文豪、森鴎外の1人目の妻の兄が書いたとみられる手紙が、静岡県磐田市で見つかり、鴎外が妻と性格が合わず、文筆活動の妨げになっていると話していたことなど、離婚に至ったいきさつをうかがわせる記述があることが分かりました。
これは森鴎外の1人目の妻、登志子の磐田市に住む親族が保管していたもので、ことし6月から地元の研究者らが調べていました。
縦24センチ、横16センチほどの和紙6枚に毛筆で書かれていて、調査の結果、登志子の兄が父親に宛てた手紙の下書きとみられることが分かりました。
この中では、鴎外が登志子との関係について、「全く気性あわず」と話していることや「筆硯の妨げにもなる」と文筆活動への影響を訴えていることが、知人から聞いた話として記されています。 また、鴎外が家を借りて別居を始めたことが記される一方で、「決して離婚などはしない」と鴎外が話していると書かれていました。
森鴎外は明治22年に登志子と結婚したものの、その後、別居し、結婚から2年もたたずに離婚したとされていますが、別居を始めた当初は離婚の意思がなかったことがうかがえます。
手紙を調べた元高校教諭の杉本完治さんは、「離婚が作品にどのように影響したかは分からないが、鴎外の人生の一部に光を当てるものだ」と話していました。
この手紙は、今月15日から来月14日まで磐田市にある旧赤松家記念館で展示されます。
あんな奴と気性のあうやつなんてそうそういないぞ。
自称潔癖症だが風呂嫌い。洋行して微生物を顕微鏡で見たのがトラウマになったのか、なんでも大量の砂糖を使えば殺菌できるという不思議な持論を保持。好物はまんじゅうのお茶漬け。
脚気が栄養不足によるものだという説を、具体的な証拠が上がってもちゃちな自尊心から認めず、最も日本軍を悩ませた人間。自尊心だけは異様に高く、軍服を着ているとき、文壇仲間から声をかけられても、「軽々しく声をかけるな」と傲慢一喝。
日本語表記についても保守的。仮名遣いはともかく、長音記号すら認めないという一徹ぶり。
ただ、文章は悪くないし、ファウストの翻訳も、いまだに森鴎外訳を超えるものはない。
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