柳田國男は、妄想が激しく、その文章の多くは、論文の体をなしていない。妄想に基づき、文体の修飾を盛んにして、むしろ小説に属するものである。彼がなぜ小説家の道を諦めたかは、歴史上の偉大なるミステリーである。
定本柳田國男全集において、「木綿以前の事」と題された一連の文章の中で、彼は、上古の日本人は、今よりよほど寒暑に強かったと書いている。
確かに、木綿以外の植物由来の繊維は、あまり使い勝手がいいとは言えない。絹は高価で、またその肌触りも、木綿とは違う。また、中入れにする綿も、やはり木綿が優れている。
とはいえ、日本に木綿が一般的になったのは、十六世紀のことである。果たして、人間の種としての日本人が、たかだが数百年の間に、そう簡単に、寒暑に弱い方向に進化したりするだろうか。なまじ高機能な服があるばかりに、寒暑に強い遺伝子を持つ者は、自然淘汰されていなくなったのであろうか。あるいは、寒暑に弱い遺伝子を持つ者は、それまでは生存できなかったが、今は生存できるので、我々日本人は次第に弱くなったのであろうか。
さらに、柳田國男は、柔らかい食物と、歯科治療の技術が進んだ結果、我々の歯は弱くなったと書いている。曰く、「電車に乗ってみても、周りはみな、金歯だらけだ。装飾としてはともかく、能力的には、弱くなっている云々」と。果たしてそうであろうか。歯が痛むというのは、昔から書物にも絵にも色々と書かれている。病草紙など、有名だ。果たして、我々の歯は弱くなったのであろうか。
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