「目撃!ドキュンはドキュンをバカにしすぎでひどくない?」と妻は言った。
僕はその言葉の解釈に数秒悩んだあと、おもわずこみ上げる笑いこらえるのに苦労した。
それは午前二時の真夜中のことであった。僕と妻は非常に腹を空かせていたが、あいにくと冷蔵庫にはごぼうと生姜とにんにくしかなかった。さすがの僕でも、ごぼうの生姜とにんにくの炒め物などという何の腹の足しにならない料理を妻に提案することはしなかった。我々が村上春樹の信奉者であれば、ここでパン屋を襲撃しに行かなければならないところだが、幸い我々は村上春樹がそれほど好きではなかった。
家のすぐ近くにはすき家があるが、我々夫婦はすき家に行くのは最終手段であると考えていた。というのも、夜中に寝巻き姿で夫婦揃ってすき家に行くのは、いかにもDQNのやることであり、文化的に生きる我々にははばかられる種類の行いであるように思われたからだ。
しかし腹は空いた。食べるものが家にない。コンビニにめぼしい物も売っていない。残念ながら、今夜は最終手段としてDQNに成り下がる必要がある。
我々夫婦は最低限の防寒具を着て、DQNのようにすき家に向かった。
「何、DQNの語源を知らないのかい?」
妻はDQNという言葉を知っている上によく使うにもかかわらず、DQNの語源を知らなかった。DQNとはドキュンと読み、かつての2ちゃんねるで使われていたネットスラングが定着した言葉である。今はDQNと書くことが多いが、当時はドキュンとかドキュソと書くほうが一般的だったはずだ。そもそもの語源は、昔「目撃!ドキュン」というテレビ番組があり、いかにも教養のない家庭環境に問題を抱えている下層階級の親子を放送していたので、そのような低俗な人間を指す言葉としてDQNが使われるようになったのであった。
「・・・そういうわけで、ドキュンは2ちゃんねるで使われていたスラングだけれど、もともとは目撃!ドキュンというテレビ番組が・・・」
「なにその番組名? ドキュンをバカにしすぎでひどくない?」と妻は言った。
僕はすき家の中で、おもわずこみ上げる笑いこらえるのに苦労した。
「それは逆だよ。目撃ドキュンという番組名が作られたとき、まだドキュンはオノマトペとしての意味しか持っていなかったんだ。」
言葉の変遷とは不思議なものだ。語源によって新たに創りだされた言葉の影響で語源の意味が変わってしまう。
3 comments:
江添さんの書く文章の一人称が"僕"になっていて珍しい。意図的だろうか。
村上春樹風の文章を書いてみた。
村上春樹よりおもしろいw
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