超会議2019でとても切れのあるダンスに感銘を受けたので、にわかにダンスを学びたくなった。ちょうどスノーボードもシーズンが終わり、新しい有酸素運動を欲していたところだ。ダンスは丁度いい運動になるのではないか。しかし、ダンスはどうやって学べばいいのだろう。私はボルダリングとスノーボードとキックスクーターをしている。したがって私は日頃からある程度運動をしている状態にある。しかし、体の動かし方がわからない。スノーボードではインストラクターがとても役に立ったので、ダンスでもインストラクターから学べばいいのではないかと思い立った。幸い、ダンススクールは都内にたくさんある。ゴールデンウィークを幸いに、インターネット上で検索して自宅からも職場からも近い、通いやすいダンススクールに行ってみた。しかし、期待していた教育ではなかった。
天才は教育で作ることができる。天才を科学的に研究している研究者の著書、Peak: Secrets from the New Science of Expertiseによれば、様々な人間の才能は教育で作ることができる。例えばランダムな数字桁の暗記、絶対音感、バイオリンの演奏といった技能は、教育することができる。これらは先人がすでに効率的で効果的な教育方法を確立させているからだ。
私は、ダンススクールに教育を期待していた。ダンスを構成する動きを1挙動ずつ区切り、そのときの荷重や跋重、重心の位置、遠心力などを力学的に解説し、適切な体の動かし方を学ぶ教育を期待していた。スノーボードではそのような教育が確立しているらしく、プロのインストラクターにかかれば未経験者が2時間でトゥエッジのサイドスリップができるようになり、4時間でターンができるようになり、6時間で連続ターンができるようになる。
私が行ったダンススクールにおける「レッスン」は以下の通りであった。
鏡張りのフロアで爆音で音楽を流し、音楽に合わせてインストラクターが演技をするので、各自その動きをマネる。まず体操をし、続いて筋トレをし、短い振り付けを反復練習し、時間が来たので終わるという形であった。インストラクターの動きはすばらしかったが、インストラクターはほとんど助言をしなかった。ただ手本となる演技をするだけだ。
これは教育だろうか。私には、学ぶための環境と見本を用意しただけにしか見えない。教育はしていない。環境はよい。仕切りのない広い部屋で、床は硬いながらもやや衝撃を吸収するようにできており、壁は鏡張りだ。建物は防音されているので、激しく踊っても近所迷惑にはならない。見本もよい。インストラクターの動きは私をしてダンスを学びたいと感銘を受けたあの名前も知らぬ踊り手同様によい。しかし、ほとんど指導はなく見て模倣して覚えるしかない。
設備も気になる。なぜあんなに耳が痛くなるほど爆音で音楽を流さなければならないのか。部屋は防音されていて中から外に音が漏れることはないし、外の音は聞こえない。しかもレッスン中の受講者は私語せず黙々とインストラクターの動きを真似るだけ。音量が過剰だとしか思えない。あまりに耳が痛く不快なので音に合わせることができない。爆音のなる中でインストラクターはごく稀に指導らしきことをつぶやいているのだが、爆音にかき消されて全然聞こえない。なぜマイクが用意されていないのか。そもそも爆音である必要はない。そして、インストラクターは音楽を操作する必要があるごとに装置の前まで移動する。なぜ遠隔操作できるようになっていないのか。
立地はよいし、月謝はそれほど高くなかったので、とりあえず一ヶ月行き放題の契約をしてみたが、これでダンスが学べる人間は、別にスクールに頼らなくても学べる気がする。
ところで、私がダンスを学ぶ上で障害がひとつある。私は騒音が苦手なのだ。そして、私にとって大抵の音は騒音として認識される。
理由はよくわからない。医師ではない他人からは聴覚過敏の可能性を指摘されているのだが、正式に診断を受けたことがないのでわからない。それに、自分でも不快だと感じる音が一貫していない。例えば、今この文章を書いている間に外から車の音と雨の音がしているが、これはさほど不快ではない。また、私はこの文章を書くのにCherryMXの青軸を使っていて打鍵のたびにカチカチというクリック音がなるのだが、これも不快ではない。むしろしっかりと打鍵したことが認識できるので快適ですらある。私の妻は家で常に謳っていたり踊っていたりしているのだが、これもさほど不快ではない。あるいはスピーカーから出る音が苦手なのだろうかと考えたこともある。妻がスピーカーから音楽を鳴らしているのは極めて不快だ。しかし私がビデオゲームをしている時は操作に応じて効果音がフィードバックとして流れてほしい。ゲームの効果音は不快ではないし、ゲームが面白い場合、その音楽もたいてい不快ではない。駅のホームのスピーカーで流れているアナウンスもさほど不快ではない。
そもそも音楽を聞くことは好きではない。たまに無性に音楽を聞くこともあるのだが、純粋に音楽を聞くのではなく、その音楽に付随する文脈が面白いから聞いているのだ。例えば気に入ったアニメやゲームの音楽であるとかだ。
興味深いので一度医師の意見を聞きに行ってみたいとはつねづね思っているものの、健康診断の聴力テストで問題になったことはないし、人の声が聞き取りづらいと感じたこともないし、集中して作業する時はそもそも静かな環境を好むのは他人と変わらず、したがって日常生活でさほど不便を感じていないので、なかなか病院に行って医師の意見を求めるほど切実な問題にはなっていない。ストレスや疲労によって音の不快度が変わったりはしないので精神的なものでもないだろうし、特に何か治療できるものだとも思われない。しかし、今回は困った。ただ、単純に音量が大きすぎるだけではあると思うのだが。
ただ、今回レッスンを受けた限りでは、インストラクターはほとんど指導らしい指導を発声しないので、workaroundとして爆音の音楽をリズムが取れる程度の音量にまで軽減するために、耳栓をしても変わりはない気がする。
ところで、肝心の手本であるが、体操は体が硬いために一部の動きができず、筋トレは変則的な体側を起こす片手腕立て伏せ書く10回、各種腹筋合計2桁回、プランク数十秒程度のものであったので問題なくこなすことができ、振り付けは圧倒的なリズム感のなさと耳をつんざくほどの不快な爆音音楽のせいでタイミングがあわず、まるでできなかった。そもそも手本を見ながら数回ゆっくり流しただけであとは反復練習しろというのはダンス未経験者にはつらすぎる。
以上のようなことを知り合いの踊り手に相談したところ、大抵のダンススクールとはそういうところだ。そもそも体ができてなくて動かない人間にいくら力学的なことを教えても意味がない。ダンスなんて自分で学べ。本当に基礎からやりたいならひたすら柔軟とか、1時間クソつまらないな動きを繰り返すことになる。それがやりたいならバレエの基礎をやるべきだ。ただしすでに言ったようにクソつまらないので根気がなければ続かない。ダンスをなめるな。とボロクソに言われた。
結局、Peak: Secrets from the New Science of Expertiseに書いてあったように、先人が効率的な教育方法を確立させている歴史のあるものを学んだほうがよいということか。
1 comment:
ダンスのグループレッスンというのは多くはそんなもんですよ。先生も一人一人の生徒の面倒を見ている暇がないし、生徒もなんとなく身体を動かせれば良いという人ばかりなので。良い先生のプライベートレッスンを取れば全く違うかと思われます。ま、良い先生をどうやって探すのかは問題ですが。
ちなみに音楽が苦手なのだったら、ダンスは向いてないんじゃないかと思います。あくまで音楽あってのダンスですからね。音楽が楽しめないのにダンスをするというのはおかしいように思います。
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