2012-09-20

日本の海賊

知ってるか野郎ども。毎年9月19日はTalk Like A Pirate Dayだぜ。すでに日本時間では20日だが、かまうこたぁねぇ。世界的にはまだ継続中だ。そこで、今日は、にわかに海賊気分の俺が日本の海賊について書き散らしてやる。

まあ、対外的には倭寇とか呼ばれてて、主に朝鮮半島あたりをふんどし一丁で荒らしまわってた海賊もいたらしいんだがな、今回語りたいのは主に国内の海賊だ。

古来、日本では航海技術が発達していた。百済を助けるために日本が援軍を送った白村江の戦いは有名だよな。日本の航海技術はそれほど高度だったわけだ。

ただ、少し時代が下ると、どーも水路というのは朝廷からだいぶ疎まれていたらしいんだ。というのも、俺ら海賊というのは大抵、まつろわぬ民だったからな。朝廷とはしょっちゅうケンカばかりしてたもんよ。んだもんだから、租庸調を運ぶのも陸路でいった。この道を舗装するという文化のない日本で陸路なんで馬鹿げているにもほどがあるんだが、まあ、陸路なんて整備したら戦争しやすくなるだけだしな。

で、国内の海賊だが、まあ、瀬戸内海と琵琶湖に結構いたらしいんだよな。ほれ、平家物語でも言うだろ、「近く本朝をうかがふに、承平の将門、天慶の純友、康和の義親、平治の信頼」と。この天慶の純友が、当時、瀬戸内海でブイブイ言わせてた俺ら海賊の先祖だ。まあ、朝廷側から言わせれば、まつろわぬ奴らってわけだ。しかもこの純友のアニキは相当なワルだったらしく、手が付けられないんで、ひとまず官位を与えて懐柔てことで、なんと従五位下に叙せられてる。まあ、奴らの勝手につけた官位なんてしったこっちゃーねーが、悪事に目をつぶって柔和を図るほどの大海賊だったってこった。

んで、網野善彦っつー話せるオヤジによれば、いや、実際、俺は会って話したこたぁねえんだが、鎌倉時代あたりの当時の俺ら海賊には、水の民とでも言うべき、何か水上を統治する独立国みたいな、そういう気概があったらしいんだよ。当時の国内の政府のひとつである朝廷や幕府から言わせりゃ、俺らは海賊なんだろうけど、俺らから言わせりゃ、奴らは日本の中の一政府に過ぎないわけで、こちとら対等な水の上の独立国なわけよ。独立国であるからには通行料ぐらい取るのが当たり前だよな。いや、なにもただむしり取ってたわけじゃねーんだよ。まさか。俺らはそんな乱暴はしねえよ。俺らはお友達だぜ。ちゃんと守ってやるさ。みかじめ料さえ払えばの話だがな。当時の琵琶湖では、海賊の一派にみかじめ料を払って、海賊を一人船に乗せて琵琶湖を行けば、それだけで、他の海賊も手を出さなかったらしいぜ。まあ、海賊がお互いに戦争おっぱじめたら無傷じゃすまんもんな。そこは穏便にいくわな。そういうわけで、当時の海賊はちゃんと守ってやってたんだ。

でも、俺ら水の民は、当時の政府に目をつけられて、厳しく取り締まられ、次第に数を減らしていったらしいんだよな。なんでだよ。侵略じゃねーか。

で、江戸幕府になり、平和な世の中になると、俺ら水の民を撲滅してしまったり、大名に革命の力をつけさせないためとかで、水路というのはほとんど廃止されてしまったんだよ。造船技術とか航海技術とかも引き継がれずじまい。情けないよな。昔、俺ら日本の海賊は太平洋を支配していたんだぜ。それが、物流に水路すらまともに使わなくなってしまったとはな。

で、明治になって船が必要になっても、まともな知識を持った奴がいないもんだから、最初は運任せだったらしいぜ。暴風雨にあったらマストを切り落としたりとかな。阿呆かお前ら。マスト切り落として生き延びたとしても、嵐が収まってどうやって航海を再開するんだよ。まあ、大方は嵐をやり過ごしてもそのまま漂流して、知られずじまいってわけだ。

まあ、しかし、俺らの中に歴史を書き留めておく人間がいなかったのは残念だったな。せっかくの純友のアニキの活躍も、軍記物にはなってない。純友追討記にほんの少しばかり漢文が残ってるだけだ。もし軍記物になってならば、相当な人気が出たはずだぜ。ひょっとしたら平家物語よりも人気だったかもな。

1 comment:

Anonymous said...

> まあ、大方は嵐をやり過ごしてもそのまま漂流して、知られずじまいってわけだ。
じゃあどうして今知られてるんだろう。