吉川英治に琵琶法師をやらせると、とても構成力のいい平曲が楽しめる。 まだ、平家物語は全部読み終えていないのだが、少し脱線して、吉川英治の、「新・平家物語」、を少しだけ読んでみる事にした。吉川英治は、時代考証はともかくとして、本当に構成力がある。あらかじめ平家物語を読んでいる身としては、ただ感心するばかりである。
まず冒頭では、忠盛がとても貧乏しており、妻とは、常に夫婦喧嘩に明け暮れていると語られる。しかも、妻が一方的にまくしたてるばかりで、忠盛はあまり言い返さずにしおれていると続く。 理由は語られないが、この設定に無理はない。なぜならば、この妻とは、祇園女御だからだ。女御とは、天皇の後宮、すなわち妾である。実際には、白河天皇の宣旨はなかったので、女御ではないのだが、密かに夜這いに行っていたというのは有名な話である。
知らない人のために解説すると、ある雪の降る闇夜、白河天皇は、忠盛を召して、祇園女御の下に夜這いに行った。ところが、目の前に怪しげな化け物が現れる。白河天皇は、忠盛に退治するように命ずるが、忠盛は、これがもののけの類ではないことを見抜き、刀を抜かずに組み合う。化け物の正体は、単に明かりを持った法師であった。今でこそ笑い話だが、当時は街灯もない。月の明かりがなければ、夜はとても暗かったのだ。このことを、白河天皇が気に入り、祇園女御を忠盛に与えた。そして、その長男である清盛は、実は白河天皇の胤だったという伝説である。真偽は不明。そう、天皇とファックしていた女が、殿上人ですらない忠盛に嫁せられるのだ。しかも宣旨なので、逆らいようがない。離婚もできない。甲斐性なしの忠盛をののしるのも、無理はない話だ。忠盛とても、どうすることもできなかったのだろう。
この辺の事を記した文献があったのかどうかはしらないが、吉川英治の着眼点の鋭さはさすがだ。至極当然に納得できる。
そして、清盛は、盛遠から、祇園女御の話を聞き、自分が天皇の胤であることを知る。ここで盛遠を出すのは、流石だ。ここは盛遠でなければならない。なぜならば、ここで盛遠を出さなければ、次に自然に出す機会があるのは、文覚となって頼朝を説得する場面までお預けになってしまう。主要な人物を、できるだけ早く登場させて、さまざまな形で物語に関わらせる事で、人物が生きてくるのだ。平家物語のような記述方法だと、文覚はいきなり登場して、逸話をいくつか語られた上で、すぐに引っ込んでしまうので、人物として印象に残りにくい。まだ先を読んでいないのだが、ここで盛遠を出したのだから、この先に、袈裟御前を殺めて、渡と共に出家する話なども出てくるし、荒行の類も語られるのだろうということが予想できる。
まだ冒頭しか読んでいないので、実際の筋書きは分からないのだが、吉川英治ならば、きっとやるだろう。
本当に吉川英治は構成力がすばらしい。例えれば、藤子・F・不二雄の漫画だ。ドラえもん然り、キテレツ大百科然り、パーマン、黒べぇ、Q太郎、21エモン等々、すべて構成が同じで、同じような登場人物が出てきて、同じような話が展開される。吉川英治に一時期凝ったことがあるが、本当にドラえもんを読んでいるような感覚だった。どの話もよく似ている。
ところで、ここに書いてあるのは、私の自論なのだけれど、だれか吉川英治をこういう面で研究している人とかいるのかな。
追記: でも、盛遠が、十七、八の清盛に、出生の秘密を教えたというのは、ちょっと無理がある。なぜなら史実では、清盛は、元永元年(1118年)から治承5年(1181年)の間を生きていた人で、盛遠は、保延5年(1139年)から、建仁3年(1203年)までを生きていたのだ。 清盛が十七、八、あるいは二十歳であったとしても、盛遠はまだ生まれてもいないか、乳飲み子である。清盛が赤ん坊と、酒を飲みながら話すのは無理がある。
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