2009-06-05

君子遠庖厨

齊宣王問曰、齊桓晉文之事可得聞乎、孟子對曰、仲尼之徒、無道桓文之事者、是以後世無傳焉、臣未之聞也、無以則王乎、曰、德何如則可以王矣、曰、保民而王、莫之能禦也、曰、若寡人者、可以保民乎哉、曰、可、曰、何由知吾可也、曰、臣聞之胡齕、曰、王坐於堂上、有牽牛而過堂下者、王見之、曰、牛何之、對曰、將以釁鐘、王曰、舍之、吾不忍其觳觫若無罪而就死地、對曰、然則廢釁鐘與、曰、何可廢也、以羊易之、不識有諸、曰、有之、曰、是心足以王矣、百姓皆以王為愛也、臣固知王之不忍也、王曰、然、誠有百姓者、齊國雖褊小、吾何愛一牛、即不忍其觳觫若無罪而就死地、故以羊易之也、曰、王無異於百姓之以王為愛也、以小易大、彼惡知之、王若隱其無罪而就死地、則牛羊何擇焉、王笑曰、是誠何心哉、我非愛其財而易之以羊也、宜乎百姓之謂我愛也、曰、無傷也、是乃仁術也、見牛未見羊也、君子之於禽獸也、見其生、不忍見其死、聞其聲、不忍食其肉、是以君子遠庖廚也

孟子、梁惠王上

ここからとってきて、整形したのだが、どうも中国人の解釈は間違っているんじゃないかと思う。変な所で区切ったりしている。

だいぶ難しかったので、わかりにくい所を解説する。

齊桓晉文之事:齊の桓公と晉の文公の事
この両君主は、いずれも武力で国を支配した者として名が高い。齊の宣王は、武力に関心があったので、この二人のことを聞いた。

仲尼之徒云々
儒学者は、武力による支配を好まず、仁徳、王道による支配を良しとしているので、孟子は知らずと答えた。

無以則王乎:やむなくんば則ち王か
以は已と同じ音なので、代わりに使われている。この王は、人としての王ではなく、国を治める道としての王道のこと。孟子は武力について答えることができないので、代わりに王道についてこたえましょうか、と言っている。

莫之能禦也:これを能くとどむる莫きなり
禦は止と同じ意味。述語と目的語が逆転しているのは、目的語が代名詞で、しかも否定文であるから。

將以釁鐘:将に以て鐘を釁せんとす
新しい鐘には、牛を殺して、その血を塗るという儀式がある。

舍之:これをおけ
舍は捨を簡略化したものらしい。それをするな、程度の意味か。

觳觫:こくそくとして
これは二字の母音の発音を重ねる畳韻。意味は、こそこそ、おろおろ、など、恐れる様。

百姓皆以王為愛也:百姓皆以て王は愛しむと為すなり
ここで、愛は惜という意味である。則ち、「臣民は、王は吝嗇で牛を殺すのがもったいないから羊に変えさせたと思っている」という意味である。

隱:いたむ、あわれむ

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