何から語ろうか。まずCoinCheckにしよう。CoinCheckという暗号通貨の取引所が、NEMを大量に盗まれたという事件だ。私の法と技術の理解では、盗むというのは物理的な物が伴うので映画泥棒という言葉が法的に正しくないのと同様に違うのではないかと思うんだが、まあそこは置いておこう。ここでは単に悪意としておく。
これについて、自分のNEMが悪意されたのでCoinCheckに金を返せと叫んでいる人間のほとんどは、そもそも筋が悪い。もし、Bitcoinが花開いた暗号通貨が技術的に正しく運用されていたならば、そんなことは起こりようがなかったのだ。つまり、しっかり自分の手元の信頼できる環境でフルノードを実行し、物理的なコンピューターの前には武装した警備員を配備するべきだったのだ。自分でフルノードの実行もせずに、秘密鍵すらCoinCheckに知らせ、やれ盗まれたのなくなったのというのは、紙に印刷してある資料を電子媒体で送れといったら、紙をスキャンした画像をPDFやEXCELに貼り付けて送ってくるバカにも等しい愚かな行為だ。非科学的なアメリカ人は神によって通貨の価値を信じているが、我々科学の信奉者は計算力に裏打ちされた通貨を信じる。計算力の強いやつは正しい。それが暗号通貨の基本的な理念ではなかったのか。
世間では秘密分散共有によるマルチシグネチャーがどうのとか、ホットウォレットがどうのと言っているが、正直本質ではない。秘密鍵を分散させようと、エアギャップさせようと、守りが弱ければ、銃で武装した数人によって脅迫、拷問された末に情報を吐き出すのがオチだ。
さて、今回の事件の記者会見において、NEMのロールバックという面白い概念が提唱された。ロールバック、取引をなかったことにするという救済措置、これについて考えてみよう。
そもそもBitcoinから始まった、あまり正確ではないが俗にブロックチェーンと呼ばれる暗号通貨は、取引の上に取引を重ねる仕組みになっている。
例えば、アリス, ボブ, チャーリーによる取引が、アリス→ボブ→チャーリーの順番で行われた場合、取引チャーリーの取引はボブの取引が成立した上に成り立っており、ボブの取引はアリスの取引が成立した上に成り立っている。
すると、アリスの取引をロールバックするには、ボブとチャーリーの取引もロールバックしなければならないことになる。
もう少し読者が実感できる例で考えてみよう。今週、読者は給料日だったのでまとまったカネを持っている。いまからオーガニック・スシを食べようと出かけたところだ。スシ・レストランに向かう途中の自販機で、財布の中に残っていた小銭で代用ジュースを一本買った。そこに急に、日本自治区政府からのエージェントがやってきて、君に告げる。「君、実は先週、JPYの大量盗難が発生した。ついては被害者救済のために、先週に遡ってJPYの取引をすべてロールバックしたい。全員の同意が必要だ。君が今買った代用ジュースの代金は戻ってくるが、君の給与振込はなかったことになる。被害者救済のため、模範的な一般市民である君はロールバックに同意してくれるだろうね? いや、カネはなくなるわけじゃない。一週間前の状態に戻るだけなんだ。あとで必要な取引は各人で復旧してもらいたい」
読者は同意するだろうか。
しかし、全員が同意するのであれば、アリスの取引だけをなかったことにして、ボブとチャーリーの取引は存在したことにできないだろうか。もちろんできる。それはハードフォーク(通貨の分裂)と呼ばれている。
しかし、我々は計算力によって通貨を信用していたのだ。アリスの取引を無効にすると、その取引に連なるボブとチャーリーの取引は計算では信用できなくなる。しかし、皆がアリスの取引を無効にすることに同意するならば、計算力を持つ皆が信用しているので正しい。自分だけアリスの取引は発生したと主張することは可能だが、過半数がその主張を拒否するのであれば、もはやその価値はなくなる。すると、世の中にはアリスの取引が存在した通貨と、存在しなかった通貨が生まれることになる。どちらを信じるのも自由だ。両方信じてもよい。こうして通貨は分裂する。
わかりやすい例で考えてみよう。日本自治区政府のエージェントは君にこう告げる。「いまから先週発生したJPYの大量盗難の取引を取り消す作業をする。君の財布の中身、銀行口座の金額、その他あらゆるカネとその記録を出し給え。我々がJPYの盗難だけがなかったように書き換えて君に返す。今のカネの状態はすべて破棄される。我々の書き換えは信頼できる。模範的市民の同志、同意してくれたまえ」
読者は同意するだろうか。
今回、このどちらの方法もNEM財団は取らなかった。仮に取ったとしても、マイナー達の同意を取り付けることはできないだろう。
かわりにNEM財団がやったのは、悪意を持った転送先のアドレスに、盗難を意味するモザイクを付与することだ。これはNEMの機能で、詳しくは調べていないが、ここで重要なのことは、アドレスにタグ付けができるということだ。NEM財団が今回悪意を持って取引されたNEMを含むアドレスにすべて盗難タグ付けをしていくことで、そのアドレスとの取引を利用者に拒否するよう促す。これにより、悪意ある者の持っているNEMは私情でかちを失うという目論見だ。なるほど、窃盗アドレスだと知った時点ですでに善意の第三者ではなくなるから、法的にも効果的だ。
しかし、果たしてそううまくいくだろうか。今回の犯人が次にやるべきことは、NEMを小額づつ、適当なアドレスに片っ端から送りつけることだ。大多数のアドレスが窃盗タグで汚染されてしまうと、もはや窃盗タグは意味を為さなくなる。第一、そのタグ付けは計算力に裏打ちされているのだろうか。権威がつけたタグを盲信しているだけではないのだろうか。そして、権威は果たして信用できるのだろうか。するとNEM自体の価値も、果たして信用できるのだろうか。
ただし、この考え方は面白い。我々は権威と計算力のハイブリッドの信用通貨を作り出してもいいのではないだろうか。
通貨の歴史を考える。貴金属のようなもともと価値のあるものが取引されていたのが、貴金属を直接取引するのは非効率的なので、貴金属と交換できる引換券で取引するようになった。しかし、実際に存在する貴金属以上の借金が市場に出回り、この仕組みは崩壊した。今の国家に裏打ちされた通貨は、貴金属と直接交換を保証されていない。
世の中には、存在自体が価値を持つ権威が存在する。国家もそうだが、宗教開祖とかアイドルとか秒速で億ぐらい稼ぐ人とかだ。そういう信者を何十万、何百万と持つ権威が、Bitcoinのような既存の暗号通貨をhard forkして独自の暗号通貨を始めるのはどうだろうか。何十万、何百万の妄信的な信者が価値を認めるのであれば、その暗号通貨には実際に価値が出るだろう。するとマイナーも一枚岩ではなくなるので、誰も過半数の計算力を持つことができずに、マイナーは単なるトランザクション処理係に成り下がる。何か問題が起きれば、権威がイスラム教で言うところのファトワー(見解)を出して訂正するのだ。
と考えてみると、VALUは案外いい線をいっていたのではないかとも思えてしまう。もちろん私は信用しないが。
こうして考えてみると、計算力と権威のハイブリット信用通貨は、国家から通貨発行権を奪還する試みであるとも言える。面白い世の中になってきたが、私としてはもっと現実的な価値を提供してほしい。例えばチューリング完全な計算を提供するとか、実際ストレージとして使えるとか、契約への同意が行われたことの記録ができるとかのブロックチェーンネットワークがほしい。
3 comments:
> 面白い世の中になってきたが、私としてはもっと現実的な価値を提供してほしい。例えばチューリング完全な計算を提供するとか、実際ストレージとして使えるとか、契約への同意が行われたことの記録ができるとかのブロックチェーンネットワークがほしい。
仮想通貨システムは所詮、ネットワークソフトに過ぎないのだから、サトシ・ナカモト氏がそうしたように、自前の仮想通貨を作るという道があります。
既に1000種類もの仮想通貨が出回っているとの報道を私は耳にしましたが、Linuxディストリの数についての報道と同じくらい、私は信用していません。
(一種類少ないよ。たった今、オレがオレオレディストリ作ったから。)
ブロックチェーン技術の弱点として過半数攻撃がありますが、過半数攻撃はそれなりの計算機資源を消費します。
その資源消費に見合うだけの規模を得るまでは、オレオレ通貨にとって過半数攻撃の心配は自意識過剰に過ぎないと、私は思います。
(オレのオレオレディストリに特化したハッキングが怖い!)
逆に言えば、Linuxディストリと同様に、自分の望みに合った仮想通貨を他の誰かが作るまで待つという道もあるわけで…。
少なくとも、ストレージとして使える仮想通貨は既に存在するようです。
https://qiita.com/smatsui@github/items/41af7a779e8209286a71
>例えばチューリング完全な計算を提供するとか、実際ストレージとして使えるとか、契約への同意が行われたことの記録ができるとかのブロックチェーンネットワークがほしい。
スマートコントラクトでは駄目なのか
泥棒という法的にambiguousな語を使うあたり、江添氏の法の理解の程度がなんとなくわかりましたですまる
Post a Comment