらなくてもよさそうなもんですよね。
ろくに働いていない人のブログのコメント欄なんて大抵こんなモンだと思うけど。
C++0xの本だって出版までちゃんとこぎ着けられるのだろうか疑わしいじゃん。
ただもしちゃんと出版までこぎ着けられる知能と根性があったら俺も見直す。
書店に並べば買おうかな。
ってことでくだらない遊びしてないでC++0xの本の執筆にいそしめよ。
5[皿]×3[個/皿]=3[個/皿]×5[皿]=15[個]
働いていないことを心配してあげるなんてお優しいですね。
僕は江添さんが遊んでいようが働いていようが関係ないので、これを読んで興味深いエントリを読めて良かったとしか思えませんでした。
pythonだと
"abc" * 3 == "abcabcabc"
3 * "abc" == "abcabcabc"
この教師の基準から言うとこれはアウトですね
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