2012-02-03

なぜ歴史には海賊が必要なのか

Why History Needs Software Piracy | PCWorld

SOPAとPIPAのような反海賊法を巡っての議論において、我々の関心は、主として現代と近未来に置かれがちである。職と利益に対する被害に対しては、今日、誰が被害をうけるのかということに着目しがちである。

ここでひとつ、ソフトウェア海賊に対して、別の視点からの関心ごとを述べてみようと思う。未認可のソフトウェアの複製が、短期的にみて、いくらかの商業的利益を損ねることに疑いはないが、ここで一歩下がってみると、すこし違った状況が見えてくる。歴史的に考えると、ソフトウェア海賊のもたらす利益は、短期的な損失を大幅に上回っているのだ。もし、技術史を気にかけるのであれば、許諾なくソフトウェアをコピーする連中がいることに、感謝しなければならないのだ。

一件奇妙に聞こえるかもしれないが、海賊が救ったソフトウェアの数は、破壊したソフトウェアの数より多いのだ。すでに、海賊は何万ものプログラムを絶滅から救っており、図らずもデジタル文化の守り手としての地位を証明している。

ソフトウェア海賊は、データをより簡易かつ記録媒体から独立させることによって、データの消失を防いでいる。巨大なシステムの一部として働く全体の知識を持たぬアリのように、デジタル海賊の献身的な行動は、全体として観察すれば、数多くのデジタルコンテンツを保存しているのだ。

海賊による保存効果とは、あまり良く知られてないが、何も目新しいことではない。何世紀にもわたり、石版、巻物、本に至るまで、その最も複製され、頒布されたものが、現代もっともよく保存されているのである。ホメーロス、ベオウルフ、ましてやキリスト教の聖書までも、もし未許諾の複製によらずんば、今日の図書館には残っていなかっただろう。

昔と今の違いは、ソフトウェアの劣化は、世紀という単位ではなく、年単位であり、複製による保存を違法行為にしてしまうのだ。これは深刻な問題である。何千もの文化的に重要なデジタルコンテンツが、今我々がこうして論じている間にも、虚無に消え去ろうとしているのだ。

ソフトウェアの消失

現代におけるソフトウェアの消失の問題は、磁気的媒体に起因する。かつてパーソナルコンピューターで広く使われた記録媒体であったフロッピーディスクは、約束された有限の寿命を持つ。推定寿命は、一年から、保存状態が良くてせいぜい三十年といったところだ。

フロッピーはプラスティックの円盤上の磁気変化によってデータを保持している。時間経過と共に、データを表現する磁気変化は、弱くなり、最終的にフロッピードライブが読み込めないレベルにまで低下する。その時点で、ディスクの中身は、実質的に、消失するのだ。

これは、三十年以上前に、パブリッシャーがソフトウェアをフロッピーディスクで出荷していたことを考慮すると、とても困ったことである。ほとんどの当時のディスクは、もはや読めない状態にあり、その上に記録されていたソフトウェアは、修復不可能なほどに損傷してしまっている。もし、読者が今からバックアップを進めようなどと思っているのならば、悪いニュースがある。時すでに遅からん[訳注:リンク先は、Web Archivesの運営者の一人が、どんなフロッピーでも保存するから送ってくれと頼んでいるサイト、しかし、すでに大半のディスクは手遅れな状態にあることを危惧している]

さらに悪いことに、1980年代のソフトウェアパブリッシャーは、数えきれないほどの人月をかけて、コンテンツの保存を妨害するように努めてきたのだ。海賊行為を妨げるため、彼らは様々な手法で、ソフトウェアをひとつの認可されたディスケット上にロックしようと試みた。ある有名なコピープロテクトの手法は、意図的に壊れたデータブロックをディスク上に配置して、コピー時のエラーチェック機能に引っかからせるようにしている。この手法は実によく働いたので、正規ユーザーの正規購入ソフトウェアの正当なバックアップすら妨げてしまった。

これらのコピープロテクトが、その意図通り、ド素人避けであり、著作権法に従うとすると、これらの手法を用いたディスクで出荷されたソフトウェアは、今や永久に失わてしまっていたであろう。多くの時代を主張する文化財が、メディアコントロールという強欲によって消失してしまったのだ。

危機にひんしているのはフロッピーディスクだけではない。ROMカートリッジによって出荷された何千ものゲームや、アーケード基盤は、今や見つけることすら難しい。しかも、これらは永遠の動作寿命を持たない電子機器上でしか動作しないのだ。パブリッシャーは、いくつかの有名なゲームについては、新しいプラットフォーム上でリリースしている。しかし、大多数のレガシーなゲームは、そのような処置を受けてはいない。海賊はこのようなデータをROMチップから解放し、ソフトウェア上のエミュレーションによって、新しいゲーム機やPC上で、プレイできるようにしているのだ。

また、海賊行為によって、歴史家が海外のゲームを研究するのを容易にしている。いくつかのゲームは、日本限定の書き込み可能なディスクにダウンロードする形で頒布されていたのだ。例えば、ニンテンドーパワーのフラッシュカートシステムやBS-Xサテラビューのような仕組みでだ。これらのゲームは、もし過去に違法にバックアップする試みがなされていなければ、西洋の歴史家からは手に入らなかった代物なのだ。

[訳注:Wiiを持っていないので詳しいことはわからないが、商業的に価値のあるほんの一部のゲームは、WiiのVCで提供されているかもしれない。余りはどうしようもない。これらを合法的に手に入れる方法は、現時点では存在しない。とくにBS-Xは、テレビの電波を利用した配信だったので、正規の方法で購入できるカートリッジがないのだ。もし当時、デジタル文化財の保存の重要性に気がついてバックアップしていなかったとしたら、お手上げである。ちなみにこれらのゲームは、1990年代後半に公開されているので、著作権法が今後も変わらないとしたら、ゲームは映画であるからして、今から約60年後の2070年あたりには、著作権が切れる。しかし、この記事でも言っているように、そもそも保存が難しいのだ。]

ソフトウェアの消失の問題の例として、ゲーム業界をみてみよう。Web上の最大のゲームデータベース、MobyGamesは、現在、約6万件のゲーム情報を載せている。約2万3千ほどのタイトルは、フロッピーディスクやカセットテープを記録装置や、配信媒体として使うコンピューター向けに出荷されていた。

2万3千ものゲーム! もし、ゲームパブリッシャーと著作権法が横たわっていれば、このうちほとんどのゲームは、今後10年以内に、記録媒体の劣化によって、地上から一掃されてしまう。すでに、多くが失われている。

近年、コレクターと保存家は、ビンテージマシン(AppleIIとかコモドール64とかのたぐい)上で動く絶版になったソフトウェアを、ファイル共有サービスや、"abandonware"なウェブサイト上で交換している。この過程で、彼らは地下ソフトウェア図書館を作り上げているのだ。これは、新しいとはいえ、古代の失われたデジタル文明の記録を保存する図書館のようなものだ。

Abandonwareについて

abandonwareとは、すでに販売もサポートもされていないソフトウェアを頒布する大義名分である。これらのソフトウェアは、その著作者から「放棄(abandoned)」されたのだ。それにもかかわらず、ソフトウェアに著作権があり、著作者から、ソフトウェアの頒布許諾を得ていなければ、頒布はまだ違法なのである。

ジャーナリストかつ歴史家として、私はこのような海賊ソフトウェアを使って、仕事をしている[訳注:著者のBenj Edwardsは、コンピューター史とゲーム史専門の歴史家を自称している]。私だってこんなことはしたくないのだが、合法的な方法が存在しないのだ(詳しくは後述)。

この未来の歴史家にとって必要な資料である地下図書館による収集は、我々のデジタル遺産を保護するための、人類の反骨精神あふれる勇敢な行動である。この後に述べるように、ソフトウェア史における脅威は、過去にあるのではない。目前にあるのである。

何故ソフトウェアを保護するのか

さらにこの問題に詳しく踏み込む前に、そもそも、何故我々はソフトウェアを保護しなければならないのかという理由について考えよう。ソフトウェアは、そのあまりに短い寿命から、それほど重要視されていない。ソフトウェアとは電子による動的な表現を、コンピュータースクリーン上に投影したものであり、それ自体はさほどの意味をもたない。我々は、物理的な物体に価値を見出すのである。

しかし、ソフトウェアは強力な道具であり、我々の文明にとっても重要な意味を持つ。博物館を眺めると、道具の存在によって、ある社会がどのような状態にあったのかを知ることができる。もし、例えば、ある文明に脱穀機があったならば、我々はその文明が、100年前に比べて、麦の収穫をより速く行えたと知ることができる。これは、転じて、人口の爆発的増加を説明できるだろう。

同様にして、我々は人類の状態を、ソフトウェアツールを調べることで推定できるのだ。未来の歴史家は、今日の我々はいかにして音楽における音程調整を実現していたかとか、いかにしてCGIアニメーション映画を制作していたのであろうか、などという疑問を持つかもしれない。知識と、様々なバージョンのAuto-TuneやPixar RenderManやAdobe Photoshopの体験なくしては、彼ら歴史家が、そのような疑問を解き明かすことは難しいであろう。

ソフトウェアは娯楽でもある。文化である。本や、音楽や、映画と同じく、芸術がソフトウェアによって表現されている。多くはゲームだ。これらは各世代の文化を反映している。

マリオが誰であるかを知らない15-35才のアメリカ人がいるであろうか?(もしそんな奴を見つけ出してきたとしたら、そいつは1980年から1999年にかけて、地下室に監禁されていたに違いない)

法律に抵抗する保存家達の活動に感謝するべきである。これによって未来の歴史家はマリオが文化に与えた影響をより深く考察することができる。「なぜ古代人はみな、ドット絵のキノコ人間がプリントされたTシャツを着用していたのであろうか」とか、「どのゲームにマリオが登場したのか、それはなぜか」などという疑問も、明らかにすることができるであろう。

任天堂がこの先200年生き延びることは、可能である。しかし、彼らはこのような疑問に全て正しく答えることはできないであろう。企業は顧客に見せられる商業的価値のあるものしか残さないものだ(例えば、スーパーマリオブラザーズ3を繰り返しみせる)。歴史家は、すべてを見せる。ホテルマリオ[訳注:CD-iで公式な許諾を得て発売されたお世辞にも出来がいいとは言えないマリオのゲーム、アメリカ限定]、マリオルーレット[訳注:コナミから発売されたアーケードゲーム、いわゆるメダルゲー、日本限定]、アイアムアティーチャー スーパーマリオのセーター[訳注:ディスクシステムにてこのタイトルで発売されたマリオをつかった編み物の教育ソフト、日本限定]。これらのゲームは、海賊によらなければ、200年を生き延びることはできない。なぜならば、任天堂はこのような低品質のゲームを、やや恥じており、著作権法で封印して、朽ちるに任せているからだ。

我々には失うものが多すぎる

ソフトウェアの消失が過去の話であってくれればいいのだが、現代のソフトウェア市場においても、まだこの問題は存在する。App Storeやその他のデジタル配信システムは、よくヘンテコで制限されたライセンス契約をさせたがる。時には、デバイスすら制限することもある。我々がソフトウエアを所有することすら認めていないのだ。

横暴なDRMと統一された配信方法のおかげで、ほとんどのデジタル配信されているソフトウェアは、これらの配信ストアが廃止された場合、歴史的資料から消失する。これは事実である。彼らはいずれの日か、サービスを廃止する。もしこの事実に恐怖を覚えないとしたならば、歴史の授業が必要だ。

50万種類もの本が、急にその機能を終え、魔法のように世界中のすべての複製物が機能しなくなったとしたらどうであろうか。ポン。その中にあった情報は、消えてしまうのだ。紀元前48年のアレクサンドリア大図書館の焼亡に匹敵する文化的ダメージである。あの炎によって、それまでの西洋文化の歴史は、灰燼に帰したのだ。

さて、iTunes App Storeをみてみよう。デジタル文化の象徴である50万ものアプリを保持している。これは、たったひとつの企業によって支配されている。そして、将来廃止されるときには(もしくは、古いアプリをサポートしなくなった時には、Appleはすでに昔のiPodでやらかしている)、これらのアプリに対する合法的なアクセス方法も消え去るのだ。iDeviceに縛られた、購入したアプリは、このシステムが機能をやめた時、寿命を迎える。すでに、古いアプリは消え去っているのだ。なぜならば、開発者がアプリをストアに保持しておくための年会費100ドルを払わないがために。

歴史的にみれば、我々はハッカーと海賊たちが、iTunes App StoreやPlayStation StoreやWii Shop ChannelやXBox Live Arcadeやその他のオンラインのダウンロードサービスから入手できるあらゆるアプリを、秘密裏に保存してくれていることを願うしかないのだ。

クラウドソフトウェアはどうだ? もし、我々のソフトウェアツールが中央管理され、インターネットを介して実行されるようになれば、海賊行為は困難になる。これは、保存されないということを意味する。歴史にとって、最悪である。

もし、古人類学者が、1万3千年前のやじりでバイソンを仕留めることができるかどうか疑問に思ったならば、単に槍の先にくくりつけて投げてみればよい。もし、やじりがその開発期間中、クラウドによって自動的にアップデートされていたならば、我々は最新設計のものしか知りえないことになる。やじりは現存していないであろう。我々は、古代のアメリカ原住民が、どうやって劣化ウラン弾でゲームをプレイしていたのかなどと疑問に思うことであろう。

考えてみたまえ。一年前のGmailのインターフェースってどんなだった?ストリートビューが搭載される前のGoogle Mapってどんなだった? クラウドベースのソフトウェアツールの昔のバージョンにアクセスできない未来の歴史家は、スクリーンショットや個人の証言記録により、昔のツールがどのくらいの性能を持っていたのかを推し量るしかないであろう。もし、まだ存在していればの話だが。

クラウドではないソフトウェアならば、未来の歴史家は古いバージョンを試すことも可能だ。歴史家はやじりと同じようにツールを使い、当時の人間と同じ活動を再現できるのだ。たとえば、歴史家はAtari 800エミュレーター上でAtariWriter を実行して、1980年代のドキュメント作成を再現でき、これによって当時のフォーマットの必然性を実感できるであろう。

完全なるクラウド依存のゲーム(たとえばOnLive)は、脅威である。OnLiveにゲームソフトフェアの保存を期待するなどというのは、近所の映画館が、フィルムの歴史を保存していてくれるだろうを期待するようなものである。彼らは単に、その時点で商業的に価値のあるものしか上演しない。残りは破棄してしまうのだ。クラウドゲームも同じである。

新たな大図書館は、すでに焚書され始めている。我々はすでに、その煙を嗅いでいるのだ。

企業が歴史を支配すると、改変する

今日のデジタルApp Storeで使われているDRMは、将来の正しい歴史認識に対する重大な脅威である。そりゃ、ソフトウェアを作った企業は、製品に対する権利を、今は持っている。しかし、ひとたびコンテンツが消費され、大衆文化に取り入れられたならば、それは世代のものである。それは単なる商業製品以上の役割をはたすのだ。そして、コンテンツは文化財として、保護、保存されるべきである。

いつ変更され、消え去るとも分からないものを保護、保存するのは難しい。もし、VHSテープがApp Storeのように機能していたのならば、ジョージ・ルーカスは我々が購入したスター・ウォーズ映画を強制的に特別版にアップデートできるのだ(もちろん、ルーカスOSとの互換性を保つためである)。その過程で、昔のバージョンは上書きされてしまう。誰か知らん、将来、ルーカスは自分の映画が気に食わなくなり、Willowに書き換えてしまうかもしれない。法的な権利が彼にあったとしても、文化に対する窃盗である。

[訳注:日本において、Steamではすでに似たようなことが起きている。何故か正規購入したはずの日本語版が、後で英語版に差し替えられることがままある。そして、日本語版は購入不可能になる。]

iOSのアップデートの頻度に筆者は参っている。アップデートに伴い、過去のバージョンを消してしまうのだ。保存作業も面倒だ。確かに便利で強力な機能には違いないのだけれど、ダウンロードするたびに、歴史が書き換えられてしまうのだ。もし、1990年代からPhotoshopがこのようにアップデートされていたならばどうなっただろうか。レイヤーをサポートした最初のバージョンを持っている人はいるだろうか。そのような歴史的に重要なソフトウェアが消失してしまうのだ。同様に、もし我々が、すべてのPCアプリケーションに対し、完全にコントロールされた唯一の供給方式による自動アップデートを受け入れたならば―もうすぐそこに控えているよ、Windows 8のことさ―我々は、将来のデジタル遺産を破壊してしまうのだ。

制限的なDRMを受け入れた時、我々はソフトウェアとメディアのパブリッシャーに、デジタル文化の歴史を、意のままに削除、コントロール、捏造する力を与えているのだ。だからこそ、DRMは人類にとって根本的に悪であると感じるのだ。DRMは人類の正当たる文化遺産を破壊してしまうのだ。

もちろん、ソフトウェア作者は、今行われているように、ある一定の期間において、独占的な権利を与えられ、それによって対価を得るべきである。しかし、だからといって、歴史的な保存に対する妨害を許してはいけない。

アレキサンドリアで二千年前に起こった出来事を繰り返してはならない。大図書館の焚書を生き延びた巻物は、著作者の許諾なしに、複製され頒布されたものだけなのだ。残念なことに、当時の図書館職員は複製を防ぐために入館を厳しく制限していたので、焚書を生き延びた書物は非常に少ない。もし、我々がソフトウェアの保存に対する法的根拠を作らなければ、今から数千年先の文明には、海賊によって違法に複製されて頒布されたコピー品しか残らないであろう。

ソフトウェアの文化に与えた影響は、他の著作物に匹敵する。今こそ、書籍や映画と同等に、図書館で電磁的芸術品を合法的に保存するべきなのだ。そのような図書館を設置するのは、しかし、非常に難しいのだ。

デジタル図書館の困難性

もし、我々の文化の歴史を今日までたどって検証したければ、図書館に行くであろう。図書館には、無料で利用できる広範なアナログデータが収集されている。ソフトウェアを同じ方法で検証しようとしても、不可能だ。実用的で広範なソフトウェア図書館というものは、現在、合衆国では違法だからだ。

誤解しないで欲しい。ソフトウェア図書館を作るのは可能である。しかし、その実装は、現実的に役立たずなのだ。法律の範囲内で、実現可能な図書館というのは、公式に複製された物理的なソフトウェアの記録媒体を、物理的な書架に格納することである。つまり、記録媒体の劣化と時代遅れの問題がついてまわる。書架に陳列されているものが動く保証なんてどこにもない。

ソフトウェア図書館のより現実的な方法は、固定された記録媒体からデータを解放し、冗長化されたハードディスク群に収めることである。司書はハードディスクをアップグレードすることによって、劣化による消失を防ぐことができる。ソフトウェアは、ネットワーク間で自由に転送でき、エミュレーター(ソフトウェアのオリジナルなプラットフォームをシミュレートしている)上で実行されることにより、歴史的な検証に利用できる。

残念ながら、この実用的な方法は使えない。何故ならば、現在のところ、合衆国アメリカの著作権法においては、著作者の許諾を得ずして、ソフトウェアをコピー―オリジナルの記録媒体からの解放のために必要な作業―して、公衆で共有するのが、違法だからだ。(法律は合法的なバックアップを認めているが、他人と共有することはできない)。さらに、デジタルミレニアム著作権法においては、コピープロテクション技術を迂回して、そのような複製を作成することすら違法なのだ。

現在、フロッピーディスクを、まるで書籍と同じように、書架に収めている図書館が存在する。これらの団体は、本と同じように、十分に注意を払って保護すれば、コンピューターディスク上のデータは永久に保持されるなどという間違った思い込みをしているのだ。しかし、彼らにデータの消失を防ぐ方法は何もない。データは新しい記録媒体に複製されねばならないのだ。将来いずれ、法律が無視されるか―あるいは改正されるだろう。

著作権の時代遅れの前提条件

現在の合衆国アメリカの著作権法は、良い意図を持っているものの、デジタル財産の保存に対する大いなる脅威がある。なぜならば、電子的記録媒体の劣化速度と、フォーマットが時代遅れになる速さを考慮に入れていないからだ。

著作権法を制定した政治家は、19世紀風の法的な前提条件をもとにしている。著作物は、パブリックドメインになって自由に複製できるようになるまでまで、記録媒体に安全に固定されるという思い込みだ。例えば、紙の本だ。紙の本は保存条件次第で、数千年もの間、データを保存できる。

デジタルデータの場合、多くのプログラムは保護期間終了(合衆国アメリカでは著作者の死後70年)の数十年も前に、地上から消え去ってしまう。記録媒体の劣化と、フォーマットが時代遅れになることにより、どの図書館が合法的にバックアップするよりも速く、消え去ってしまう。

解決法のひとつとしては、ソフトウェアの著作権の保護期間を、妥当な期間に制限することだ。たとえば、最大で20年とか。そうすれば、保存家は、古いソフトウェアが忘却の異次元に消え去ってしまう前に保存できる確率が飛躍的に上昇する。

また、司書がソフトウェアを保存する目的でコピープロテクトを解除するのを完全に合法にする必要がある。現在のDMCAにおける一時的なDRM解除を可能にする条件は、あまりにも厳しすぎて、十分ではない。

別の解決法としては、新たな法を制定して、著作権保護を受けたいパブリッシャーは、DRMフリーなバージョンのソフトウェアを、合衆国アメリカの国立図書館の記録媒体に依存しないアーカイブに納めなければならないとする。ソフトウェアは後に、研究者のために提供される。必要であれば、このようなデジタル図書館のコンテンツは、商業的活動を保護するために、一定の猶予期間をおいた後に公開される。たとえば、5年とか。

ソフトウェアの消失を看過してはならない

我々の文明は、商業により支配されており、利益を受けている。そのため、商業に従事するものを保護したいと思う。その中で、とある連中が、目的を達成するため、海賊を厳しい法規制によって撲滅したいと考えている。しかし、海賊とデジタル配布とは切っても切り離せないものであり、自由を放棄しない限り、完全にコントロールすることはできない。そのような法規制は、海賊活動を地下に潜らせるだけで、むしろ海賊にかかわらない、正当な技術の発展を妨げる。その技術こそが、今日のソフトウェアの存在を成立させたというのに。

ソフトウェアの劣化を司る4つの力

ソフトウェアを消失に追いやる主な力が4つある。

力その1:物理的劣化

いかなるデジタル記録媒体も、データを永久に保持できない。すべてのコンピューターのデータの記録媒体は、時間経過に伴い、次第に劣化していく。その過程で、データは失われる。

力その2:記録媒体の時代遅れ

技術が進歩するにつれ、あらゆるストレージのフォーマットは、時代遅れになり、ついに、全く使われなくなる。これにより、将来データを取得するのが困難になる。

力その3:コピー防止

商業的理由により、ソフトウェアパブリッシャーは歴史的に、ユーザーがパブリッシャーの許諾なくソフトウェアを複製できないように細工してきた。このような手法は、ソフトウェアの正当な保存を妨げる。

力その4:商業的価値の消失

すべてのソフトウェアには、ある期間の商業的寿命がある。技術革新の圧倒的な速度によるものだ。これにより、ソフトウェアはある短い期間にしか、商業的に複製、頒布されない。

現在のところ、我々は、十分に頑張れば、いかなる娯楽品、あるいはソフトウェアプログラムであっても、無料で手に入れられる。いまだに何百万人もの人々が正規のソフトウェアや映画や音楽などの複製物を取得するために現金を払っているにもかかわらずだ。これにより、業界は大きく、より高売上になっている。

まだ人々がデジタル媒体を購入するという事実は、海賊というのはそれほど問題ではないということだ。実際、海賊というのは別の問題への解決方法なのだ。過剰に保護された知的財産という問題だ。あの無茶苦茶なDRMを使い、より過剰な反海賊法規制を支援する企業が、歴史的価値を保存するためには、多少の商業的利益の減少も致し方ないという見解をもってくれればいいんだが、それはフリーマケットですら目的ではないのだから、期待はできない。

今、この文化の歴史を保存するのは、この我々の世代にかかっている。我々は著作権法を改正し、海賊行為によらずに、ソフトウェアを歴史的資料として保存できるように働きかけねばならない。

ソフトウェアを愛するのであれば、買って、使って、作者を対価を与えるべきである。私はちゃんとやっている。私は製品によって金銭を得る権利を支持している。しかし、文化的権利の為に立ち上がることを恐れるな。もし無茶なDRMやコピープロテクトが、歴史の保存の脅威であると感じたならば、戦え。コピーしろ。安全な場所で確保しろ。そしていずれ共有して、消失しないようにしろ。

現代では、いくらかの連中から犯罪者だとみなされるかもしれないが、彼らは歴史の悪の方のいる連中だ。今から500年後に、古代のプログラムをロードして実際に検証するときに、当時から生存していてお前を著作権侵害者だなどとそしる者などいやしない。

一年前のGmailのインターフェースを覚えているかというところで、ハッとした。Gmailは毎日使っているのに、実際、覚えていない。もし、電子メールの歴史について書こうとしたならば、Gmailについて述べない訳にはいかない。Gmail以前にもクラウドベース(個人的に、クラウドという言葉はバズワード臭くて好きではないが。)のメールサービスはあった。しかし、Gmailが画期的な容量とインターフェースを提供したからこそ、爆発的に流行ったのだ。

MegaUploadで、まさに焚書がおきようとしている。FBIはキム・ドットコムと他の社員を逮捕し、会社の資産を差し押さえた。まだ裁判は始まってすらいない。キム・ドットコムが実際に犯罪者であるかどうかは、まだ裁かれていない。たとえ違法であったとしても、その利用者は、全員が違法な目的でサービスを使っていたわけではない。なにしろ、オンラインストレージである。しかし、MegaUploadの口座を凍結されているために、MegaUploadはサーバーの維持費が払えず、MegaUploadを合法的に利用していた人達のファイルが、いま消失しようとしている。アレキサンドリア図書館の焼失、秦の始皇帝の焚書坑儒は、いまだに行われているのだ。

もちろん、クラウドにデータを預ける危険性というのは、オンラインストレージやGmailだけではなく、このブログにも言えるわけだが。

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