2012-01-13

汎用コンピュータ戦争

28c3: The coming war on general computation

Transcript: transcript.md at master from jwise/28c3-doctorow - GitHub

今夜は、著作権に関しての話はしない。著作権の話はもうたくさんしてきた。文化とか創造性の問題というのは興味深いが、正直なところ、もううんざりだ。僕のようなフリーランスのライターの日銭を稼ぐ現状の変化については、YouTubeで僕の昔のスピーチ動画を探せばいい。今夜は、もっと重要な話をする。汎用コンピューターについてだ。

汎用コンピューターというのは、実際、素晴らしいものだ。あまりに素晴らしいので、我々の社会はまだその真価を完全に把握していない。なんのためにあるのか、なぜ動作するのか、どうやって付き合っていけばいいのか。この疑問は、残念ながら、著作権の話へとつながる。

何故ならば、著作権戦争の背景事情は、将来来るべき汎用コンピュータの命運をかけた戦いへの備えとなるからだ。はじめに、ソフトウェアのパッケージがあった。次に流通があり、そして、メディアコピーがあった。そこで、我々は包装され、段ボール箱に詰められたフロッピーディスクを、店頭に並べ、キャンディーや雑誌と同じように販売していたのである。コピーは簡単であったので、当然コピーは可及的速やかに、かつ、広範に行われた。これは、ソフトウェアを作成して販売する者の、悩みの種であった。

DRM 0.96の時代に入る。彼らソフトウェア作成者は、ディスクに物理的な制限をかけたり、ソフトウェアの実行時に存在を確認する物理的なものを導入した。ドングル、隠しセクター、コピーが難しい物理的な分厚い紙のマニュアルに記載されている事項を実行時に答えさせる認証。もちろん、これらの試みはすべて失敗した。理由は二つある。ひとつには、商業的に成功しなかったからだ。当たり前だ。彼らは正規ユーザーの利便性を損ねているのだし、しかもソフトウェアに対価を払わない連中は、そういう馬鹿げた仕組みにかかずらう必要はなかったのだ。正規品購入者は、バックアップが正しく動作しないことに不満を持ち、認証ドングルが無意味に通信ポートを占有するのを嫌い、ソフトウェアを実行するのに巨大なマニュアルを持ち歩く不便に閉口した。ふたつめには、これらの試みは、海賊行為を防げなかったのだ。ソフトウェアにパッチをあてて認証を回避するのなんて古典的な問題なのだ。大抵、必要な技術を持つ専門家や、ソフトウェアベンダーと同じ能力を持つ者らが、ソフトウェアを解析してクラック版を公開、即座に広まったのだ。このような技術と改造は、非常に高度な専門技能を必要とすると思われるかもしれない。しかし、そうではない。不具合のあるソフトウェアが何をしているのかを解析したり、ヘンテコなフロッピーディスクの欠損部分を迂回したりするということなどは、コンピュータープログラマーにとって必須のスキルであるし、当時のように、ヘンテコなフロッピーが広く出回っていて、場当たり的に対処するのが普通だった時代としては、なおさら必須のスキルだったのである。アンチコピー戦略は、ネットワークが広まっていくにつれ、ますます動かなくなっていった。我々がBBSやオンラインサービスやUSENETニュースグループやメーリングリストを手にした時、このような認証システムをクラックできた者はクラック用のファイルを配布していたし、ネットワークの能力が向上するに連れて、クラック済みのディスクイメージや、さらには実行可能ファイルを直接配布するようになっていったのだ。

これによって、DRM 1.0が起こった。1996年、政治家達は皆、なにか重要なことが始まろうとしていることに気がついた。「我々は情報経済に突入しようとしているのだ。どういう意味かさっぱり分からんがね」と。彼らは、情報経済とは、情報を売り買いできる経済のことであろうと推測した。今や、情報技術は物事を効率的にした。情報経済下における市場とはどうなるだろうか。本を一日だけ買う。映画を観る権利を1ユーロで売る、一時停止ボタンは一秒あたり1ペニーでレンタルされる。映画をある国ではこの価格で売り、別の国では別の価格で売る。等々。こういう時代の未来予測は、旧約聖書を元ネタに書かれたつまらないSFのようなものである。情報という名において挙げられる物を列挙し、それを売ることができるという考え方だ。

しかし、このようなことは、購入者のコンピューターの使用とファイルの送信をコントロールできなくては実現不可能だ。だいたい、ある映画を24時間だけ使用できる権利を販売したとしよう。あるいは、音楽をiPodに転送する権利を販売したとしよう。ただし、iPodから他のデバイスに転送する権利は売っていないとする。どうやったらそんなことが可能なのだ。一度ファイルを渡してしまえば、もうそれをどう使用するかは、ユーザー側の自由だ。このようなことを実現するためには、コンピューターに特定のプログラムの動作を禁止したり、ファイルやプロセスを監視する機能が必要になる。例えば、ファイルを暗号化して、特定の条件下でしかファイルをアンロックしないプログラムをユーザーに使用させることはできる。

しかしだ。インターネットでよく言うように、「問題はふたつになった(訳注:有名な正規表現のミーム、この問題を解決するのには正規表現を使えばいいだろう。問題はふたつになった)」。ファイルを削除する前に、ユーザーがファイルを保存することを防がなければならない。さらに、ユーザーがアンロックプログラムはどのように複合キーを格納しているのか解析するのを防がなければならない。何故ならば、もしユーザーがキーを見つけたら、単にファイルを復号化して、クソアプリとオサラバしてしまうからだ。

さあ、みっつ目の問題だ。ユーザーが復号化済みのファイルを他人と共有することを防がなければならない。さて、よっつ目の問題が出てきたぞ。アンロックプログラムの秘密を解析したユーザーが、解析方法を他人に教えることを防がなければならない。さて、いつつ目の問題だ。アンロックプログラムの秘密を知ったユーザーが、秘密の内容を他人に教えることを防がなければならない。

問題が多すぎる。しかし、1996年には、我々には解決方法があったのだ。著作権に関する世界知的所有権機関条約である。国際連合世界知的所有権団体によって制定されたこの法律は、アンロックプログラムの秘密を解析することを違法にし、実行中のアンロックプログラムから復号化されたデータを取り出すことも違法にしたのだ。さらに、アンロックプログラムから秘密を解析する方法を他人に教えることをも違法化する法律を作った。また、著作権保護された物や秘密情報をホストすることをも違法にし、インターネット上から情報を消し去るために、弁護士、裁判官などのクソを必要としない簡便な方法も法制化した。これにより、違法コピーは永久に撲滅されたのでありました。めでたしめでたし。情報経済は美しい花を咲かせ、全世界を美化したのであります。空母がよく言うように、「任務達成」とね。[聴衆の笑い声]

まあ、もちろん話はそこで終わりはしない。というのも、コンピューターやネットワークを理解している人間は、この法は、解決する問題よりも多くの問題を生み出すことを知っている。だいたい、この法律は、あるプログラムを実行中の自分のコンピューターの内部動作の検証を違法化する法律である。コンピューターの内部でどのような動作が行われているかを、他人に語るのを違法化する法律である。何が悪いということを一切証明せずに、インターネットを検閲できる法律である。つまり、彼らは現実に対し非現実的な要求を突きつけ、現実に無視されたのだ。そもそも、コピーはこの法律の文章が書かれている間にも、どんどん簡単になっていったのだ。コピーはますます簡単になることに疑いはない。今、この2011年は、もっともコピーが難しい時代である。あんたらのお孫さんは、クリスマスの食卓であんたらを囲んで、こう言う。「もっかい聞かせて、おじいさん。もっかい聞かせて、おばあさん。2011年ではどんだけコピーが難しかったの? 爪ほどの大きさのドライブで、今までに録音されたぜーんぶの音楽と、今までに作成されたぜーんぶの映画と、今まで発音されたぜーんぶの言葉、今までに撮られたぜーんぶの画像、ぜーんぶなんでも保存できて、コピーは気がつく間もないほど一瞬で終わる、そんなドライブがなかった時代、2011年ではどんだけコピーがアホくさかったのか教えて」と。そこで、現状が示されて、21世紀初頭は、我々の常識がいかにマヌケだったかというネタで、ひとしきり楽しい笑いを提供した後で、自由美を謳歌するのだよ。

まあ実際には、そこまでうまくはいかない。童謡のハエを捕まえようとクモを飲み込んだおばあさんのように、蜘蛛を捕まえるために鳥を飲み込み、鳥を捕まえるためにネコを飲み込みと、延々と続く。大衆に支持された規制が壊滅的な被害をもたらしたので、その穴をふさぐために、新しい規制を作ったのだ。さて、ここで話を終わらせて、立法者は阿呆か邪悪か、あるいは邪悪な阿呆であるかと結論づけるのはたやすい。あまり満足の行く結論ではない。何故ならば、結果は絶望でしかないからだ。この結論から導かれる考えとは、指導者から愚痴と邪悪を取り除かぬかぎり、この問題は解決しないということになる。ということは、この問題は永久に解決できない。僕は、またひとつ違った説を考えている。

立法者が情報技術を理解していないというのではないのだ。というのも、専門家でなくても、良い法律を作ることができるべきであるからだ。議員たちは、地方と人民を代表するために選ばれるのであって、宗教指導や問題の種をまくために選ばれるのではない。生物学者の議員はいないし、都市計画の権威である上院議員もいないし、児童保護の専門家である欧州議員もいない(たぶんいるべきだが)。彼らは法と政治の専門家で、技術には詳しくないものの、多くの場合、それほど変な規制を通したりはしない。これは、政府がヒューリスティックな手法を用いているためである。専門家や大多数の意見を調停するという仕組みである。

しかし、情報技術には、このヒューリスティックがうまく働かない。めちゃくちゃにしてしまうのだ。規制が目的にかなうかどうかというのは、それが正しく機能するかということにおいて重要だが、次に重要なのは、その規制を施行しようとすると、広範に影響を及ぼすということだ。今、私が、議会や議員やEUに、車輪を規制しようと働きかけたならば、確実に失敗するだろう。今、私が、「まあ、車輪というのはたしかに便利でありますな。しかし皆さんお気づきのように、銀行強盗は皆、車輪のよっつついた車に乗って、現場から逃げ去っております。何とかできないものでしょうか?」と主張したとしても、返答はノーだ。なぜならば、車輪の正規の目的で使う際の利便性を保ったまま、悪用を妨げるなどという方法が、思いつかないからだ。車輪というのは非常に便利なものであり、銀行強盗を防ぐために車輪を規制しようなどという論法は馬鹿げているからだ。たとえ大規模な銀行強盗が起こったとしても、それによって社会が大混乱に陥ったとしても、車輪の規制というのは正しい問題解決の方法ではないということは、誰もが知っている。

しかし、今、私が同じ政治団体に対して、私はハンズフリーフォンが車を危険にする確実な証拠を持っていると主張し、「私は車にハンズフリーフォンを設置するのを違法化する法を通したいのです」といったならば、政治家は、「そうだな。その主張はもっともだ。やってみようじゃないか」と言うであろう。その上で、この意見が良いものかどうか、あるいは、その証拠が正しいものかどうか、などといった議論は起こるであろう。しかし、「車からハンズフリーフォンを取り除いてしまったら、それはもう車ではなくなる」などと主張する人間はいない。こういう機能を取り除いたとしても、車は車なのだ。車は車輪と同様に、特殊化された目的を構成しており、ハンズフリーフォンを付け加えるなどということは、すでに完成された技術に対する追加にすぎないからだ。ここに、ヒューリスティックが用いられる。特殊化された目的の技術というのは複雑である。その技術から、根本的な機能を損なわないで、ある機能を取り除くことができるのである。

この原則は、議員にもよく働くが、こと汎用コンピューターと汎用ネットワーク、すなわちPCとインターネットに対しては、全く働かないのだ。なぜならば、もしあるコンピューターソフトウェアを機能とみたならば、これは表計算を動かすコンピューターであるからして、表計算機能を持つ。これはWorld of Warcraftを動かすので、MMORPG機能を持つ。その上で、このヒューリスティックを適用してみると、「表計算をしないコンピューターを作れ」となる。これは「ハンズフリーフォンを持たない車を作れ」ということと等しいようにみなされる。そして、もしプロトコルやサイトを機能とみたならば、「BitTorrentが動かないように、インターネットを直せ」、あるいは、「thepiratebay.orgが名前解決されないように、インターネットを直せ」などという規制が考え出されることだろう。そしてあたかもこれは、「警告音を変更せよ」とか、「ピザーラの電話番号を無効にしてくれ」などという規制と同じようにみなされ、インターネットの根本的な原理を破壊するような規制だとは思われないのだ。

車や建築物やその他の技術的な規制にはうまく適用できたこの原則が、インターネットに当てはまらないということを理解出来ない人間は、邪悪とか無知という言葉を持って表されるものではない。ただ単に、「チューリング完全」や「end to end」などといった言葉が無意味に聞こえる種類の人間と同じである。そこで、議員は深い考えなしにこれらの規制を通す。そして、現実世界の技術にもたらす影響に直面するのである。急に、インターネット上に書くと違法になる数字がでてくる。公開できないプログラムが出てくる。そして、まったく問題のなかった著作物が、急にネット上から消え去ってゆく。そこで、「え? あれが著作権を侵害してたの?」と気がつくわけだ。規制の本来の目的を達成できはしない。この手の規制で著作権侵害は止まらない。著作権管理団体の根本的に間違った対処方法を受け入れているのだ。単なる自己満足である。「何とかせにゃならん。俺は何とかしてんだよ」と。規制に対する責は、規制内容を正しく考えなかったという批判になる。そもそも、その規制という考え方自体が根本的に間違っているのにもかかわらずだ。

根本的に間違った手法と対処方法は、様々な分野で起こる。私の友達で日用品の大手企業の役員を務めていた奴の話で、マーケティング部門が開発者に、素晴らしい洗剤のアイディアを思いついたと提案した。洗うたびに衣類を新しくする洗剤を開発しよう、と。いやまあ、開発者はマーケティング部門に、「エントロピー」の概念を理解させることができなかったらしい。そこで開発者がとった解決方法がある。「解決方法」、それは、酵素の働きによって、ほつれた繊維の端を断ち切るというものだった。衣類が古くなると繊維の端がほつれてきて、いかにも古くさくみえるからね。これによって、衣類を洗う度に、見た目が新しくなるというわけさ。でもそれは、洗剤が衣類を文字通り傷つけているからにすぎない。この洗剤を使うと、衣類を洗濯機の中で次第に崩壊させていくわけだ。これは、衣類を新しくするというアイディアの全く反対である。洗う度に衣類はダメージを受けていく。ユーザーがこの「解決方法」を適用する度に、衣類を新しく保つ方法が極端になっていく。新しい衣類を買わなくちゃならないんだ。だって古いのは溶けちゃうからね。

この手のマーケティング部門の連中に言わせると、「コンピューターはいらないんだ。必要なのは専用機だ。すべてのプログラムを実行するコンピューターなんてのはやめてくれたまえよ。ただ専用の動作、音声のストリーミングだったりパケットのルーティングだったり、XBoxのゲームだったりとかは提供して欲しいが、不正なプログラムや不利益なプログラムは実行できないようにしてくれたまえ」となる。これは一見すると、理にかなった要求のように聞こえる。ある専門の動作だけを実行するプログラムだ。ほら、ミキサーに電動モーターを取り付けることはできるし、食器洗い機にもモーターを取り付けることはできる。でも、ミキサーが食器洗いプログラムを実行する恐れなんてないだろ、とね。しかし、その手の要求を満たしたコンピューターは、話が違う。そういう要求によって作られた、とあるコンピューターは何か専門のアプリを実行するわけではないのだ。このコンピューターは、どんなプログラムでも実行できる。ただし、ルートキットやスパイウェアやコード署名といった技術を組み合わせて、実行中のプロセスを確認だとか、独自のソフトウェアをインストールだとか、実行されてほしくないプロセスの終了などというユーザーの動作を妨害しているだけなのだ。要するに、専用機というのは、機能を削減したコンピューターではない。完全なコンピューターにスパイウェアを仕込んでいるだけなのだ。

どんなプログラムでも実行できる、ただし、実行されてほしくないプログラムや、法律に違反するプログラムや、不利益をもたらすプログラムは実行できないという汎用コンピューターの作り方を、我々は知らない。それに近いものは、スパイウェアを搭載したコンピューターである。コンピューターがユーザーのあずかり知らぬ所で、ユーザーの意思に反して、勝手に動作ルールを決めているコンピューターである。これこそが、DRMがマルウェア(悪意あるソフトウェア)たる所以である。

かつて、ある有名な事件があった。ソニーが六百万枚の音楽CDにルートキットのインストーラーを仕込んでいたのだ。このルートキットはひそかに実行されて、CDの音楽データの読み取りを監視し、妨害するのだ。しかも、カーネルを騙すことで実行中のプロセスとしては表示されず、ドライブ上のファイルとしても表示されない。もちろん、これは唯一の実例ではない。任天堂は出荷した3DSに対して、ファームウェアを更新する際に、既存のファームウェアに改変が加えられていないかどうかをチェックし、もし改変を検出した場合は、3DSを文鎮にしてしまうのだ。

人権団体は、U-EFIという新しいPCのブートローダーに対して非難声明を出している。これは、署名されたOSしか実行できないように制限をかける機能がある。これにより、政府は、政府の検閲や秘密捜査に協力的でないOSの署名を無効にするかもしれない。

これをネットワークに適用すると、ネットワークを著作権侵害に利用できないように政府が規制をかけるだろう。そこで、SOPA、合衆国アメリカのStop Online Piracy Act(オンライン海賊行為防止法)では、DNSSecのようなツールは禁止される。何故ならば、このツールを使えばDNSブロックを回避できるからだ。そして、Tor(訳注:匿名性の高い多段プロキシ―)のようなツールも禁止される。何故ならば、このツールを使えば、IPブロックを回避できるからだ。SOPAの擁護団体、アメリカ映画協会が、SOPAの考察メモに書いている内容によれば、「SOPAは多分うまくいくだろう。なぜならば、すでにシリア、中国、ウズベキスタンが同じ方法を用いており、とてもうまくいっていると報告しているからだ。だからアメリカでもうまくいくに違いない」とさ。

[聴衆から多大な笑い声と拍手] 僕に拍手しないでくれよ。するならMPAAにしてくれ。

さて、SOPAは著作権とインターネットにおける戦争を終わらせる一大事である。もし、我々がSOPAを撃破できたならば、PCとネットワークの自由を守りぬくことができるのだ。しかし、この話の最初に言ったように、これは著作権の話ではない。というのは、著作権なんて、これからコンピューターに振りかかるであろう戦火から比べたら、0.9ベータ版ぐらいなものだからだ。娯楽業界なんてものは、これから来るべき世紀に渡る紛争における、前哨歩兵みたいなものだ。まあ、彼らは善戦していると思うかもしれない。ベスト40に入る音楽とか、リアリティ番組や、アシュトン・カッチャーの映画を守るために、SOPAでインターネットを根本的に破壊しようとしているわけだから。

実のところ、著作権規制というものは、これ以上まともに進展することはないだろう。だからこそ、カナダの議会は、馬鹿げた著作権法案を毎回提出していながら、可決に至っていないわけだ。だから、SOPAという原子レベルまでクソの固まりを寄せ集めて、「バカ250」みたいになってるふざけたものが、クリスマス休暇の後回しにされてるわけだ。世の中にはもっと重要な、国家的に重大な議論が山ほどあるからね、例えば失業保険だとかさ。だからこそ世界知的所有権機関はアホの集まりがアホくさい著作権条約案ばかり出しているんだ。だからこそ世界各国が国際連合に送るのは、治水の専門家であって、著作権の専門家ではない。医療の専門家であって、著作権の専門家ではない。農業の専門家であって、著作権の専門家ではない。なぜなら、著作権というのはそれほど重要ではないからだ。

カナダ議会が著作権法を可決しないのは、カナダ国内の数多くの問題ごと、すなわち健康問題を始めとして、アルバータの石油問題や、フランス語話者と英語話者の共存や、国家の資源問題などに対して、著作権を修正するなんてことの優先度は限りなく低いからだ。著作権の問題なんてものは、その他の分野の経済がインターネットとPCみせる憂慮とに比べたら、ゴミカスみたいなものだ。なぜ別分野はコンピューターの規制に反対するのか。いや、そりゃ今の我々の生活はコンピューターに依存しているからだ。我々はもはや車には乗っていない。コンピューターに乗っている。我々はもはや飛行機には乗っていない。乗っているのは制御装置が多数取り付けられたSolaris機だ。3Dプリンターというのはデバイスではなくて出力装置であり、動作にはコンピューターへの接続を必要とする。ラジオはもはや鉱石ではなくて、汎用コンピューターに高速なADコンバーターとDAコンバーターを取り付けて、いくつかのソフトウェアを走らせているものなのだ。

不正コピーに対する懸念なんて、今このコンピューター依存の現実世界に対する脅威からみれば、ちっぽけなことだ。たとえばラジオだ。今日までのラジオというのは、製造された時点ですでに固定されたものであって、容易に変更できないものであった。手元のポケットラジオのスイッチをいじって航空管制の電波に割りこむなんてことはできない。しかし、強力なソフトウェアによって実装されているラジオは、実行するソフトウェア次第で、ポケットラジオを緊急無線や航空管制に変身させることができる。だからこそ今、アメリカの通信規制団体である連邦通信委員会は、ソフトウェア無線の導入がどのような影響をもたらすか懸念している。彼らは、すべてのソフトウェア無線は規制済みのコンピューター装置に組み込まれるべきではないかと議論しているのだ。要するには、すべてのPCはロックされていて、中央の権威が、実行を許可されるプログラムについて厳格な規制をしくことができるという考え方だ。

これはまだ問題の序章に過ぎない。考えてみて欲しい、今年はAR-15をフルオートに改造するオープンソースの形状ファイルが公開された年である(訳注:不詳。民間用AR-15は規制によってフルオート機能がない。フルオートに改造するための部品の形状をモデリングした3Dプリンターのためのデータのことか?)。今年は個人製作の遺伝子シークエンシングを行うためのオープンソースのハードウェアが登場した年である(訳注:OpenPCRのことであろう。PCRに必要とするハードウェアは原理的に、それほど複雑で精密ではない)。そして3D印刷が面白いことになっている。今や、大人のおもちゃすら印刷できると、アメリカ南部の裁判官とかイランの宗教指導者とかが知ったら、気絶するだろうね。3Dプリンティングは、麻薬密造やセラミックナイフと同じように、規制派の活動を活発化させるだろうね。

ファームウェアの書き換えが可能な自律運転車とか、航空無線に割り込み可能な装置や、化学、生物学上の各種装置などなど、SF作家を待たずとも、規制派が心配するような技術は、今や山ほどある。モンサント社(訳注:遺伝子組換えによる耐性作物を開発している会社。色々と黒い噂が絶えない)が将来、コンピューターが専用の出力装置を使って、彼らの飯の種を食べてしまうような生物を合成できないように、そのような生物を出力するプログラムを実行できないように規制するのは有意義であると主張しないと、どうしていえようか。これが杞憂であるかどうかはともかく、彼らのようなロビー団体や宗教団体、政治団体は、ハリウッドよりもはるかに高い影響力を持っている。そして将来、彼らは皆、同じ結論に達するだろう。「任意のプログラムを実行できるが、我々の利益を損ねるプログラムだけは実行できない汎用コンピューターを作れないのかね? ある二点間において、任意のメッセージを任意のプロトコルで通信できるが、我々の不利益になるような通信は禁止するインターネットを作れないかね?」と。

将来、汎用コンピューターと付随する出力装置を使って、僕をも驚かすような何かをしでかすようなプログラムが現れるだろう。だから、将来ますます、人々は汎用コンピューターを制限することが有意義であると考えるようになっていくだろう。しかし、我々が著作権戦争で目のあたりにしたように、特定のインストラクションやプロトコルやメッセージを禁止するということは、問題そのものの解決には一切ならない。我々が著作権戦争で目の当たりにしたように、PCを制限する試みというのは、すべてルートキットに行き着く。インターネットを制限する試みというのは、監視と検閲に行き着く。だからこそ、この問題は重要なのだ。何故ならば、我々はここ十年来、ラスボスだと思われるものを相手に戦ってきた。しかし、実際には、序盤ステージの最後にいる中ボスでしかなかったのだ。そして、次のステージの難易度は、格段に上がる。

ウォークマンの世代として、僕が老いたときには、補聴器が必要になることに納得している。もちろん、僕が体に装着するのは補聴器ではなく、コンピューターである。僕が車に乗り込む時というのは、自分の体をコンピューターの中に押し込んでいるのだ。もちろん、補聴器も、僕の体の中に装着しているコンピューターだ。僕は、これらの技術に、何か秘密の機能が搭載されていて、僕の意志に反して動作の強制終了を拒否するようになっていないかどうかを確かめたい。

去年のこと、フィラデルフィアの中流の高級住宅街にあるローワー・メリオン高校に不祥事が発見された。この学校は生徒にPCを貸し出していたのだが、このPCにルートキットが含まれていて、ネットワーク接続と内蔵カメラを通じて、遠隔監視できるようになっており、彼らは生徒を何千枚も、校内、郊外、寝起き、着替え、裸に至るまで、盗撮していたことが発覚したのだ。また、現在の諜報機関は、PCやタブレットやケータイのカメラやマイクやGPSを秘密裏に操作できる法的根拠がある。

未来の自由を守るためには、自分の使っているデバイスを検証できる必要がある。実行中のプロセスの検証と終了により、デバイスが自分に忠実なしもべであると確証できる必要がある。コンピューターが犯罪者や諜報機関や規制派のための道具に成り下がってはならない。我々はまだ、敗戦しているわけではない。しかし、我々はインターネットとPCを自由かつオープンに保つため、この著作権戦争に必ず勝利しなければならない。何故ならば、インターネットとPCは、将来の戦争のための武器だから、これ無くして来るべき戦争に勝つことはできない。こういうと早計なように聞こえるが、何度も言っているように、まだこの戦いは始まったばかりなのだ。我々が今戦っているのは中ボスであり、より難易度の高いボスが、やがてやってくる。しかし、良きゲームデザイナーならば当然そうするように、我々に今、最初に与えられたのは、比較的弱いボスなのだ。我々には勝機がある。本物の勝機がある。もし我々が今、オープンかつ自由なシステムを維持し、我々と共闘してくれるEFF、Bits of Freedom、Edrie、Nets Politique、La Quandrature du Netなどの数多くの味方を維持できたならば、我々には勝機がある。戦争に必要な弾薬の準備をしておけ。

なかなか興味深い考え方だ。今我々が直面している著作権などというものは、中ボスでしかないという。本当のラスボスは、汎用コンピューターの自由を脅かす存在である。任意のプログラムを実行できるが、著作権侵害をおこすプログラムだけは実行できないような汎用コンピューターなどというものは存在しない。そんなものをつくろうと試みても、できあがるのは、スパイウェア入りのコンピューターである。DRMなどというものも、くだらない。DRMを解析するのを違法にするというのは、有名な正規表現ジョークと同じで、問題を二つに増やすだけである。

1 comment:

Anonymous said...

拝読させていただきました。
コリー・ドクトローの最近の活動があまり邦訳されていないので、すごく参考になります。

http://kashino.tumblr.com/post/15809446081

↑みたいに揚げ足取りの人もいるようですが、具体的にどのへんが「イマイチ」か聞いてみたいですね、この人に(わたしはイマイチとはとても思えませんでした)。