2009-08-12

文字と文化は切り離せないというお話

絵文字が開いてしまった「パンドラの箱」第5回--絵文字と日本マンガの親密な関係:コラム - CNET Japan

まとめ、Google提案に対して、アイルランド・ドイツ勢が、より汎用的な提案をだした。ところが、連中はマンガ文化を無視しているので、意味が変わってしまっている。

文字と文化は切り離せないのだろう。

文字文化と言えば、HTML5でも、未だにガチガチの物理要素であるbとiを残すらしい。廃止するべきである。strongやsmallのようなものは、重要度や注釈を表現する要素として解釈でき、どのように修飾するかは、まだ裁量の余地があるのだけれど、bやiには、余地などない。HTML5ドラフトでは、言い訳がましく、「iは通常とは異なった雰囲気を演出する」であるとか、「bは重要度を特別に変えることなく、その文脈の中で少し異なった意味を持つ」であるとか、規定しているが、無駄な努力である。

たまに、日本語に対してboldやitalic表示を使っているサイトを見かけるが、やめるべきである。漢字がつぶれてしまって読みにくいことこの上ない。

そういえば、小説でも、一時期、フォントフェイスやウェイトを変えるなどという、見ぐるしい修飾の流行った時期があった。世に一流の聞こえある作家達も、こぞってそういう修飾を使っていた。馬鹿げたことである。たったの数十文字しかないラテンアルファベットならともかく、日常的に使うだけで何千文字もある日本語は、そんな修飾を使っても読みにくくなるだけだ。

らばQの内側事情

小さな編集部。3人で運営するらばQのそれぞれの役割と運営術*ホームページを作る人のネタ帳

らばQというブログ形式のサイトがある。私の印象では、現れて、すぐ人気になったサイトだと思う。こういう面白い情報を延々と紹介していくサイトは、ブログが主流になる以前からもあった。そのなごりか、いまだにATOM/RSSも出してないようなニュースサイトが、かなりのPV数を誇っていたりする。

らばQを見た時、これは個人の仕事じゃないと思った。ただ、何人で回しているのかということを考えた時、5人か10人くらいじゃないかと、漠然と考えていた。それが、たったの3人で運営しているらしい。

まあしかし、あまり儲かる仕事ではないだろうな。

日本ではWeird Al Yankovicは生まれない

クリプトンさんがミイラになりつつある件 : ひろゆき@オープンSNS

どうやってクリプトンが権利侵害を申し立てられるんだというお話。

まあ、実際には、初音ミクが牢屋に入っているという所から、クリプトンの「利用規約」とやらに反していると判断したのだろう。ただ、あの利用規約、法的にどうなのかと思うのだが。

替え歌だから著作権を侵害しているという論争が生まれるのは、日本ならではのことか。嗚呼、パロディの権利が認められていない日本では、Weird Al Yankovicのような優れた歌手は生まれない。

まあ、Al Yankovicは、いちいち許可とってるらしいが。

2009-08-11

運動の成果

運動を始めて早四ヶ月、中学生時代の、サッカーをやっていた頃の体力が、少し戻ってきた気がする。体も四ヶ月前に比べて、少し引き締まったような感じがする。

問題は、太ももが太いままということだ。

これは異朝にも例あり。昔者、蜀の劉備、未だ劉表の食客たりし時、厠へ行くとて、宴会の座より起ちて行きたる程に、己の髀肉の肥えたるを見て、落胆したりけるとぞ。

毎日ジョギングしているのだが、どうも太ももの太さは変わらない。そもそも、昔も、あまり細い方ではなかったのだが。

2009-08-10

The importance of punctuations

I had to help my uncle, Jack, off a horse.

I had to help my uncle jack off a horse.

A woman, without her man, is nothing.

A woman: without her, man is nothing.

Stroustrupは詩人過ぎて困る。

Bjarne Stroustrup Expounds on Concepts and the Future of C++

The committee operates according to ISO rules. Those are quite ponderous and biased in favor of not upsetting status quo.

委員会はISOのルールに従って運営されている。堅苦しくて、保守的である。

ハッキリいって禿はラテン語使いすぎ。

ponderousなどというのは、辞書で調べればすぐに意味が分かるのだが、"biased in favor of not upsetting status quo"なんぞは、個々の単語だけではさっぱり意味が取れなかった。そもそも、status quoが辞書的な説明では、いまいち理解できない。結局、ネイティブに意味を聞いた。

一応、気になる人の為に、文面を簡単にすると、"they cover too much detail over everything, and they prefer not to change anything too much." となる。直訳すると、「やたらと細かく規定したがるし、何も変更しないことを好む」というような意味か。

だいたい、status quoだけで意味は足りるのに、わざわざ二重否定するのはどうなんだ。「ずんばあらず」じゃあるまいし。確かに、漢文を読んでいると頻出する表現ではあるが。

2009-08-09

鴨川納涼

常の如く、鴨川沿いをジョギングしていた所、鴨川納涼とかいうのが、今夜開かれるらしい。面白そうなので物見に行こうと思う。

追記:尺八教室なる物があったので、尺八を吹いてきた。しかし、音が出ない。尺八を吹くのは難しい。

2009-08-08

愚管抄

宇治拾遺物語を読み終えたので、愚管抄を読むことにした。

愚管抄の作者である慈円の評価できることは、愚管抄を仮名文字で書いたことだ。そのため、実に分かりやすい。

ただ、世間的には、あまり高い評価を受けていない。歴史的には、当時の朝廷から幕府へと、政権が移っていく激動の世の中のことを書いてあるので、興味深いのだが、文学的には、第一級とは言い難い。平家物語は、ある意味分かりやすい文学である。教訓的には、盛者必衰の理ぐらいしか言っていない。盛者必衰は、現代人でも、共感できる。ところが、愚管抄には、仏教的な道理というものが出てくる。というのも、どうも慈円は物事をすべて道理で考えていたらしく、あらゆる出来事が道理をもって評価されている。現代からしてみれば、あまり共感できる部分はない。これが、平家物語が評価され、愚管抄が評価されなかった理由なのだろう。慈円は平家物語を、事実を伝えていないとけなしているが、愚管抄も、事実はあるにせよ、その評価方法が極端すぎるので、どうも良い物とは言い難い。

陶器まつり

8月7日から10日まで、五条坂で陶器まつりが行われている。これは、名前の通り、陶器の露天が道を連なるものだ。場所は、五条川端通りから東大寺通りまでの間の、いわゆる五条坂だ。

陶器に興味はないが、せっかくなので冷やかしに行ってみた所、なかなか面白かった。

一口に陶器と言っても千差万別で、いかにも上品そうな焼き物もあれば、野性感あふれるゴツゴツとした作りの物もあった。

個人的に気になったのは、箸置きだ。これがなかなか面白く、猫とか犬をかたどったかわいらしい箸置きがたくさんあった。

助六と曾我五郎の人形があり、これも陶器なのかとしげしげと見つめていたら、残念ながら、樹脂製であった。

そのほか、陶器に紛れて、二束三文の怪しげな雑多の物品が売られていり、かき氷やたこ焼き 金魚すくいといった、おなじみのテキ屋もあった。

Google先生の不思議な翻訳

Google Translate: so, please let us know.

Translation Partyで遊んでいたら見つけた。不思議な翻訳だ。

Bjarne Stroustrup、Conceptについて語る

Page 1: Concepts: Disappointment Without Defeat
Page 2: Concept Awareness
Page 3: Do We Still Need Concepts?
Page 4: Commitees and Standardization

あまりに長いので翻訳する気にはならないが、これも全C++プログラマが読むべき。

2009-08-07

C++規格の、freestandingの意味

freestandingという概念は、C++98の頃から存在する。ところが、この概念は、一般のC++プログラマーには、あまりなじみがないと思う。そこで、この意味と意義について解説してみようと思う。

freestandingとは何かということを説明する前に、C++が使われている状況について説明する必要がある。

C++は、非常に広く使われている。OSやドライバといった低級な部分から、エンドユーザーが実際に使うGUIのソフトウェアまで、幅広く使われている。携帯電話などにも、C++は使われている。

携帯電話やリアルタイム性が要求される場面など、リソースが極端に限られている環境では、通常の標準ライブラリが適さない場合も多い。そういう環境では、C++の言語自体は実装していても、ライブラリは、完全に提供していないこともある。そういう場合においても、C++の言語を実装する上で、最低限必要な条件を決めておこうというのが、freestandingの意図だ。

ここでは、freestanding規格のうち、ヘッダーについて更に詳しく説明する。

C/C++というのは、言語とライブラリの間の依存性が、極力少なくなるように考えられている言語である。なぜなら、環境によって標準ライブラリが適さない場合もあるのからだ。この思想があるからこそ、現在、リッチなクライアントアプリケーションから、組み込み系まで、幅広くC++が使われているのである。

ところが、やはり言語としては、ライブラリから完全に独立するということは難しい。

たとえばnewを実装するには、一連のnew 演算子などが必要であるし、例外クラスも必要である。typeidが返すのは、type_infoというクラスだ。

これを考えれば、言語をライブラリから完全に引き離すのは、仮に出来たとしても、面倒な事が多い。しかし、C++は先にも述べたように、言語とライブラリ間の依存性を、極端に気にする思想でもって設計された言語である。そこで、規格にも、最低限の実装にはどんなヘッダーが必要か、具体的に書かれているのである。

なぜこんな事を解説しているかというと、n2932 Fixing freestanding: iteration 2.2をレビューする必要があるからだ。この前提知識があれば、n2932が理解しやすくなると思う。

n2932自体には、プログラマが直接気にしなければならないことは、ほとんど書かれていない。ただ、type_indexを使う際には、<typeindex>ヘッダーをincludeしなければならないという変更がある。これだけは抑えておいた方がいい

Twitter、特許違反として訴えられる

BBC NEWS | Technology | US firm sues Twitter over patents

メリケンの国の特許の仕組みはおかしいんじゃないかと、常に思う。

下駄

以前から、下駄が欲しいと思っていた。しかし、わざわざ買いに行くほどでもなかったので、いつまでたっても下駄を履くことはなかった。

この間、一年ほど履いていた雪駄が壊れたので、雪駄を買うついでに、下駄も買うことにした。寺町に、雪駄と下駄ぐらいしか売っていない店がある。

さて、下駄の値段だが、ピンからキリまでである。もちろん、雪駄だって、牛革使用だとか、手で編み上げているだとか、色々と高い物はある。かかと部分に無意味に金具が付いていて、歩くとチャラチャラ音が鳴るような、粋な雪駄は売っていないにせよ、高い物はある。しかし、下駄は、また違った基準で値段が付けられてる。

まず、下駄の大部分を占める木材の値段がある。そして一番重要なのが、鼻緒だ。鼻緒の良し悪しで下駄の値段が左右されるらしい。

肝心の歩き具合だが、すぐになれた。アスファルトとコンクリートだらけの、現代の日本の地面においては、少々歩きづらいかも知れないが。

Douglas Gregor、フランクフルト会議について語る

What Happened in Frankfurt? « C++Next

これは全C++0xプログラマが読むべきだと思う。悲しい話だ。

フランクフルトで何があったのか?

C++0xの発展に興味のある人は、もうニュースを聞いただろうと思う。ISO C++委員会は、2009年7月のフランクフルト会議で、C++0xのドラフトから、Conceptを外すことを、投票で決めた。Conceptは、C++0xの重要な機能で、その削除は、かなりショックを与えたことだろう。ここでは、私はConceptをC++0xに入れるにあたってなされた努力と、結果的に失敗した理由を、語ろうと思う。

Conceptの歴史

C++プログラマは、常に、もっとマシにtemplateを使いたいと考えていた。契約的(原語:constraints)なC++のtemplateは、少なくとも、Bjarne StroustrupのThe Design and Evolution of C++(15.4を参照のこと)(訳注:邦題、C++の設計と進化)の頃からあった。Jeremy Siek と Andrew Lumsdaine はこの契約的なチェック機構を、conceptへと拡張し、根本的には、templateの定義を型チェックするように振る舞うことを示した。(Siek2000) 2003年、Bjarne StroustrupとGabriel Dos Reisは、一連の提案書を書き(N1510N1522N1536)、C++言語において、conceptがどのように表現できるかということを、考察した。

私自身のconceptへの関わりは、2005年の1月に、Concepts for C++0xを共著したことから始まった。これは、インディアナ提案と呼ばれているものだ。そのすぐ後に、Bjarne Stroustrup と Gabriel Dos Reis は、A Concept Design (Rev. 1)という提案を著わした。これは、テキサス提案と呼ばれることになった。Conceptが始めてC++委員会で議論されたのは、2005年の4月のノルウェイで行われたリレハンメル会議においてだった。インディアナ提案とテキサス提案は、明らかに、設計思想を異にする物であった。もちろん、お互いの主張は色々あったが、最も根本的な違いは、如何にして、conceptにおいて、データとしての型にmatchingさせるかということであった。テキサス提案は、すべてにおいて、暗黙的な(自動的な)matching(例えば、現行規格のauto conceptのようなもの)を好んだ。インディアナ提案は、すべてにおいて、明示的に妥当性を示されており、remapping可能(例えば、現行規格のconcept mapのようなもの)であるものを好んだ。

リレハンメル後、私は六ヶ月かけて、ConceptGCCを実装した。最初にして唯一の、conceptを実装している実験的なコンパイラだ。このコンパイラは実際の実装を提供することを意図していた。(訳注:この一文、原文では、proof-of-conceptとかけているらしい) ConceptGCCでの経験は、インディアナ提案をすばらしいほどに改良できた。私は2005年10月の会議で、ConceptGCCを披露した。委員会の反応は、おおむね良好だった。しかし、一部の委員は、二つの提案が著しくかけ離れていくのを危惧した。(訳注:インディアナ提案とテキサス提案の)著者達は、協力して、統合した提案を書き始めた。我々は多くの会議をして、細部を洗い出し、最終的に、最初の統合された提案を、2006年6月に発表した。同時に、ConceptGCCの標準ライブラリの開発が進められ、我々は、最初の提案書である、標準ライブラリにおけるConcept(N2036-N2041を参照されたし)を書き上げた。

我々は委員会外で何度か会議を行った。会議毎に、さらなる議論と、それに伴う提案書の変更がなされた。最大の変更は、or constraintsの削減scoped concept mapの導入、forwarding functionの省略、だ。またこの時点で、私は最初のドラフトである、conceptの規格書における文面を書き上げた。これは後に、言語とライブラリの両方で、幾多も改訂されていくことになる。

2008年9月のサンフランシスコ会議にて、conceptはついに、ワーキングペーパーに取り込まれ、最初のC++0x candidate draft (CD1)に入った。つまり、C++0xのリリース候補のドラフトに、第14版にして、取り込まれたのだ。これは、コア言語とかなりの分量のC++0x標準ライブラリを占める

フランクフルトまで

サンフランシスコ会議から6,7ヶ月たち、標準規格と標準ライブラリの文面に、様々な改良が加えられていった。フランクフルト会議が近づくにつれて、ある二つの問題が持ち上がった。実装経験に対する憂慮と、統合されたconcept規格に対する思想の相違である。

実装経験への憂慮というのは、ConceptGCCの不完全さである。例えば、コンパイルのパフォーマンスが低いことや、高度な機能に欠けていること(scoped concept map、associated template)だ。委員会の委員達は、conceptベースの標準ライブラリを評価するのに、製品レベルの品質を持つ実装が無いという現状では、言語とライブラリのconcept規格には、未だ多くの欠陥が残っているであろうことを憂慮した。これらの欠陥は、良くて、C++0x規格の発行を更に遅らせるし、最悪の場合、欠陥だらけの規格を世に出してしまうことになる。

同時に、conceptに関する、多数の、白熱した議論が委員会のメーリングリストでなされていた。多くは、現行規格の使いにくさの問題である。例えば、場合によっては、ライブラリのconstrained templateの要求を満たすためだけに、ユーザーは空っぽのconcept mapを書かなければならない。ユーザーはそのようなconcept mapを、文法上のゴミであると看過するだろう。議論はBjarne Stroustrupのペーパー、Simplifying the use of conceptsに集約された。これらの設計に対する不安は、インディアナとテキサスの思想が、今以て、いかに大きな隔たりであったかを物語っている。あげく、Stroustrup博士のペーパーは、所謂、明示的なconceptを削減しようとまで提案していた。これは2005年からの、conceptの根本的な問題であり、そもそもの初めからの問題だったのに。

フランクフルトにての投票

C++委員会は、フランクフルト会議の初めから、およそ半日かけて、conceptの境遇について議論した。Stroustrup博士は、次の三つの選択について、投票をさせた。

  1. C++0xの現行規格のConceptを維持する。
  2. ”Simplifying the use of concepts”の提案を受け入れて、C++0xにconceptを存続させる。
  3. C++0xからconceptを削除する。

疲れ切った委員会の委員達と共に、私は、concept削除に投票した。何故ならば、言語の未来を考えた時、C++0xとconceptにとって最良の選択は、削除することであろうと思ったからだ。

個人的には、現行規格を通すべきだと思っている。これこそが根本的に正しい設計だと信じている。しかしながら、現時点においては、合意が得られていないことは明らかである。広くC++業界に受け入れられる以前に、我々の中でも合意に達しなければならない。就中、実装経験に関する憂慮は、当然のことである。それだけの故を以て、C++0xからconceptを削除するに足る。

第二の選択である、設計に大幅な変更を加えて、C++0xをconceptと共に発行することは、到底支持できない。開発の、この期に及んで、かかる大きな変更をするのは、極めて危険である。この場合、実装経験がないこと、使用経験がないこと、新設計が動くかどうかを検証する為の技術力が足りない。ConceptGCCですら、十分な実装経験ではないと考える人がいるのだ。変更した設計のまともな実装など、まず出ることはない。そもそも、この問題に関する思想の相違の経緯を考えれば、我々が提案された変更に合意できるわけがない。

他の選択肢もあった。例えば、C++0xを、さらに数年遅らせて、合意を得るだとかだ。しかし、そんな延期は、受け入れられるわけがない。conceptをC++0xから削除するのが、もっともマシな選択肢だったのだ。一方、委員会はconceptに賛成であり、将来、まともな提案をひっさげて、また議論することだろう。次の記事では、この失敗から学んだ事と、将来の方法について語ろうと思う。

C++0xのすんばらしいSFINAE

 template<typename C> auto begin(C& c) -> decltype(c.begin());
template<typename C> auto begin(const C& c) -> decltype(c.begin());

上記の関数は、cがbegin()メンバ関数を持っているか、const修飾されたbegin()メンバ関数を持っているかどうかで、SFINAEによって適切なOverload Resolutionがなされるらしい。知らなかった。

ということはだ。この新しい関数宣言とdecltypeのテクニックを使えば、型がある名前のメンバ変数やメンバ関数を持っているかどうかを調べるメタ関数が、簡単にかけることになる。

#include <type_traits>

// T型がhogeというメンバ変数を持っているかどうかを判別するメタ関数
template < typename T >
struct has_mem_hoge
{
private :

    template < typename U >
    [] check() -> decltype(reinterpret_cast<U *>(nullptr)->hoge, std::true_type) ;
    template < typename U >
    std::false_type check() ;

public :
    static const bool value = std::is_same< check<T>(), std::true_type >::value ;
} ;

// T型がhoge()というメンバ変数を持っているかどうか判別するメタ関数
template < typename T >
struct has_memfun_hoge
{
private :

    template < typename U >
    [] check() -> decltype(reinterpret_cast<U *>(nullptr)->hoge(), std::true_type) ;
    template < typename U >
    std::false_type check() ;

public :
    static const bool value = std::is_same< check<T>(), std::true_type >::value ;
} ;

ところで、Variadic Templateは、いまいち分かっていないのだが、もし上記のhas_memfun_hogeを、任意の数の引数をもつメンバ関数hoge()に対応させるには、こんな風に書けばいいのだろうか。

template < typename T >
struct has_memfun_hoge
{
private :

    template < typename U, typename ... Types>
    [] check() -> decltype(reinterpret_cast<U *>(nullptr)->hoge(Types ... args), std::true_type) ;
    template < typename U >
    std::false_type check() ;

public :
    static const bool value = std::is_same< check<T>(), std::true_type >::value ;
} ;

あと、良く考えたら、これでもいいよね。

//面倒
std::is_same< check<T>(), std::true_type >::value ;
//簡単
decltype( check<T>() )::value

2009-08-06

またXSS脆弱性か!

Googleに超べんりな隠しページが - ぼくはまちちゃん!(Hatena)

リンク先の先、注意。どうやらGoogleの求人ページにXSSに対する脆弱性があったもよう。googleのドメインの中で、こんなスクリプトが実行されてしまう。

Googleの馬鹿げた買い物

GoogleがOn2 Technologyを買収したそうだが、無駄な買い物だといわざるを得ない。VP6、VP7、VP8の画質は、H.264に比べて、明らかに劣っている。しかも、H.264には様々なエンコーダー、デコーダーがある中で、VPに関しては、On2公式のみ。しかもエンコーダーは堪えられないほど遅いと来ている。

On2が所有する動画関係の特許が欲しいならともかく、VP8の為に買収するのは、カネの浪費としか思えない。

2009-08-05

IE6 no moreなる動きがあるらしい

IE6 No More - Home

このブログでもすでに似たようなことをしているが(そもそも、私の基準ではIE8もあまりよろしくないが)、そろそろこういう直接的な働きかけが必要だ。現状を変えるには、ほぼすべてのユーザーというのは、ソフトウェアの定期的なアップデートやセキュリティパッチを当てないという、救いようのない人間であると認識することがまず第一である。

この発想力はどこから来るんだろう

はてなスターをもらう簡単な方法 - ぼくはまちちゃん!(Hatena)

1. 巨大な透過gif画像を用意

そんな手があったか。この発想はどこから来るのか分からない。そしてリンク先の記事のはてなスターがリロードするたびに増えているという自己言及的なおもしろさ。

operaがZii EGGで使われる事に関するプレスリリース

Opera inside Zii EGG: Opera Devices Selected by ZiiLABS to power it's latest platform

Opera側から、プレスリリースがでてる。

それにしても気になるな。Zii EGG。本当に1080pのH.264動画を再生できるんだろうか。

Flash Lite置き換えとな

「HTML 5にはまだ多くの課題がある」――Adobe社エバンジェリストが優位性を強調 - 家電・PC - Tech-On!

Adobe社は組織を改編し,組み込み向けFlashである「Flash Lite」を原則として置き換え,組み込み向けも次のメジャー版から「Flash Player 10」に統一しようとしている

なぬ。本物のFlashが来るとな。しかし、携帯で専用ハードなしにH.264のデコードは難しいんじゃないかなぁ。それに、時代はやはりHTML5だよね。

2009-08-04

最高に次世代で革命的で最先端な受賞作としての宣伝文句(当社比)

10 Words I Would Love To See Banned From Press Releases

まあ、誰もが思っていることだが、英文が結構面白かったので紹介する次第。訳しても面白い感じがでないので、訳さないが、つかみだけ。

LEADING / LEADER(先進的)

みんな先進的なら、それは誰も先進的じゃないって事だろ。PRの連中よ。こんな言葉つかうのはやめとけ。

BEST / MOST / FASTEST / LARGEST / BIGGEST / etc.(最高、最大、最速、最強、等等)

INNOVATIVE / INNOVATION(革新的)

実に無意味な言葉だ。だいたい、年にいくつ、真に革新的だと言える製品が出てるよ。革新的って謳っておきながら、実際なんか違いはあったか。まあ、お前さんが、あらゆるガンの治療方法を確立するまでは、今後一切、この言葉を使うのはやめておけ。それこそ革新的って奴だな。

REVOLUTIONARY(革命的)

プレスリリースで使うにゃ最悪の言葉だな。一体どうやったらお前んとこの製品が、人民をして、家を飛び出してデモに向かわせ、反政府活動をさせ、暴徒と化せしめ…… おっとすまんすまん。世界を変えるって意味じゃなくて、お前んとこの会社が、業界を変えるって意味だっけ。まあ、無理な話だ。

AWARD-WINNING(受賞作)

なあ、受賞にゃ何の意味も無いんだぜ。ノーベル賞とかピューリッツァー賞とかは、また別だがな。パーティでみんなに、俺は先週、ホモ・サピエンス・サピエンスと寝たなんて言いふらしてるのと何ら変わりゃしねぇ。だいたい、お前さんとこの製品を評価してくれる人を探してるなんて、悲しいことじゃないかね。

DISRUPTIVE / DISRUPTION(型破り、掟破り)

型破りの製品なんてホントにホントにホントに少ないぜ。本当にそれが型破りだったとしてもだ。業界全体を変えるには何年もかかるぜ。一夜にして変わるなんてこたぁない。だいたい、本当に型破りの製品だったとしたら、わざわざ宣伝するまでもないだろ。

CUTTING / BLEEDING EDGE(最先端)

NEXT-GENERATION(次世代)

ハッキリ言って使いすぎだ。製品の改良版なら、そうと言やぁいいじゃねーか。一体、新製品を次世代と呼ぶことで、俺に何を伝えたいのか、さっぱり分からん。あまりに最新複雑すぎて、俺みたいなオールドタイプにゃ使いこなせないシロモノなのか。お前の前の製品があまりにクソすぎて、世代をひとつすっ飛ばさにゃまともにならんほどだったのか。

携帯

いい加減にまともなブラウザを積んだ携帯を買おうかとおもって、色々調べてみた。

実際に現物を見なければ分からないとも思い、店頭にも行ってみた。

結論としては、QWERTY配列のキーボートを積んだ携帯は、実際には、あまり魅力的ではないと言うことだった。各ベンダーの努力は認めるが、やはりあの大きさでは、二本の親指で押すしかないし、押し加減も硬すぎるし、確かに押せたかどうかも、分かりづらい。あれなら、iPhoneのような全面タッチパネルの携帯の方がまだマシだ。

はこすべからず

大昔の話である。その頃は、不吉な方角であるとか、不吉な日時であるとかいった馬鹿げた迷信が、広く信じられておった。例えば、方違へといって、ある人のがり行くとて、方角が不吉なれば、まず逆方向へ行き、偶々その方角にある、よその家に泊まるという、不思議な習慣があった。あるいは、物忌みといって、今日は不吉だから、家に閉じこもって人と会わぬ、などという日もあった。およそこのような幼稚な迷信が、守るべき作法として信じられていた時代の話である。

さる屋敷に、嫁いできたばかりの生女房がいた。まだ若く、作法をよく知らなかった。そこでこの生女房は、紙を求めて、ある若い僧に、数々の作法、すなわち吉凶を書き記した、仮名暦を頼んだ。仮名暦とは、仮名文字で書かれた暦のことである。普通、暦をはじめ、この頃の文章というのは漢文で書かれるものであった。仮名は、ある有名なオカマ一人を除いて、基本的に女が使う物であった。

若い僧は、「やすき事」とて、二つ返事で請けおうた。この生女房の第一の失敗は、若い僧に頼んだことである。若いというのはすばらしいことであるが、得てして不真面目に走りやすいものである。この僧も、御多分に洩れず、そういう種類の若さを備えた青年であった。

さて、できあがった暦をつらつら見るに、初めは、真面目な暦であった。無論、現代に生きる読者諸君にとっては、迷信にまみれた馬鹿げた暦であると看過するであろうことは間違いない。神ほとけに祈る日、不吉なので家に閉じこもる日、等等。これを今日の価値観を持って見るにはあたらない。何しろこれは、大昔の話だからだ。

ところが、終わりの方になると、坊主も茶目っ気をだしたか、筆の運びが、やや怪しくなってきた。物くはぬ日、逆に、よく食ふ日などが記されていた。女房も不思議には思ったが、所詮、こういうものは形から入らねばならぬので、こういうものであろうと一人納得していた。

ところで、その茶目っ気の一つに、はこすべからずなんどと書かれた日があった。はことは何か。これは便器のことである。当時、身分ある女性は、用を足すのに箱を用いた。催した際には、この箱の中に用を足し、しかる後に、賤の女の童にでも命じて、捨てさせに行くのである。中には、この箱の中にまで気を使って、香木を入れていた自意識過剰な女もいるそうだが、それはまた別の話である。ともかく、はこすべからずとは、用を足すべからずという意味であった。

さて、この女房が、暦通りに作法を務めているうちに、とうとう、はこすべからざるの日がやってきた。その日は行いすましていたけれども、所詮は人間である。用を足さずにおれるわけがない。二日、三日とたつうちに、とうとう堪えきれず、左右の手で尻をかかえて、「いかにせん、いかにせん」とよぢりすぢりする程に……

その後の具体的な話は、遺憾ながら曖昧である。あるは、我慢はできたものの、発狂したと主張し、あるは、結局漏らしたとも主張している。しかし、これらの違いは、当の悲惨な女房からしてみれば、些細なことである。

この物語を笑う者に語を寄す。この仮名暦は、現代にも、なお多く存するのである。

2009-08-03

予備自補:食事について

食事は、時間が決まっていて、その時間内に食堂に行って、食べなければならない。

食を論ずるにあたって、まず問題にされるのが、味だ。といっても、私は美食家ではないので、味の良し悪しは、よく分からない。味については、別に悪くはないと思う。少なくとも、毎日違う物がでるので、飽きるということもないだろう。ただ、かなりいろんなものがでるので、好き嫌いがあるような人や、アレルギーのある人には、向かないだろうと思う。

私が特に気に入ったのは、昼夕は、必ず麦飯がでることだ。もちろん、白米のみもあって、選ぶことができるが、私は常に麦飯を盛りつけた。麦飯はうまい。森林太郎の亡霊はお呼びではない。

土日は、朝食がパンや弁当になったりする。また、調理場の点検などで、弁当になることもある。

次に重要なのは量だ。これに関しては、申し分ないと言っていいだろう。むしろ、常人には多すぎる。一食千キロカロリー超えはざらである。相当な運動をしていないと、太ってしまうだろう。予備自補のAB課程では、それほど激しい運動はしなかった。しかし、炎天下のなかの基本教練は、なかなかに腹の減る訓練であったので、私は残さずに平らげた。体格にもよるが、一般に言って、女性には、やや多すぎるかもしれないとも思った。

実は、本当の問題は、味や量ではない。時間だ。食べる時間は、15分もあればいい方である。これが一番の不満となるだろう。

一つ分からないことがある。それは、「喫食きっしょく」という自衛隊用語である。喫という字は、もちろん動詞として、ものを食べる、飲むという意味につかうことができるのだが、手持ちの辞書では、口語によく用いられるとある。食という字は、こういう風に使えるのだろうか。「君子無終食之間違仁」などという例もあるので、まあ、できるのかも知れない。それにしても、自衛隊以外で耳にしない言葉だ。書見という言葉を、漢語ではないと一笑した森林太郎は、一体何を思うのだろうか。

最高に疲れた失態

GMailのパスワードを忘れかけていた。

そういえば、少し前に、より長い物に変更したのだった。なんとか思い出すことができたが、精神的に激しく疲れた。

それにしても、危ない所だった。もし、今使っているgoogleのアカウントが使えなくなったら、被害は単にメールに留まらない。このブログも更新できなくなるし、200を越えるsubscriptionを登録しているGoogle Readerも使えなくなる。そのほか、GMailで登録している他のWebサービスも、軒並み危なくなる。本当に危ない所だった。

2009-08-02

予備自補:頭髪について

坊主頭の人は、注意を要する。

私は、自衛隊の新隊員といえば、全員、強制的に頭を丸刈りにするだろうと思っていた。予備自補はともかく、少なくとも常備はそうだろうと思っていた。これは、数十年前は事実だったそうだが、今は違うらしい。むしろ、丸刈りはあまり好ましくないとまでされている。自衛隊員が訓練中に怪我をすると、色々と面倒で費用もかかる。現在では、怪我防止のため、あるいは怪我の程度を抑えるため、多少の頭髪のあることが望ましいとされている。海自となるともっと極端で、丸刈りは禁止されているらしい。思うに、船というのは狭いし出っ張っている部分も多く、頭をぶつけやすいのも、関係しているのだろう。

実際、基幹隊員の中にも、坊主頭にしているものは、極めて少ない。側頭部をそっていても、頭頂部には髪を残している。丸刈りにしている人も、半分ぐらいは、すでに頭頂部が禿げ上がっているので、ついでに側頭部も剃っているといった具合だ。

というわけで、あまりに長い髪は好ましくないが、坊主頭も、好ましくはないのだ。

とはいえ、世の中には、常に坊主頭でないと落ち着かない人種も存在する。同類として、その気持ちはよく分かる。しかし、不都合がある。もし坊主頭で訓練に参加したいと思うならば、この不都合を受け入れなければならない。

中帽と呼ばれるヘルメットがある。これは通気穴が存在しないヘルメットである。執銃時の基本教練では、必ずこの中帽を被らなければならない。頭髪のある者は、暑苦しい程度で済むのだが、丸刈りにしている者にとっては、中帽は危険である。革ひもが当たって痛いこと、身をかがめただけで簡単にずれてしまうことなどの不都合もあるが、最大の不都合は、熱中症である。丸刈りにしている者は、中帽を被ると、熱中症にやられる。おそらくは、髪がないことにより、汗が流れ落ちて、その場に留まらないからだろう。

熱中症の兆候としては、非常に眠たくなることだ。私の場合、訓練を開始して30分足らずで、立っているのもつらいほど眠たくなった。あまりにひどかったので休憩を与えられたほどだ。最初、これが理解できなかった。予備自補は、訓練として8時間の睡眠を義務づけられている。2200から0600までの間は、トイレの外は、ベッドの中に入っていなければならない。睡眠は十分にとっているはずだ。それが、たった30分、それも、小銃を持ち上げたり置いたりする程度の運動で、ここまで眠くなるはずがない。頭髪を有する者に訊ねても、「確かに暑いがそこまでのことはないだろう」という。しかも、私の頭を指さして、「その坊主頭なら俺より楽だろう」というではないか。果たして私はそこまで貧弱なのだろうか。

否、私のように丸刈りにしている者は、皆同様の症状を訴えるのだ。これは髪がない為である。我々は売店へ走り、争いてヘルメット用のキャップを買った。速乾性が謳われているキャップだ。800円した。このキャップをあらかじめ水で濡らしておいて被り、その上から中帽を被る。革ひもが頭に当たって痛くなることもなく、中帽がずれることもなく、しかも嘘のように熱中症にかからなくなった。

売店で800円もするキャップを買ったのは、髪が極端に短い者だけだった。このことからも、髪の長い者にとっては、わざわざキャップを買うほど切実な問題ではなかったのだと言うことが伺える。

坊主頭に固執する人間は、かならず速乾性に優れたヘルメット用のキャップを買うべきである。

2009-08-01

予備自衛官補:売店について

はじめに

予備自衛官補の訓練内容を、どこまで公開していいのか、地本の人と話し合ってきた。基本的には、大抵のことは公開してもいいらしい。例えば、営内の売店では何を売っているかとか、何時に起きて何時に飯を食べて何時に消灯してなどの類は、問題がないそうだ。また、パンフレットに書いてあるような内容は、まったく問題ないとのことだった。ただしやはり、銃に関しては、やめた方がよいと言われた。実際、ググってみても、小銃の分解結合の詳しい手順などの情報は、まったくヒットしない。無論、そんな情報を書くつもりはないが、次の訓練までの一ヶ月間、イメージトレーニングとメモだけで分解結合の手順を忘れないようにしなければならないのは、なかなか大変だ。教本の写真を撮るのは禁止だが、メモを取るのは良いという、なんだかよく分からない決まりがある。

やはり、百聞は一見に如かずというので、銃について知りたい場合は、実際に自分で予備自衛官補になって確かめるのが、一番だと思う。人に語ることはできないのだが。

ともかく結論としては、予備自補の訓練はためになる。是非とも参加してみるべきだと思う。私自身も、訓練が始まる前に、情報を収集しようとしたが、かなり断片的な情報しか得られなかった。ここでは、差し障りのない程度で、私が事前に知りたいと思っていた情報を書いてみようと思う。駐屯地ごと、区隊ごとにだいぶ違うと思われるが、基本は同じだ。

ここでは、営内の売店や、必要な持ち物について語ろうと思う。

何を持って行くべきか。これは、A課程初日では、誰もが失敗すると思う。用意すべきものとしてあらかじめ渡されるプリントの記述は、実に不親切だからだ。ここでは、私が必要だと感じた物品を挙げる。

現金

数万ぐらいあれば十分足りるだろう。文無しで行くのは無謀である。多少の現金は必要だ。理由は、必要不可欠ではないが、あれば嬉しい物品を営内の売店で買うのと、訓練でかなり汗をかくので、スポーツドリンクが欠かせないためだ。

ジャージ

長袖長ズボンのジャージが必要である。

Tシャツ

白色無地かOD色(Olive Drabの略、こういう色である。深緑とでもいうのだろうか)の無地のシャツであれば、まず問題はない。枚数は、何枚持っていっても無駄にはならない。日中に汗をかいて着替えたい時もあるので、多めに持っていくといいだろう。ただし、速乾性に優れたシャツを買うべきだ。もし何をかっていいか分からなければ、とりあえず安物を何枚か買って、残りは営内の売店で買うという手もある。速乾性に優れたシャツが、一枚800円程度で売っている。

靴下

分厚い靴下を持って行くべきである。というより、薄い普通の靴下を持って行く必要はない。スポーツ用と謳っている靴下は、大抵厚手になっているので、そういうものを買うといいだろう。これも、営内の売店で悪くない厚手の靴下が売っている。値段は、一足当たり300円程度だ。なぜ分厚い靴下が必要かというと、半長靴を履くためだ。半長靴というと聞き慣れない人もいるだろうが、これは別に自衛隊用語というわけでもない。読んで字の如く、「半ば長い靴」である。すねの半分ぐらいを覆うブーツとでもいえば分かりやすいだろうか。もちろん、革靴であり、かなり硬い。

タオル

所謂バスタオルを持って行く必要はない。巨大なバスタオルを持って行くぐらいなら、普通サイズのタオルをたくさん持って行くべきである。カバンの容積は限られているので、風呂上がりに全身を拭くという、一つの用途にしか使えないバスタオルは、容積の無駄である。もし一枚のタオルでは、風呂上がりの体を拭くのに十分ではないと思うのならば、二枚、三枚と使えばいいだけの話だ。バスタオル一枚分のスペースで、通常のタオルが何枚も持って行ける。枚数については、これも、多めに持っていくべきだ。タオルについても、売店で、一枚300円程度の値段で売っている。また、ハンカチも、通常のタオルで代用できる。訓練中に着る作業服のポケットは大きいので、タオルをハンカチ代わりに持っていくことができる。

ボディソープ等

風呂には、ボディソープやシャンプーの類は、備え付けられてはいない。従って、これらは愛用品を自分で持っていくか、あるいは売店で買う必要がある。ここでひとつ、注意を要することがある。持ち込むボディソープとして、固形石けんは適さないということである。いちいち風呂から部屋まで持って帰って保管するのが面倒だからだ。ポンプ式の容器に入った、液状のボディソープを使うべきである。また、洗濯をしなければならないので、洗剤が必要である。これも、売店で売っている。

メモ帳

手のひらに収まるサイズのメモ帳が必要である。メモ帳とペンは、体育訓練や風呂を除いて、常に携行すべきである。作業服のポケットは十分大きいので、メモ帳とペンを持ち運ぶのに不自由はない。なぜメモ帳が必要なのか。それは、覚える事柄がたくさんあるからだ。どういう順番でどういう動作をすればいいのか、何時何分にどこに何を持って集合すればいいのか。すべてを覚えるのは不可能である。メモを取るべきだ。

その他

ガムテープやカラーテープがあると、何かと重宝する。これは売店で売っている。

首にかけるチェーンが必要である。これは、別におしゃれのためではない。自分に割り当てられたロッカーは、部屋を出る時は必ず鍵をかけて、鍵自体は常に肌身離さず持っていなければならないとされている。そこで、皆、首から鍵を提げることになる。風呂に入る時でさえも、鍵は首にかけて持っていく。ところが、あらかじめ鍵に付いているヒモは、非常に頼りない。それに、衛生的にも問題がある。そこで、首にかけるチェーンを一本買うべきである。これは、売店で100円で売っている。

訓練中は、常にハンカチとティッシュを携行するように言われる。作業服のポケットは大きいので、ハンカチの代わりにタオルでもいい。ポケットティッシュは、売店でも売っている。

洗濯物を干すために、ハンガーと洗濯バサミが必要である。これは、売店でも安価で売っているが、おそらく外では、もっと安価で買えるところもあるだろう。

売店について

営内の売店では、かなり便利な物が売っている。例えば衣服だ。やはり自衛官の需要という物が分かっているらしい。シャツに関しては先ほども述べたように、速乾性のシャツが売られているし、走りやすそうな短パンや、一足一万円以上する運動靴なども売られている。主にGショックなどの頑丈な腕時計もある。アーミーナイフもある。変わった所では、携帯コンロなども売っていた。ノートやペンなどの文房具も売られている。歯ブラシやひげそりや洗剤などの日用品もある。実際、予備自補の訓練中に、「ああ、アレを持ってくれば便利だったろうな」と思ったソレは、大抵、売られていたりする。

変わりどころとしては、帽子の形を整える為の針金というものがある。これは一本50円と安いので、買っておくといいだろう。これは必須ではなく、また訓練とはあまり関係がないが、やはり見た目にカッコいい。実際、教官達は皆、帽子にこの針金を仕込んでいる。

食料品

食料品も売られている。もっとも、自衛隊のメシは、十分すぎるほどの量があるので、普通に食べていれば、腹が減るということはない。ただ、甘い物が食べたくなることはあるだろう。そういう時には利用するといいだろう。

自分のロッカーには、スポーツドリンクを常備しておくべきである。炎天下の中では、ただ立っているだけで多量の汗をかく。居室にての休憩中に、スポーツドリンクを一口飲めるかどうかの差は大きい。

CreativeのZii EGG

Zii.com

一見普通のmp3プレイヤーなのだが。

  • 1080pのH.264動画が、本体とケーブル出力の両方で再生できる
  • Android、あるいはLinuxベースのPlasma OSを利用可能
  • SDKも公開される
  • HD画像対応のカメラあり

面白そうだ。本当に1080pのH.264動画を再生できるのだろうか。どのプロファイルまで使えるのか。どの程度自由にプログラミングできるのか。