中島敦の草稿を読んでいるのだが、だいぶ変わっている。
例えば名人傳だ。完成版は青空文庫にあるが、草稿のテキストは、現在インターネット上には存在しない。
まず、「述而不作と孔夫子は言ふ。私もその顰みに倣はうと思ふ。創意無しとの批難は甘んじて受けよう。た々゛、この話の真実なことだけは信じて頂きたい。」と始まる。
草稿では、紀昌は最初から弓の名手で、百歩を隔てて柳の葉を射切ることができる。その腕前を披露しているところに、飛衛がやってきて嘲笑する。勝負の結果負けた紀昌は弟子入りし、そこから先は修行が始まる。
冒頭の話がだいぶ変わっている。
文字禍も、草稿は文字という題名で、直接博士と関係ない話が多数書いてある。
草稿を読んでみると、中島敦は同じ作品を何度も書きなおして整えていったのだという感じがする。
まあ、世の中には某エスペラント狂の遺稿のように、何度も書きなおした挙句、元の話がすっかり消えてしまい、しかし完全に消えもせずところどころに違和感のある記述が残る矛盾だらけの作品もあるのだが。私にはあの田舎者の文章の良さは理解できない。
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