2013-10-24

紙の本は死ぬ

私は、紙の本が近い将来に死ぬと考えている。もちろん、紙の本はなくなったりはしない。しかし、その使われ方は、例えば今、音を再生するのに物理的な音溝に針をあててガリガリと振動させるレコードは、一部の好事家しか使わないように、紙の本を読むのも、歴史家、文化財産の保存か、また一部の好事家だけになるだろう。

これは、いい、悪いの問題ではない。そうなってしまうのだ。例えば、この2013年に、最近の若いものは日本語の文字を筆で書かんからけしからん、などと言ったところで、どうしようもない。確かに、日本語の文字は筆で書くことを想定して設計されてきたが、もはや筆が日常的に使う筆記具ではない以上、今更言ったところで始まらない。石を投げていいのは、いまだにシャーペンやボールペンを持たず、代わりに、懐中に矢立と水入れと懐紙を持って表を出歩いている者だけだ。

そういうわけで、紙の本は、近い将来に死ぬ。問題は、紙の本に取って代わるものが、制限コンピューターと、その上で動く不自由ソフトウェアで占められる脅威だ。

制限コンピューターは、動かすソフトウェアを、所有者やコンピューターの利用者の自由にせさず、コンピューターの製造者や販売者に委ねる、極めて非人道的な機械である。これは、コンピューターの製造者や販売者不公平で一方的な権力を与える。不自由ソフトウェアは、その利用方法が制限され、その利用原理の検証が制限され、利用者の意思を反映するように改良することもできず、また、未改変、もしくは改良したソフトウェアを他人に再配布することもできない、極めて非人道的なものである。

このような制限コンピューターと不自由ソフトウェアの上に実装された電子書籍は、もはや所有することができない。本は、提供者の一方的な権力により、遠隔操作で改変され、時には消されることさえある。

紙の本に書き込みを入れたり、ページを破ったりしても、著作権違反にはならない。しかし、電子書籍の場合、書き込みを入れたりページを破ったりすることが、著作権侵害になるのだ。なぜならば、制限コンピューターと不自由ソフトウェアによって実装された電子書籍に、そのようなことを行おうとすること自体が、DRM(デジタル制限管理)を破るという、不思議な著作権違反に問われるからだ。

もし、現状を放置すると、我々は単に紙の本を失うだけではなく、本自体を失ってしまう。

しかし、今更流れは止められないだろう。もう遅すぎる。

6 comments:

Anonymous said...

C++の本を書けない言い訳に忙しいのね(笑)

Anonymous said...

論文のタイトルを勝手に書き換えられなくなったら、そりゃーあなたは困るでしょうねw

Anonymous said...

アンチ江添さんいつもご苦労様

Anonymous said...

横レスすまんが自由を語るとツッコミどころが多いからなこの人。アンチなのかなんなのかわからん。俺も、この人のC++の知識はすごいと思うけど、自由の話題ではよく突っ込んでるし

今回の記事でも、
・ソフトウェアの場合→プロプライエタリなWindowsは死ぬ、自由なソフトウェアは生き残るだろう
・本の場合→不自由な電子書籍が大勢を締めるだろう、もう遅すぎた

と、フリーソフトウェア運動を盲信してフリーコンテント運動をまるっと無視する言い草には唖然としたし

Anonymous said...

記事を読み慣れた・記事を書き慣れた人間が大げさな表現を使うのはよくあること。

Anonymous said...

大げさな表現ならまだしも、RMSなら絶対言わないような、論理的に間違ったことを平気で言うから……