2010-07-07

今昔物語、震旦

今昔物語、震旦の部を読み終わった。読み終わって思うことは、実に宗教色が薄いことである。今昔物語では、各話の最後に取ってつけたように、神霊仏教の功徳無量なりなどと、説教めいたものを書いている。

例えば、欧州では、二千年前の大工の息子を、やたらに神格化した。イスラムは、千四百年前の商人が洞窟で受けたと称する啓示を信じた。ところが、震旦では、二千五百年前の羊飼いで諸国流浪のヒッピーだった孔子を、あまり呪術的な宗教とは結び付けなかった。もちろん、かなり後に生まれた朱子学はカルトめいた馬鹿げた学問であるが、やはりどうも、宗教とは言いがたい。これは考えて見れば不思議なことだ。

また興味深いのは、孔子の孔の読みが、呉音「ク」であることだ。まあ、個人的には、今昔物語は浅学の坊主の集団によって書かれたと思っているので、呉音は特に不思議でもないのだが。

孔子(クジ)(タフ )レ」という言葉は、今昔物語 巻十 孔子、為教盗跖行其家怖返語 第十五に書いてある。この諺は、いまはまったく聞きなれないが、弘法も筆の誤りとか、河童の川流れと似たような意味であろうと言われている。

ともかく、今昔物語によれば、孔子が盗跖に弁舌で負けて、ガタガタ打ち震えながら、尻尾を巻いて逃げ帰るときに、馬の轡を二度取り外し、鐙をしきりに踏み外した逸話から、「孔子倒れ」というらしい。

なお、宇治拾遺物語 巻十五ノ十二にも、盗跖と孔子の問答事と題して、まったく同じ逸話を挙げ、またこれも同じように、孔子倒れの語源としている。この話の直接の出典は、荘子らしい。荘子は、孔丘に相去ること百余歳、何ぞ孔子と盗跖の相論ずるを知らんや。と、三宝絵詞の為憲も言っている。

興味深い点では、今昔物語では、孔子をクジ、盗跖をトウシャクと読んでいるのに対して、宇治拾遺物語では、孔子はコウシ、盗跖はトウセキと読んでいる。

この諺は、当時よほど人口に膾炙せられていたとみえて、源氏物語 胡蝶にも、「右大将の、いとまめやかに、ことことしきさましたる人の、恋の山には孔子の倒ふれまねびつべきけしきに愁へたるも」などと書かれている。

1 comment:

Anonymous said...

諺に「孔子の倒れ」というのがあります。
これは「孔子」と書いて「くじ」と読むのですが、
特殊な読み方を不思議に思ってました。
他にもそう読む例があったのですね。