2009-04-09

あり、をり、侍り、いまそがり

私は文法を学ぶのが嫌いである。言語というもので意思疎通のできる以上、何らかの枠組みにはまる文法が存在するというのは一理あるが、文法を意識して言語を使うのは不可能だ。プログラミング言語のように、きっちり定義されている人工言語(たとえばロジバン)ならともかくとして、自然言語は、使って覚えた方がよいという思想を持っている。

ところが、その私がどうしたわけか、ラ変活用は、未然から順に、「らりりるれれ」、であり、適用する語は、「あり」、「をり」、「侍り」、「いまそがり」、だけであることを覚えている。

思うに、これは高校の時の国語教師の影響ではないか。その教師は、漢文を専攻していた教師だった。これは偏見だが、漢文を専攻していた国語教師というのは、変人が多いのではあるまいか。変人というと語弊があるが、なにかずば抜けて極端な気質とでも言うべきものを持っているのではあるまいか。ともかく、その漢文が専門の国語教師が、私をしてラ変活用を覚えさせたわけだ。不思議のことと言わねばなるまい。

それはさておき、あり、をり、はんべり、は、古文を読んでいるとよく出てくる語だが、いまそがり、だけは、まったく読んだことがなかった。したがって、その意味も知らなかった。昨日、ふと思い立って伊勢物語を読んでいると、この言葉が出てきた。

むかし、西院の帝と申すみかどおはしましけり。その帝のみこたかい子と申すいまそがりけり。

どうやら、いらっしゃる、などという意味で使うらしい。私の好きな古文、源平盛衰記や徒然草には、いまそがりという語が出てきた記憶はない。

追記:をり、を旧仮名遣いに修正

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