2013-01-14

Aaron Swartzの自殺に対するローワンス・レッシグの声明

Lessig Blog, v2

暴君たる検察

(まだ時期尚早だといういう者もいるが、違う。今こそ声をあげるべき時だ)

2011年1月のAaronの逮捕より、私はこの事件の事情を、知りたいと思う以上に知らされてきた。彼は私に友人かつ弁護士として相談してきた。Aaronは一体何が、何故起こったのかを説明し、私は支援を得るべく働きかけてきた。私のハーバードにおける地位に関連して、私が彼の弁護士として活動できなくなった後も、私は友人として働きかけてきた。私は十分に心強い友人ではなかったのは疑いがないが、友人であったことは変わらない。

ネット上における大量の悲観と混乱が、この驚嘆すべき少年の価値を裏付けている。その声を読むと、我々が抵抗していればよかったと思い知らされる。

これを感情的に受け取らないでくれ。

あれほど愛された人物にして、ニューヨークで彼を愛する群衆に囲まれたAaron境遇のを思えば、彼と同じ事をしないのは無理がある。私も彼の境遇に怒りを覚える。しかし、我々はこの教訓から学ばねばならない。彼を事ここに及ばせた状況を見過ごしてはならない。

まず、もちろん、Aaron自身がこのAaronの事態を引き起こしたのだ。私がこの件について書くというのは(私が公に声明を発表する際の束縛として)、政府の主張が正しければ、そして、「もし」、というのもAaronが私に私的に語ったことを明かせないのであれば、すなわち、彼の行いは悪であった。法的に悪でなければ、倫理的に悪であった。Aaronが戦った原因は私の原因でもある。私に反対するものも尊重するように、これは私の意図ではない。

しかし、もし政府がこの事件を実証して、何らかの罰がふさわしいとなったとしたら、一体何に対して罰すべきなのだ? Aaronはテロリストか? あるいは盗品によって利益を得ようとしたクラッカーか? あるいは何か全然別の罪か?

すでに、JSTORは「ふさわしい」ものを見つけていた。JSTORは告訴を取り下げ、政府にも取り下げるよう要請していたのだ。MITは、恥知らずにも暗愚であり、検察はAAronへの戦争を続けAaronとして愛された人物を「犯罪者」とするための都合のいい理由となった。

ここに、もっとマシは司法の常識があるべきで、恥ずべきことだ。この事件の許されざるところは、ただ一人Aaronのみではない。愚かな検察の態度にもある。そもそも、政府は全力を尽くして、Aaronがいかにして極端で愚かなことをしでかしたのかと印象付けようとした。政府が我々に語るところによる、Aaronが「盗んだ」という「何百万ドル」相当の価値のある「財産」、これだ。そして、これにより、彼の目的は犯罪により利益をあげるものであると結論した。しかし、学術論文の山が金になるという主張する奴は、アホか詐欺師だ。これが違うことは明らかであるのに、我々の政府は、まるで9/11のテロリストを捕まえたかのように、継続した。

Aaronは人生において「金を為す」などということをしたことがなかった。彼のRedditは幸運にも金を生んだが、RSS標準規格への貢献、Creative Commonsの構築、公共記録の自由化、自由な公共図書館の構築、Change Congress, FixCongressFirst, Rootstrikers, Demand Progressに対する貢献では、Aaronはただ公共の善のためだけに邁進していたのだ。彼は天才で、面白みがあった。神童。その精神の深淵は、私は幾度となく夢想したものだ。Aaronならどう考えるだろうかと。その人物は、今日逝ってしまった。我々まともな社会が暴力と称するより他のないものによって、崖に追い詰められた。これは私の過ちであるが、機会でもある。もし、この過ちと機会を得なければ、お前は合衆国政府の後ろ盾を得る資格はない。

考えてもみよ。この世界では、経済問題をたびたび引き起こした張本人がホワイトハウスで優雅に食事をしているのだ。たとえ「正義」の制裁を受けたものさえ、己の悪事を認めず、ましてや「被疑者」となることなどない。

この世界においては、政府に疑問を生じさせるには、Aaron Swartzが「被疑者」のレッテルを貼られたことが必要になるのだ。この18ヶ月もの交渉は、彼にとっては受け入れがたいことであり、そのために4月に何百万ドルもの罰金を告訴され、彼の財産はなくなるも、裁判官の心証を損ねねば、弁護を頼むべき経済的支援すら受けられない。邪悪でクソのようなこの状況が、この戦いの結末を決定づけた。天才的問題児は、こんな世界は終わらせたほうがマシだと考えたのだ。

政府によって求刑された懲役50年。何とかして、我々はこの「俺様は正しいんだからてめぇなんか核爆してもいいんだよ」という我々を支配する原理から逃れなければならない。この原理が導く言葉は一つのみ、曰く、恥。

一言にして、涙尽きせず。

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